東京郊外で愛された小さな洋菓子店が閉店、それを継いだのは「全くの畑違い」の小さなゼネコンだった

小規模ゼネコンとして関東一円の土木・建築事業を手がけてきた「金澤建設株式会社」(東京都小金井市)。2025年に創業80周年を迎える。3代目社長の金澤貴史氏(51)と妻の大恵常務(52)は、ゼネコンを経営しつつ、本業とはまったく異なる洋菓子店も経営している。畑違いの洋菓子業界に進出したきっかけは、地元で長く愛された菓子店の閉店だった。
目次
土木・建築業として歩んだ80年
−−−−金澤建設のこれまでの歩みについて教えてください。
貴史代表:私の曽祖父が東京の南千住で土木業の人材派遣をしていたのが始まりです。1944(昭和19)年に空襲で被害を受けたので、小金井市に疎開してきました。祖父は翌45年、自ら会社組織を立ち上げ、総合建設業を始めました。それが当社の創業です。
もともと土木業が中心でしたが、私が別の会社で建築をやっていたため、私が2000年に金澤建設に戻ってからは建築事業を立ち上げ、土木と建築の二本柱になりました。
−−−−貴史代表は、小さいころから会社の後継者としての意識はあったのですか?
貴史代表:当たり前に家の裏の資材置き場で遊んだり、小学生の頃から仕事の手伝いをしたりして育ってきたので、「将来は家業を継ぐだろうな」という感覚はありました。私は3人兄弟の真ん中ですが、兄は他の道に進んだので私が継ぐことになったのです。
−−−−社長となるまでの経緯を教えてください
貴史代表:専門学校を卒業後、文京区の小さいゼネコンに就職し、8年ほど勉強した後、2000年に金澤建設に戻ってきました。弊社も総合建設業、つまりゼネコンといわれる業種で、入社後は土木の施工管理を担当しました。その後、建築部門を立ち上げ、専務になり、2017年に父から会社を引き継いで社長に就任しました。
父からは、特に社長としての教育を受けたわけではなく、一緒に働いて学んでいく形でした。会社はこつこつ地道な経営スタイルだったため、東日本大震災などで市場が動いた際も、幸いにして大きく経営が左右されることはなく、順調だったと言えます。

「大好きなお菓子をどうにかして残したい」という思いから……
−−−−経営も順調な中、なぜ「洋菓子」というまったく異分野の新事業を始めたのでしょうか。
貴史代表:地元で27年間、店主が一人で営んでいた小さな洋菓子店がありました。そこのお菓子が昔から大好きで、手土産用としてよく買っていました。しかし、2014年12月、店主が「店を閉める」と言い出したのです。後継者がおらず、当時はバター不足もあり、「この際もうやめる」と。
それを聞いて、「もったいない、なんとか残せないのか?」「私も知り合いにあたってみる」などと話しているうちに、店主から「そんなにうちの菓子が好きなら、自分で店をやってみたらどうか」と言われました。
思ってもみないことでした。「やる」と即答はしなかったですが、店主は「後継者ができたので2015年1月で閉店します」という貼り紙を出してしまった。焦りました。でも、私一人ではどうしようもない。そこで、妻の大恵常務に相談しました。
−−−−大恵常務は、洋菓子店の承継を聞いたとき、どう思いましたか?
大恵常務:最初に「無理なのでは…」と言いました。そもそも当時、夫は専務で、社長は義父でした。まだ会社を継いでいない時点で、新しい事業、しかも「菓子製造販売」という未知の事業を始めるというのは…。
貴史代表:当然の反応だったと思います。しかし、社内で話し合った結果、事業計画的には難しいかもしれないけれど「やる」という方向でみんな賛同してくれました。
父にも相談しましたが、特に反対はありませんでした。このとき、妻は金澤建設社員ではなく、自身の会社を経営しており、それを続けたまま金澤建設に入社して取締役企画営業部長に就任。洋菓子プロジェクトをリーダーとして牽引してもらうことになりました。
ことごとく立ちはだかる高い壁
−−−−実際のプロジェクトはどのように進めたのですか?
大恵常務:私は料理研究家を志したことがあり、食品衛生責任者の資格を持っていました。ただ、体質的に牛乳がだめで、お菓子の仕事は全くの想定外でした。菓子業界のことも全然知らなかったので、手探り状態で進めていきました。
たとえば、営業許可証取得や保険などの必要書類が多く、何度もくじけそうになりました。その後も数々の壁がありましたが、乗りかかった船なのでやめるわけにはいかず、一つひとつクリアしていきました。
−−−−ほか、どのような壁があったのですか?
大恵常務:金澤建設は食品製造業も小売業も経験がなく、店舗を運営すること自体が大きな課題でした。非正規の販売員の方たちにストレスなく働いていただくためにはどうしたらいいのかを考え、まずはマニュアルを1冊だけつくり、参照先を一つにし、それを読めば誰でも同じようなクオリティで仕事ができるという体制を整えました。
製造面でも問題がありました。洋菓子の世界は、「手の内を明かすのはご法度」で、職人は他人にレシピを教えることを良しとしないのが一般的だそうです。そんな業界の慣習も知らなかったのですが、誰が作っても同じクオリティの商品を提供しなければならない、そのためレシピを共有しなくてはならない、と職人に丁寧に伝え、理解してもらいました。今はレシピボードがあり、均質なものができるようになっています。
−−−−元の洋菓子店の閉店から2か月経った3月13日に、「菓子工房ビルドルセ」をオープンさせたのですね。
貴史代表:最初のころは、よその洋菓子店からも「洋菓子業界をなめるな」なんて言われました。日々壁にぶつかっていましたが、でも絶対にあきらめずに一歩一歩、前に進み続けた大恵常務はすごいと思います。
大恵常務:周囲の人のおかげです。プロジェクト発足時のメンバーは、私と、弊社専務の妻、それから私が経営している会社の男性スタッフ。現在は、さらに心強い正社員2名が加わり、5人でアイデアを出し合って商品開発や店舗運営をしています。全員が製菓衛生師等の資格を持っていない素人ですが、だからこそ自由な発想が生まれるのだと考えています。
プロフィール
金澤建設株式会社 代表取締役社長 金澤 貴史氏
1973年東京生まれ。専門学校卒業後、ゼネコンに入社して経験を積み、2000年に実家の金澤建設に入社。土木施工管理などの業務を経験し、建築部門を立ち上げ、専務を経て2017年に社長に就任。2015年に地元菓子店の製菓事業を引き継ぎ、妻・大恵氏の協力で「菓子工房ビルドルセ」を開店。建設業という枠にとらわれない柔軟な発想で、地域に貢献する事業を展開している。多摩ブルー・グリーン倶楽部第22期会長。
金澤建設株式会社 常務取締役 金澤 大恵氏
1972年東京生まれ。カナダ、スペインなど海外生活を経験し、帰国後国立大学の学長秘書、父の経営する会社の海外事業部リーダーなどを経験し、2003年に翻訳とセールスプロモーションを手がける会社を起業。2015年金澤建設に入社し、未経験である製菓事業承継のプロジェクトリーダーとなって「菓子工房ビルドルセ」を立ち上げる。現在、同社常務取締役 兼 事業推進部長、管理本部長。
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