「地方は売上の天井が低い」人口100万人以下の県の老舗企業が選ぶ「会社を潰さないため」のビジネス戦略とは

佐賀県で土木建設業や製紙業など多角的な事業を展開する株式会社エグチ・ビルド。1928年に創業し、従業員100名以上を抱える地域に根ざした老舗企業だ。「選択と集中」ではなく「多角化」の戦略を採用することで経営の安定化を図る戦略をとり、さらに多角化を推し進めようとしているのが4代目・江口功二代表取締役だ。資本や人材、市場が限られる地方で、多角化経営を進める経営戦略と事業承継について聞いた。
目次
佐賀という地方性を考慮して選んだ「多角化」

──御社の事業内容について教えてください。
佐賀県で土木・建築・製造業・警備・不動産の5つの事業を展開している企業です。売上の構成比率は、5つの事業がほぼ同じ割合で分散しています。現在、事業の多角化を進めていて、2025年には飲食店もオープンする予定です。
──中小企業が積極的に多角化を進めるのは珍しいようにも思えます。江口さんが家業に戻る前はどのような状態だったのでしょうか。
エグチ・ビルドは1928年に王子製紙グループの製紙工場の仕事を請け負う企業として創業しました。そこから土木の公共工事を担うようになり、建築、警備と事業領域を拡大してきました。
私が入社する前から5つの事業があり、幅広く事業を展開しています。
──その中でも強みのある事業はどれでしょうか。
公共工事を手がけている土木事業です。公共工事を受注する企業は、国土交通省により、AランクからDランクまで4段階のランク付けが行われています。
評価基準は、経営規模、経営状況、技術力など企業の総合力を数値化したものです。このランクにより受注できる工事の規模が変化します。
弊社はAランクを獲得しているので、規模の大きい工事を受注し、施工することができます。入札が実施されるため毎年安定して受注できるわけではありませんが、会社の業績に対する貢献は大きいです。
──他の事業も同程度の売上があるということですが。
佐賀県の人口は100万人を切っていて、全体的な経済規模は大きくありません。なので、一つの事業の売上の天井がそれほど高くありません。
もし東京などの都市圏であれば、専門領域に特化して売上を伸ばすこともできるかと思います。ただ、佐賀県で人手が必要な事業を展開する場合、一つの事業で企業を成長させることは難易度が高いように感じます。
私は「潰れない会社」を目指しています。できるだけ企業の幅を広げることで、一つの事業がダメージを受けても耐えられるような体力のある会社にしていきたいと思っています。
既存の事業の整備を進めながら、少しずつ事業領域を拡大しているのが現状です。ゆくゆくは、農業や商社の事業も始めたいと考えています。
琉球大学から王子製紙、そして銀座での「気づき」

──江口さんがエグチ・ビルドに入社するまでの経緯を教えてください。
琉球大学を卒業した後、王子製紙のグループ会社に入社しました。1年間は工場で実習を受けて、その後は東京・銀座にある王子製紙グループの本社に出向し、営業職としてルート営業に従事しました。
王子製紙にはグループ全体で3万人以上の従業員が所属しています。組織のあり方について学ぶことができました。
役職ごとに役割を分担して仕事を進める一方で、規模の大きい案件は人間同士の関係性で最終的に受注が決まることを知りました。私自身はグループ会社からの出向だったので、親会社の方から仕事を安心して任せてもらえるよう、仕事を断らないようにしていましたね。
──東京でのビジネスパーソンとしての生活はいかがでしたか。
初めての東京での生活だったので、最初は電車の乗り方もわかりませんでした。ただ、上京したことで周囲にいる人も変わり、僕自身の考え方も徐々に変化したんです。
銀座のスターバックスでは朝の6時から勉強している人が多く、昼休みも終業後の夜も同じように自己研鑽に励むビジネスパーソンがたくさんいました。
これまでの経歴に捉われずに自分で道を切り開いてキャリアを作る人も周りにいて、「自分次第で何でもできる」と思うようになったんです。
それから起業系のセミナーを受けたり、調理師免許を取得したりしながら多くの人の考えに触れて、価値観を広げていきました。
──東京という環境が刺激になったんですね。
私自身、こだわりがそれほど強いわけではなく、幅広いことに好奇心を持つ性格です。情報の多い東京という環境と相性がよかったんでしょうね。この時は家業を継ぐことよりも起業することに興味がありました。
起業よりも家業を継ぐ道を選択
──家業を継ぐことになった理由を教えてください
社会人になった時は会社を継ごうとは考えていませんでした。ただ、大きな企業で働く中で会社員のメリットだけではなく、デメリットも見えてきました。スピード感を持って行動したい時、合理的ではないルールが残っていることもありました。
ただ、それを変えることは難しく、改革しようとしていた先輩もいましたが、どこかで諦めてしまう。ならば、自分で合理的な組織を作って色々なチャレンジをしたいと思うようになりました。
起業という選択肢もありましたが、父は数十億円規模の会社を経営していました。東京で生活をさせてくれた恩もあります。「100年近くの歴史を持つ家業を継いで、色々なことに挑戦しよう」と思い、家業を継ぐことを決意しました。
──お父様との話し合いはどのようなものでしたか。
戻る時の役割で少し揉めました。父は平社員から経験を積んで昇進することを望んでいましたが、僕としては東京で学んだ要素を会社に活かし、成長させたいと思っていました。その場合、平社員だとできません。なので、それなりの役職を求めて話し合った結果、常務として入社しました。
──多角的に事業を展開していますが、その内容を把握するのは大変ではありませんでしたか。
エグチ・ビルドは多角化した事業を展開しているので4種類の国家資格を取得しました。半年間、夜の12時過ぎまで資格の勉強をしていましたね。それと同時並行で「組織化」をテーマに掲げ、1年に1ペースで事業の改革を進めました。
(取材・文/中島彰宏)
江口功二氏プロフィール
株式会社エグチ・ビルド 代表取締役 江口 功二 氏
1987年佐賀県生まれ。琉球大学卒業後、王子製紙グループ会社に入社し、ルート営業を担当。2019年に株式会社エグチ・ビルドに常務取締役として入社し、2024年7月に代表取締役に就任。土木・建築・製造・警備・不動産の5事業を展開し、現在は飲食事業の立ち上げも手がける。
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