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「挨拶できない」「夕方4時で帰宅の準備」この雰囲気はつらい… 老舗メーカーの職場環境を改革、5代目の女性社長

留学などを自由にさせてくれた両親に報いるため、海外留学から帰国して家業入りを決めたネジ加工用製品メーカー「田野井製作所」(埼玉県白岡市)の田野井優美代表取締役社長(48)。しかし、入社直後は、工場や事務所にモノが溢れて雑然とし、挨拶ができず、仕事にやる気がない社員が目立つ社風に戸惑った。そんなとき、出合った一冊の本がヒントになり、社内改革を推進していく。100年以上続く「ものづくり企業」の5代目社長が進めた改革とは。

挨拶もなく、モノが整理されていない社内環境に愕然

−−−−2002年、家業に入社したときの業務と、会社の印象を聞かせてください。

まず、どのような製品を作って販売しているかを知るため、工場で10日間の研修を受けました。その後、ドイツの取り引き先に2ケ月間の研修に行き、帰国後に海外顧客を担当する海外部に入ります。仕事はFAXやメールでもらった注文の納期管理や出荷書類の準備などでした。

経営状況は、良くも悪くもありませんでしたが、会社全体の雰囲気の暗さに違和感を覚えました。社員がみんな、どことなく暗く、挨拶する習慣もなかったのです。

また、工場内や事務所にモノがあふれかえり、日が差さないので物理的に職場が暗い状態でした。業務の性質上、原材料や商品などのモノが多いのは仕方ないのですが、ずっと清掃や整頓がされていないので、社内はどんよりとした空気感でした。

やはり、そのような雰囲気だと、仕事に意欲的でない社員も出てきます。午後5時終業なのに午後4時を過ぎると、机をきれいにして窓を眺めて時間を潰す社員や、就業中に処理できる仕事なのにダラダラやって残業代を稼ぐ社員もいる始末。会社としての生産性と社員の質は高いものではありませんでした。

父は代表だったので、会社の細部まで目が行き届かなかったようで、こうした実情に驚いていました。でも、どうしたら良いか分からないようでもありました。私はこうした雰囲気で仕事をするのは辛い、と思っていました。

人生を変えた一冊の本との出会い

ZCシリーズの「ゼロチップタップ」(写真提供:株式会社田野井製作所)

−−−−良好とは言えない職場環境で、どのようにキャリアを積んだのですか?

弊社は専門的な技術や知識を要する会社です。いくら創業家の人間でも、技術や知識を持たない当時の私が提言できることは限られていましした。

ただ、「会社の雰囲気は変えたいな」と思っていたところに、母が「社長が変われば会社は変わる!」という本を勧めてくれたのです。

この本はホッピービバレッジ株式会社の3代目として、大成功した石渡美奈さんの著書で、老舗メーカーの経営改革や成功体験が書かれていました。弊社とシンクロするところも多く、会社が変わっていくさまが興味深くて、一気に読んでしまいました。

この本に刺激を受けた私は、石渡さんを指導した中小企業コンサルタント小山昇さんの出版記念講演会があることを知り、父と一緒に聞きに行きました。内容はどれも面白く、その中で触れられた「仕事をやりやすくする環境整備の取り組み」なら私でもできるかもと考えたのです。

後日、小山さんが経営する会社から連絡をいただき、無料の経営セミナーに参加するようになりました。セミナーは経営者の後継ぎコースで学ばせていただき、このころから経営の在り方を意識し始めました。

−−−−先代の反応はどうだったのでしょうか?

入社後の父とは意見の相違でぶつかることもありましたが、大反対するようなことはなく、私を支持してくれました。田野井家は一家揃ってお酒を呑む機会がよくありました。あるとき、その場で兄弟の誰が跡を継ぐべきかの話題になりました。

私は先に入社した兄(長男)が妥当かと考えていましたが、ほかの全員が私を指差したのです。経営に興味はあるけど、社長キャラではないと思っていたのでびっくりしました。

後に聞いた話ですが、弊社は2代目の叔父と4代目の父の間で経営方針の相違があり、関係がギクシャクしてしまったのです。そのことに母はとても心を痛めていたようで、私たち兄弟の間では絶対そうなってほしくないと考えていました。

どうやら母の思いをほかの家族が聞いていたようで、バランスをうまく取りそうな、私に事業を承継してほしいと思っていたようです。

呑みの席からしばらく経った2009年の末に、父から「1月の株主総会で優美を役員にしようと思う」と告げられました。

当時、会社はリーマンショックの影響で売り上げが8割も落ち込んで大変な状況になったのですが、父は時代の流れに合わせられる経営者でした。100年の1度の大不況を乗り越えるには、会社組織を一変するような改革が必要と考えていたのでしょう。

時代の変化に対応しやすい若手を起用し、手始めに私を副社長に推薦したわけです。その提案を受け入れた私は、海外部の主任から副社長に抜擢されました。

「仕事をやりやすくする環境整備」で会社の雰囲気が一変

−−−−副社長就任後にはじめたことを教えてください。

それまで、副社長というポジションは田野井製作所にありませんでした。何をどうしたらいいのか分からない状況で、父からは「製造、技術、営業、管理の4部門を統括して会社を改革せよ」という難易度の高いミッションが課せられたのです。

