中国産より高価値な「日本の畳」で令和時代に売り上げを倍増させた老舗畳店 「神は細部に宿る」創業者の伝統を受け継いで

1958年創業の老舗「奥井畳店」(神戸市)に生まれた奥井啓太氏(32)は、大学卒業後に一部上場企業に就職するが、飲み会重視などの「日本的な働き方」に嫌気がさしてニュージーランドに留学。現地で「世界から見た日本のものづくりの力」を実感する。帰国後、「畳」という斜陽産業と思われがちな家業を継いだ奥井氏は、安価な「中国製」に見切りをつけ、伝統的な「いぐさ」を使った国産畳100%への経営改革を実現した。そして、「令和」の時代に売り上げを大きく伸ばしていく。その経緯と取り組みについて、3代目・奥井啓太氏に聞いた。
目次
初代から受け継ぐ「畳の裏にまで魂を込める」精神
──奥井畳店の成り立ちについてお聞かせください。
初代である祖父が、出身地の淡路島で修行をした後、1958(昭和33)年に単身神戸へ出て創業した畳屋です。当時は周りに同業他社が多くあり、「こんなところで畳屋を始めてもうまくいかないよ」と言われたそうですが、現在も残っている畳屋はうちだけです。
──同業他社が閉じていく中、奥井畳店が大切にしてきたことはありますか。
「神は細部に宿る」という言葉を、初代は体現していたと思います。例えば、畳の縁を取って作業する際、前回の畳の糸くずを全てきれいに取ることを徹底していました。
当社は創業以来、店舗を構えて納品するのではなく、お客様の家で畳を作るスタイルです。そのため、お客様には裏返した畳の裏側まで見られます。「畳の裏側にも魂を込める」という精神で仕事をしてきたのが、現代まで会社を存続できた強みだと思います。
当たり前すぎて承継を意識したことすらなかった

──子供時代から家業を継ぐことは意識されていましたか。
「継ぎたい」という気持ちはまったくなかったです。「継ぐだろうな」とも思っていませんでした。畳屋の仕事を楽しそうとも思ってないし、しんどそうとも思ってない。当たり前にありすぎて、特に何も感じるところはなかったです。
放課後に店で友達と一緒に遊んだりすることはありました。あるとき、店でバレーボールをして遊んでいたら、ボールが機械に潰されてぺしゃんこになってしまって。その時に「ここって危ないな」って初めて実感しましたね。
でも、それくらい家業が生活の一部として自然にありました。そんな環境で育ったことは、今になって考えると貴重な経験だったと思います。
ほかにも、印象的だった出来事があります。小学2年生の社会科の授業で、うちの畳店が見学先に選ばれたのです。同級生たちの質問に自分の親が答えるのを見るのは、なんだか気恥ずかしかったです。でも、質問に堂々と答えていく父の姿はかっこよく映りました。
「日本的サラリーマン生活」に嫌気がさしニュージーランドへ留学
──奥井畳店に入社するまでの経緯をお聞かせください。
大学卒業後は、東証一部上場企業でサラリーマンをしていました。でも、飲み会は絶対行かなきゃいけないとか、上司の顔を立てなきゃいけないといった「ザ・日本的」な働き方がまったく性に合わなくて、「日本が嫌だ」「日本を出たい」と思うようになりました。そこで、9か月ニュージーランドへ留学することを決意しました。
ただ、自分が不安定な立場にあるとも考え、帰国後は一刻も早く仕事に就きたいと考えました。それで一番手っ取り早い家業に入ることにしました。2019年のことです。
父は、畳の需要低迷から店をたたむことも考えていたため、「やめとけ」と言われましたが。
海外で実感した「日本の価値」が大きな転機に
──ニュージーランド留学が奥井さんに与えた影響はありますか。
ニュージーランドでの生活はとにかく大変でした。中高大と10年間英語を勉強していたはずなのに、ホストファミリーや学校の先生が話す言葉が全然分からない。それでも「日本人とはつるまない」という変なプライドだけは持ってたので、誰とも会話できない。毎日孤独感でいっぱいでした。
しかし、留学先では、度々「日本人であること」の恩恵を受けました。例えば、部屋を借りる時に「日本人だから」という理由でスムーズに進みました。
周囲の人たちの日本製品への信頼も高くて、日本では一般的な100円均一の商品でも「すごいね」と感心される。これらは、日本と日本人がずっと積み重ねてきた歴史のおかげだと気づきました。
しかし、現地の人に畳の存在がほとんど知られていませんでした。さらに、自分が家業である畳の良さを説明できないことへのいら立ちを感じました。
家業への入社の直接的なきっかけは、帰国後すぐに正社員として働きたかったからですが、「もっと畳を広めていきたい」という思いも湧いていたため、抵抗感はまったくなかったです。
いぐさ農家との研修で気づいた天然畳の魅力と価値
──入社後はどのような仕事をしていましたか。
入社直後は、天然いぐさの畳は時代遅れで、ポリプロピレン樹脂などで作られた化学畳の時代だと思っていました。しかし、入社して3か月後に熊本のいぐさ農家さんの元での研修で、180度考えが変わりました。いぐさには、湿度調整や消臭・抗菌効果、リラックス効果など、化学製品にはない魅力がたくさんあったのです。
その後、父とお客様のところに見積もりに行ったとき、価格面だけで畳を勧めようとする父に対して「価格面だけでなく、国産畳の品質や価値も説明すべきだ」と主張したところ、父が怒って「じゃあお前一人でやれ」と言われました。
そこで、お客様に国産畳の魅力や価値を説明したところ、3件連続でハイグレードな畳の受注をいただけました。それを機に、父は私のやり方に何も言わなくなりました。
当時の当社が扱う畳は、賃貸用など含めて中国産が7~8割を占めていましたが、円安のタイミングもあったので、国産畳100%に切り替えました。利益率も上がり、より良い商品をお客様に提供できるようになりました。
2019年の入社時、年間1100万~1200万円だった売り上げは、最近3年間は2500万円前後にまで上昇しました。
──国産畳にこだわる理由は何ですか。
畳は、一度張替えたら15~20年と長く使われます。中には、30年張替えていないというお客様もいらっしゃいます。それなのに、価格面のメリットだけで耐久性の低い安い畳を勧めるのは、お客様のためになりません。
だから、しっかり長持ちする畳のメリットをしっかり説明し、提供しています。そうすることでお客様にも納得していただき、より良い畳文化を続けていけると信じています。
奥井啓太氏プロフィール
合同会社奥井畳店 代表社員 奥井 啓太 氏
1992年、兵庫県生まれ。関西学院大学卒業後、一部上場企業に入社。その後ニュージーランドへ9か月留学し、非英語圏の人へ英語を使って英語を教える資格を得る。2019年に奥井畳店に入社。老舗畳店の3代目として、国産畳の魅力発信に尽力している。2級畳製作技能士の資格を持ち、伝統的な畳文化の継承と革新に取り組んでいる。
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