「酒造りをなめるな」激怒する先代、それでも若き社長は「昔のやり方」を振り払った 売り上げ3倍超、奥能登の酒造会社

奥能登で150年以上の歴史を持つ数馬酒造(石川県能登町)。わずか24歳で父から5代目蔵元を継いだ数馬嘉一郎氏(38)は、かつての酒造りの通例を覆し、季節雇用や泊まり込みなど、蔵人の働き方を改善するチャレンジを続け、会社の業績もアップさせてきた。今は30代が中心という酒造会社で、数馬氏が取り組んできた数々の「改革」について聞いた。
目次
「まずはこれを飲んでください」
−−−−社長を継いだ後、酒造りは社員に任せ、経営に専念したとのことですが、まず取り組んだことは何ですか?
継いだ当初から、売り上げの確保が絶対必要ということが分かりました。うちは卸の酒販もしていましたが、一番利益率が高いのはやはり自社で造った日本酒です。
この自社製品の売り上げを伸ばすことが最優先だと思ったので、継いでから3年間は、とにかく営業して自社製品を販売することに注力しました。結果、3年間で、売り上げは2倍近くになりました。
−−−−売り上げを伸ばせた要因は何でしたか?
まずは商品の種類を絞りました。これまでは、ご提案すべき商品がどれなのか、会社としても定まっていなかったかもしれません。我々がどんな酒で何を伝えたいかが散漫になっていれば、当然、お客様も何を買っていいかがわからない。とにかく商品を絞って「まずはこれを飲んでください」というスタイルにしたのが奏功したと思います。
−−−−営業以外に取り組んだことは?
4年目には、数馬酒造株式会社と、卸事業の能登酒類販売株式会社を統合・合併し、利益率の低い事業を他社に譲渡しました。また、老朽化の激しかった醤油蔵を移転させて、休止中の醤油造りを復活させ、リキュール蔵は町の遊休資産になっていた施設へ移転し、本社の酒蔵は日本酒に集中。酒造りのための設備にどんどん投資しました。
−−−−入社して5か月後に社長になったことに対して、社員はどのような反応だったのでしょうか?
驚かれましたし、当然反発もありましたね。そこはやっぱり信頼を勝ち取るしかない。
一つはちゃんと経営者として実績を出すことです。同時に、休日を増やすなど、社員の待遇面の改善にも取り組みました。
あとは、毎日社員全員に1回は声をかけること。「おはようございます」とか「いつもありがとうございます」など、自分からコミュニケーションを取ることを心がけてきました。
大学生に飲んでもらえる日本酒って?日本酒離れの世代を巻き込んだプロジェクト

−−−−営業上の改革以外に、経営理念の策定にも取り組まれた。
経営において判断を下すときに、軸のようなものがないと方向性が定まりません。それまでは会社の理念のようなものがありませんでした。
当初は考えても思い浮かばず、たまたま資料を見ていた時に、先代の父がメモのように書いていた言葉を見つけ、掲げることにしました。「心和らぐ清酒(さけ)作り、心華やぐ会社(いえ)作り、心豊かな能登(まち)作り」です。
この新しい理念に基づいて、能登のための酒造りを、まずは能登産の原材料を使おうということにつながっていきました。
−−−−能登の米での酒造りについて具体的にお聞かせください。
2011年に能登が日本で初めて世界農業遺産に認定されました。しかし実際は、田んぼが耕作放棄でどんどん荒れている。耕作放棄地を再生してお米を作れば、景観の維持にも貢献できる。そういうお米の生産方法に、農家さんと一緒に取り組みました。2014年のことです。
耕作放棄地は農業の課題、では、酒業界の課題はなんだろうと考えた時に、一つは若者の日本酒離れがありました。
それなら若い人が自分たちで飲みたい酒を作ったらいいんじゃないか、大学生に主体性を持って日本酒を造ってもらおうと始めたのが、「N-project」です。耕作放棄地を水田へと甦らせ、田植えや稲刈りをし、酒造りにも大学生に参加してもらうプロジェクトです。
「微生物中心」から「人中心」の醸造環境へ
−−−−酒造りの体制を大きく変えたことは、社員の働き方にも影響を与えていますね。
日本酒造りは冬場の半年間、季節雇用の杜氏や蔵人が蔵に泊まり込み、早朝から深夜までお酒を造るのが一般的です。でも、弊社は2015年からこれらを一切やめ、また通年雇用の社員さんだけでの酒造りへと舵を切りました。醸造の責任者には、大学で醸造を学んだ当時27歳の若手正社員が自ら手を挙げてくれたので、任せることにしました。僕自身も24歳で会社の代表を引き継いだので、若いから任せないという考えはありせんでした。
彼の意欲を受け止め、彼中心の醸造体制をつくって、毎年若い人材の採用を増やしていきました。結果的に売り上げもお客様方の品質の評価も上がっています。また、次世代が働きたいと思うような醸造環境へ改善することを、彼も一緒に取り組んでくれたことも大きかったです。
−−−−具体的にはどのように働き方を変えていったのですか?
従来一般的であった泊まり込みをやめたり、休日を増やすように醸造スケジュールを調整したり、生産性や品質が上がるような設備投資をおこなうなど、できることから積み上げていきました。
例えば、それまで毎日お酒のデータを取るのに1時間半ぐらいかかっていたのが、設備投資により全自動にして10分で終わるようにしました。
従来の酒造りは「菌にとっていいこと」に人間が合わせていました。それを「人にとっていいこと」にシフトする、つまり、寝泊まりして早朝や深夜に働くより、昼間の就業時間内でお酒を造る。しかも休日をしっかり取りながら。心身ともに健康的で造ったお酒の方が、結果的に品質の良いお酒を生むのではないか、という仮説を立てて、改善を始めたんです。
−−−−社員だけでの製造に切り替えることについて社内の反発はなかったのですか?
反発はなかったです。実は、それが僕にとって大きな不安要素でした。誰も大きな反対をしないということは、何かを見落としたり、重大なリスクが潜んでいたりするのではないかという懸念があったんです。僕がちょっとポジティブに考えすぎなんじゃないかと。
でも、この時初めて先代の父が、経営に対して口を出してきたんです。「酒造りをなめるな、酒造りはそういうものじゃない」と。なぜなのか理由を聞いたら、僕が納得するような根拠のある返答がなかった。そのことで、逆に不安が払拭されたんですよ。だから感謝して、そのまま進めました。
売り上げは上昇傾向、受賞率もアップ
−−−−社長就任後のさまざまな取り組みの結果、会社はどのように変わりましたか?
売り上げは3年で2倍になりました。直近では、継いだ時から3.37倍になり、上向きが続いています。また、お酒を各種品評会に出品した時の受賞率も年々上がっている。
若手採用に積極的になったおかげで、今や正社員の平均年齢は30代、酒造りを社員に限ると30代前半なんです。そういう意味では、若い方でも働きたいと思えるような企業の一つになってきているのかなと感じています。
プロフィール
数馬酒造株式会社 代表取締役(五代目蔵元) 数馬 嘉一郎氏
1986年、石川県能登町生まれ。高校まで能登町で過ごす。玉川大学卒業後、都内のコンサルティング会社に就職。入社2年後にUターンし、2011年、24歳で家業の酒蔵「数馬酒造」の代表取締役に就任。「醸しのものづくり」を通して能登の魅力を高めることを使命とし、耕作放棄地の開墾から酒米の栽培、酒造りまで一貫して取り組んでいる。
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