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大阪・豊中の「ご当地ソング」歌うミュージシャン、コロナで閉まった地元ライブハウスを引き継いだ理由

大阪府豊中市にある「Live café ARETHA(ライブカフェ・アレサ)」。2007年に前オーナーが開店し、地域に根付いた音楽などの活動拠点として愛されてきた。しかし、2021年、新型コロナウイルス禍で閉店を余儀なくされる。この場を残したいというオーナーの思いに共感して手を挙げたのは、地元出身のミュージシャン・大橋右京氏(33)だった。

サークル活動も盛んだったLive café ARETHA

ゴスペルサークル(写真提供:Live Cafe ARETHA)

−−−−右京さんが承継する前のLive café ARETHA(以下アレサ)はどのようなお店でしたか?

2007年9月に前オーナーがこの店を立ち上げて、僕が継ぐまで約14年営業されていました。前オーナーはバンド活動をしており、バンド仲間が集える温かいお店を作りたいと立ち上げたそうです。ご夫婦でお店を切り盛りし、奥様がオーナー、旦那様が音響などのサポートをしていました。

豊中市は大阪の中心地・梅田にも近いのですが、アレサは住宅街の中にあるので、どちらかというと地元の方々に親しまれている雰囲気で、客層も幅広かったようです。音楽のジャンルには特にこだわらず、ロックもジャズもありという感じでした。

ちなみに現在は、僕自身がアコースティックの弾き語りで活動していたこともあり、弾き語りやフォーク、シンガーソングライターの方々の比率が多いです。

バンドのライブイベントのほか、ふらっと来た人も演奏が楽しめるようなセッションの会などもありました。

ライブハウスには珍しい特徴として、ゴスペルや青春の歌クラブなど、サークルがたくさんあって、発表や練習の場として使われていたことです。それらのサークルは現在も引き続き活動しています。

−−−−前オーナーがお店を閉めた理由は?

2020年、コロナ禍でバンドが集まることができない状況になり、ライブハウスの利用自体が非常に減りました。営業規制もあったため運営が難しくなり、2021年4月に閉店が発表されました。

昼は大学職員、夜はミュージシャン活動

ARETHAリスタート記念セレモニー(写真提供:Live Cafe ARETHA)

−−−−大橋さんご自身の経歴を教えてください。

音楽活動を始めたのは大学3年生で、サークルでコピーバンドをやっていました。大学を卒業してからは着物販売の仕事に就きました。

仕事は楽しかったのですが、音楽を本気でやれる時間を若いうちにつくりたいと思って、2年で着物屋を辞めました。2013年のことです。

その後、昼間は非常勤で大学事務員をしながら、夜や週末はシンガーソングライターとしての活動を精力的にやっていきました。飲食店でお客様のリクエストに応じて歌ったり、心斎橋やアメ村でライブをしたり。自分のオリジナル曲を作りはじめたのはその頃です。

そのうち、大阪市内だけでなく、身近な郊外にもライブハウスがあるのを知りました。ライブバーという感じのところが多く、規模は小さいけれど出演者もディープで面白い人たちが集まっていて、自分の肌に合っていると感じました。それで、活動拠点をそういった場所に移していったわけです。

−−−−そこで選んだのが豊中市ですね。

僕は豊中市曽根で生まれ育っており、豊中市を活動拠点にしたいと思っていました。そこで曽根の隣の服部天神にあるライブカフェを中心に活動を始めました。

地元で活動する際、何かご当地ソングみたいな歌があったら、地元が盛り上がっていくんじゃないかなと思って、服部天神の勝手にPRソングを作って歌っていました。

地域を盛り上げる音楽フェスを主催

服部天神うたおこしフェスティバル『服部Beat』(写真提供:Live Cafe ARETHA)

−−−−地元の活動は、具体的にはどんなことを?

服部天神は当時、先ほど言ったライブカフェ以外はほとんどなかったので、普通の飲食店、居酒屋さんやカフェなどで歌わせてもらって、活動拠点を広げていこうと思いました。

すると、お客としてお店に行くうち、魅力的な個人のお店がとても多いことに気づきました。これは町としての強みかなと思い、街の魅力を地域で活動するミュージシャンの音楽にのせて発信できるようなイベントを考えました。2019年から始めた「服部天神町おこしフェスティバルHattori Beat」というイベントです。

−−−−フェスティバルの内容はどのようなものですか?

初年度、イベント運営に関係して、若者の就労支援をしている人とつながりができ、就労支援に通う若者に運営を手伝ってもらいました。最初の会場になったのが、服部天神にある、機械の故障で使われなくなったプラネタリウムドームです。地域の飲食店さんにも出店してもらい、音楽フェスを開催したのです。

地元が音楽で盛り上がっていったらいいなという気持ちがありますし、豊中市も「音楽あふれるまち」というスローガンを掲げていので、そこにも貢献できる活動かなと考えています。

閉店するアレサの承継に手を挙げる

−−−−アレサさんとは、もともとつながりがあったのですか?

僕は出演者側でした。2018年、僕自身の音楽活動5周年で、地元豊中で初めてのワンマンライブをやりたいと、豊中のライブハウスを探していてアレサに出会ったのが最初のご縁です。

ライブ後もちょくちょく、前オーナーからイベントに誘ってもらい、僕が主催する町おこしのイベントのポスターを貼らせてもらうなど、つながりが続いていました。

−−−−大橋さんがお店を引き継ぐことになったのはどういう経緯ですか?

2021年4月、前オーナーがfacebookで閉店発表をされると同時に、この場所を生かしてお店をやってくれる人はいますか、という呼びかけをされていました。それを僕が見て、ちょっと興味があるのでお話を聞かせてくださいと連絡をしたのがきっかけです。

前オーナーが、店舗を残したい理由としては、もともとここにサークルで毎月通っているお客様が多かったので、その方々の場所をなくしたくないということ。

もう一つは実際に取り壊すとなると解体費用がすごくかかるということでした。アレサは教会のように天井が高くて、演奏する人にも聞く人にも、音がいいとよく言われる空間です。話を聞いて、より一層、この場所がなくなってしまうのはもったいないと思えました。

僕は維持費のことが気になっていたのですが、いろいろなお店を回らせてもらう中で、どういう感じでやっていけばいいのかなんとなく想像ができたので、ぜひやらせていただきたいという話をしました。

4月末には、大学事務の仕事を辞めたいと伝えて、1カ月間ぐらいの期間でバタバタと準備をして、6月に何とかリスタートを切れたという流れになりますね。

−−−−前オーナーが大橋さんにお任せしようと思った決め手は何だったと思われますか?

他にも5、6件、興味がありますという連絡はあったそうですが、条件面などで、実際に引き継ぐ話に至らなかったようです。

前オーナーのお話では、僕が地域に根ざした音楽活動をしていて、音楽の業界以外にも地域で頑張っている人たちとつながりがあり、僕のことを助けてくれる人が多いイメージがあったとのことです。

僕としても、地元に根ざして楽しいお店作りができるという、ちょっとした自信があった部分もありますし、その部分を感じてくれたのかなと思います。

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大橋右京氏プロフィール

Live Cafe ARETHA オーナー 大橋 右京 氏

1992年、大阪府生まれ。関西大学卒業後、着物販売、大学非常勤職員の仕事を経てシンガーソングライターに。2021年6月、大阪府豊中市曽根地区にあるLive Cafe ARETHAの閉店に際し、前オーナー夫妻から同店を引き継いで2代目オーナーとなる。曽根の隣町・服部天神地区を盛り上げる活動Hattori Beat実行委員長。

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