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「チャンスは年に一度だけ」父から特殊な会社を継いだ3代目 前職をやめるとき、後輩が伝えた言葉に涙が流れて

固定資産税に関する事務効率化につながるサービスを提供する「株式会社ダイショウ」(東京都中央区)。顧客からは高い評価を得ており、政令指定都市である4都市をはじめ、全国で200超の自治体でサービスの導入が進んでいる。父親から事業を継承し、3代目となる金ヶ江哲平代表取締役社長(42)に、自治体・行政向けサービスならではの難しさなどについて伺った。

自治体のDX化に貢献

前職の同期と旅行に行った際のお写真。2010年頃。(写真提供:株式会社ダイショウ)

――会社の歴史について教えてください。

ダイショウは1982年に創業した会社で、私が3代目です。父が2代目で、先代から継承しています。ダイショウの由来は「台帳照合」の略からきており、普段は全国の地方自治体とお付き合いをしています。

業務内容を平たく言うと、手作業で行っている固定資産税業務をシステム化して省力化し、ミスを無くすことで課税の適正化を実現するというものです。

父が引き継いだ当時は、業容も安定せず、債務超過でいつどうなってもおかしくない状態だったそうですが、徐々に事業が軌道に乗り、業績はV字回復、その後、今の主力サービスがローンチされ、現在では導入数・売上ともに順調に伸長しています。

――現在の主力事業について教えてください。

ダイショウの主力事業は、固定資産税に関わる事務作業の省力化と、課税の適正化を同時に実現するサービスの提供です。

物件を持つと、固定資産税がかかりますが、固定資産税は、確定申告等の「納税者が自ら税額を申告する」申告税ではなく、「自治体から通知された額を納税する」賦課税なので、税額計算や通知の際は、より慎重さが求められます。例えば、保有している土地や建物を誰かに販売すると、持ち主が変わったことを証明する「登記済通知書」という書類が法務局から自治体宛に発行されます。自治体の固定資産税担当は、この登記済通知書を元に所有者のデータを変更し、年に1度、新たな所有者に固定資産税の賦課通知をします。この登記済通知書は、データでも受領出来ますが、未だに半分以上の自治体様が紙で受領しており、人口が多い自治体では月に何箱もの登記済通知書の束が送られてきます。

これら大量の紙の束を手作業で仕分けしたり、異動データをメインシステムにただただ入力するといった業務に追われ、現地に赴いて実際の家屋を見たりすることで正確な税額計算を行うといった、職員本来の業務が疎かになってしまう、といった声が現場から上がっていました。

――それだけ多くの書類を人の手で1つの間違いもなく管理するのは非常に難しいですよね。

そこで、我々は登記済通知書をデータに変換する特許を取り、そのまま管理できる仕組みを開発しました。これによって職員の手間が少なくなり、入力ミスを減らせます。課税の適正化と業務省力化の2つを同時に行えることが、弊社サービスの大きな特徴だと言えると思います。

行政向けサービスは年に一度しか導入のチャンスがない

――自治体および、行政向けサービスならではの難しさはどこにあるのでしょうか?

自治体向けの商売は、年に一度しか導入のチャンスがないことでしょうか。予算を確保するタイミングが原則1年に1回しかないからです。

当社の営業サイクルとして、基本的には、夏前に各自治体へサービスの紹介に伺い、システムのデモンストレーションを行います。現場から必要なサービスであると認めて頂いたのち、固定資産税担当部署から予算要求を上げて頂き、首長(市長・町長等)の承認を経て議会審議に進むといったプロセスになりますが、どの段階でつまずいても導入が進められません。

――自治体の場合、意思決定者へ稟議をあげる際に説明が難しそうですよね。

現場の方に対して、いかにダイショウのサービスが皆さんにとって役に立つものなのか、ご理解いただくことが非常に重要です。欲しいと感じていただけても、どのようにあげればいいのかわからなかったり、そもそも財政が厳しく動きようがないという方もいらっしゃいますので、その場合は稟議書の作成をお手伝いしたり、自治体様が使える補助金などをご紹介しています。そこにも難しさと言えるかもしれません。