私はこの4部門を深く理解していたわけではないので、まずは「仕事をやりやすくする環境整備」から始めることにしました。

掃除と環境整備は同じようで別のものです。掃除は汚れているところをきれいにすることですが、環境整備とは目的意識を持って計画的に掃除と整理整頓をすることです。

副社長になって初めての試みとして、モノが無造作にあふれていた倉庫の環境整備をしました。倉庫のモノすべてを駐車場に出し、要不要の別で分けます。さらに必要なモノでも、よく使うモノは手前側の取り出しやすいところに、使用頻度が低いモノは奥のほうに配置するなど工夫し、社員全員で徹底的にやりました。

すると倉庫の1階分のスペースが空いて、ビフォー・アフターで比べると明らかに違いが出ました。清掃もしたのできれいになって、窓からは日が差して明るい。モノの置き場所も全員で共有できるので、仕事のやりやすさを全員で体験できたよい機会でした。

2010年からは5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)の環境整備を導入し、就業中の20分間は環境整備の時間にしています。現在も続けていて、15年経つのですが、お客さまに自信持って工場見学をしてもらえるようになりました。やはり、外部の人から見られると刺激になるので、現在では社員全員が意識的に動いてくれるようになりました。

−−−−そのほかの取り組みを教えてください。

会社の理念・信条・目標など30項目でまとめた方針書を作成しました。毎朝の朝礼で方針書の一つを唱和して、最後に挨拶の練習をするのです。私が入社したときは挨拶の習慣がないため、社内が暗い雰囲気でした。挨拶は礼儀やコミュニケーションの基本ですので、私が率先して、しつこいほど挨拶をするようにしました。

また、方針書の1つに「3分前行動を基本とする」があるのですが、取り組みを始めた当初はギリギリで来たり、遅れて来たりする社員がいました。しかし、あるとき社員全員が集まるタイミングで3分前に全員が集まっていたのです。気がつけば挨拶も習慣付いて社内が明るい雰囲気になりました。

これらの習慣は3年間ほど継続して変わってきた印象です。やはり、会社や社員が変わっていくさまを見ると感動しますし、会社自体が活気づきます。私の取り組みは一部で反発もありましたが、製造、技術、営業、管理の4部門に規律ができて、父も喜んでくれました。

副社長になってから4年目の2013年は、創立90周年の節目でした。社内改革を認めてくれた父は元気なうちに事業を承継したい意向があり、この年から私が代表取締役社長になっています。

好循環を生み出すための「人づくり」改革とは

−−−−改革後の売り上げはいかがでしょうか?

入社した当時、売上自体は現在より多くありました。ただ、それは利益率の低い従来の商品を大量に買ってもらう代わりに、大幅な値引きをしていたのです。赤字で売っていたケースもあり、売り上げがあるのに財務状況が悪かったのです。

弊社にしかできないオンリーワンの商品があるので、代表就任後はそれに注力しています。例えば、弊社には「ゼロチップタップ」や「シームレスタフレット」といったZCシリーズというオリジナリティあふれる商品があります。これらは他社の類似品に比べると高価ですが、寿命が何倍も長く、製品も高品質に仕上がる構造です。

顧客としては、切りくずを取ったり、目視して確認するという工程がなくなり、トータルでメリットが大きくなります。そのメリットをお客さまに理解してもらいやすいようにしたのが「ドクターセールス」という営業スタイルです。

父の提案ではじめた取り組みで、顧客のニーズや要望に応え、さらにアフターサービスを充実させる営業です。売りっぱなしではなく、弊社がお客さまの主治医となって親身に対応していく仕組みです。

私が代表就任後は、以前のような単に売り上げを立てるための値引きをやめさせ、ドクターセールスを推進していきました。その結果が近年の数字に表れて、粗利率が10%以上も上がりました。

−−−−今後、力を入れたい取り組みと事業承継について聞かせてください。

祖父と父がつくってきた土台は、今でも生きています。私は専門的な知識が不十分のまま事業を承継したこともあり、モノづくりではなく「人づくり」に注力してきました。

副社長時代に父からの教えで「企業は人なり」と学びました。企業にとっての血とは人のことです。新しい血を入れていかないと澱んでしまうので、好況不況に関係なく新卒採用を続けて、組織を活性化していきたいです。

人にとって仕事の時間は人生の大半を占めています。だったら、やり甲斐のある仕事をしてほしいですし、お客さまが喜んでもらう対価として、会社の利益が上がり、全員に還元できるような会社づくりを目指していきます。そのうえで、モノづくりと人づくりを通して社会貢献を大事にしていくのも私の務めと考えています。

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田野井優美氏プロフィール

株式会社田野井製作所 代表取締役社長 田野井 優美 氏

1976年、東京都生まれ。高校卒業後、カナダとアメリカに留学し、2002年サンタモニカカレッジ インターナショナルビジネス修了後、田野井製作所入社。海外経験とビジネスセミナーで学んだ経験をもとに社内改革を実践し、2009年に取締役副社長に就任。創業90周年の2013年に代表取締役社長に就任し、次代の経営体制に向けて新たな取り組みを開始。創業100年を超えるタップ・ダイスメーカーの高い技術と商品開発に尽力し、「モノづくりは人づくり」をスローガンに掲げ、人財育成に力を注ぐ。

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