大手商社・ベンチャー企業への出向を経て入社

――ダイショウに入るまでの経歴と入社経緯を教えてください。

私は、2008年に三菱商事へ入社しました。もともと食べ物にかかわる仕事をしたい気持ちがあって三菱商事に入り、運良く食糧部門へと配属されています。

その頃、父が経営しているダイショウは、V字回復は遂げたものの、安定しているとは言い難い状況であり、就活のタイミングで「うちの会社に来ないか?」という話もなく、私自身も父が経営している会社へ就職する選択肢はありませんでした。

三菱商事での仕事は、非常に楽しかったです。やりがいもあったので、このまま会社に骨をうずめるつもりでいました。

その後、2019年に新潟のベンチャー企業への出資機会を得たことで、自ら出向して経営に参画しています。しかし、その会社では新規ビジネスの立ち上げなど非常に貴重な経験を積めましたが、コロナ禍もあり、少し心と体のバランスを崩してしまいました。

――そこからどのような流れで話が進んだのでしょうか?

新潟から東京へ出張で来るときに、たまたま父母と話す機会がありました。父は基本的に営業から上がってきた人間なので、コロナ禍において自分のスタイルで仕事ができない状態にストレスをためていたようです。

このタイミングで父から私へ「じゃあ、やってみるか?」という話が初めてありました。

私は三菱商事がずっと大好きで、辞めるつもりもありませんでした。しかし、悩んだ末に、40歳を前にして「ちょっとやってみようか」と考え、父から会社を継ぐ前提でダイショウへ入社したのです。

後ろ髪引かれる思いがあるなかでかけられた後輩からの言葉

――会社を承継しようと決めた理由は何だったのでしょうか?

自分ですべての責任が取れ、自由に仕事ができる環境に強い憧れがあったからです。ダイショウへ入社してから3年ほど経過し、従業員や仕事内容に愛着が出てきました。守り一辺倒ではいけませんが、従業員の生活やいまのお客様を守っていかなければならないと、強い使命感を持っています。

守りばかりではこのままじり貧になってしまうので、新しいビジネスも手掛けていかなければなりません。そこの怖さとワクワク感を、ちょうど半々ぐらい感じています。

代表取締役社長には2023年の11月に就任しました。弊社は9月決算なので、11月の株主総会のタイミングで正式に決まりました。

――代表取締役社長へ就任するにあたって、感情を揺さぶられたエピソードがあれば教えてください。

前の会社を退職する際に、当時の同僚からかけられた言葉が印象に残っています。三菱商事を辞める最終日に、仕事をともにした社員と飲みに行っていたときの話です。

私のなかでは、新潟の会社で新規事業の立ち上げはできたものの、軌道に乗せられなかったと感じていました。大見え切って「会社を大きくするぞ」と言ったものの、途中でドロップアウトしたこともあり、後ろ髪引かれる思いが強く申し訳ない気持ちでいたのです。

最終日に、仲の良い後輩や同期と朝方までお酒を飲みながら「なにも残せなかった。申し訳なかったな」みたいなことを、私がポロッと言いました。すると、後輩から「金ヶ江さんは僕たちを残したじゃないですか」と、言ってもらえたのです。

――そのように言ってもらえるのは非常に嬉しいですよね。

他にも「あなたの仕事ぶりやどのような想いで仕事をしてきたかは、僕らが引き継いでいます。お父さんの会社でもしっかり頑張ってきてください」と言われたときは、涙が出てきました。その言葉を聞いて、ダイショウでは死ぬ気でやらなければいけないなと感じたことを今でもはっきりと覚えています。

(取材・文/長島啓太)

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金ヶ江哲平氏プロフィール

株式会社ダイショウ 代表取締役社長 金ヶ江 哲平 氏

1983年、茨城県生まれ。大学を卒業後、三菱商事株式会社へ入社し、米や青果物、冷凍鮪などを担当。2019年からは、営農支援アプリやオンライン米取引仲介サービスの運営を行うウォーターセル株式会社へ出向し、新規事業の立ち上げなどを経験。2022年に株式会社ダイショウへ入社し、2023年11月に代表取締役社長へ着任。全国200超の自治体でサービスの導入が進んでおり、固定資産税業務をはじめとする行政事務における課税の適正化と業務省力化の支援を手掛けている。

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