世界最高のシャンパンメーカー社長が涙、新潟・燕が生んだ「銅の器」とは バブルで経営危機、江戸時代からの高い技術で再建した7代目

高度な金属加工産業で知られる新潟県燕市で、200年以上に渡り「鎚起銅器(ついきどうき)」を製造している玉川堂(ぎょくせんどう、新潟県燕市)。世界で唯一、銅に鮮やかな着色を施す技術を持つ。バブル崩壊後、社員の半分を解雇するほど経営危機に陥っていたが、現在は東京に2店舗の直営店をオープンし、海外からの売上獲得にも成功している。7代目となる玉川基行代表(55)に、再建を果たすことができた理由と道のりを聞いた。
目次
世界トップレベルの技術力がある。立て直せるはず。

――会社の歴史について教えてください。
1816(文化13)年に新潟県燕市で創業しました。1枚の銅板を鎚で叩き、器の形にする「鎚起銅器」を製造しています。伝統工芸品のため職人が手作りしており、代表的な製品は湯沸やコーヒーポット、ぐい呑みなどです。
現在は、東京の銀座や西麻布に直営店を出店しており、売上の半分は海外から訪れたお客様になります。
――会社に入社したのはいつでしょうか。
玉川堂は、バブル崩壊後、売上が1/3にまで減少し、従業員の半数を解雇しました。当時、私は大学3年生でしたが、父に「玉川堂が潰れそうだから、すぐに入社して営業として売り上げを作ってほしい」と言われました。
玉川堂で作る銅器は世界でもトップレベルの加工技術と着色技術が使われていると自負していました。だから、販売方法を変えれば立て直せると思い、大学卒業後に入社しました。
――入社後はどのようなことに取り組んだのでしょうか。
当時の玉川堂は、企業の贈答品として多く使われており、問屋を経由して商品を販売していました。しかし、最終的な消費者のニーズをつかみにくかったので、物流や販売ルートの改革に取り組みました。
「自分たちが作ったものを自分たちの手で売っていこう」と思っていたので、問屋との取引をやめると同時に、百貨店へ飛び込みで営業をかけました。
そして、ある百貨店で実演販売のチャンスをいただき、花瓶や置物などの商品を販売するところまでこぎつけました。しかし、企業の贈答用に作った製品は、百貨店に訪れるお客様のニーズにマッチしておらず、全く売れませんでした。
その時、百貨店の担当者やお客様から「新潟はお酒が有名ですよね。ぐい呑みやビールカップを作ってみては?」とアドバイスをいただき、銅製の酒器を作り始めたら徐々に売り上げが上向いてきたのです。
――銅製の酒器の特徴について教えてください。
ガラスなどの他の素材の酒器と比べて飲み口がまろやかになります。ガラス製と銅製の酒器で試飲会を催すなどして、味の違いをアピールすることに成功し、どんどん売れ始めました。
それから百貨店業界で「いい製品がある」と広まり、百貨店の取引数は30店舗以上にまで増えました。5年ほどかけて経営危機から抜け出すことができましたね。
海外に出るのではなく来てもらうメーカーへ

――社長就任後について教えてください。
2003年、32歳で社長に就任しました。この頃から百貨店の販売だけではなく、海外への販売に力を入れ始めました。マイセンやウェッジウッドなど世界的なリビング用品ブランドが集結するドイツ・フランクフルトの見本市に出展したり、パリの見本市にも出展したりしました。
最初は単独で出展できるほどの力はなかったので、新潟県や燕市の商工会議所のブースに一緒に出させてもらう形をとっていましたね。
――海外に出展した時の反応はいかがでしたか。
現地の方の反応はよかったですが、契約を結ぶ段階になると価格がネックになり、破談になることがほとんどでした。「このままだと厳しい」「現地販売以外のアプローチを展開する必要がある」と思っていた時、フランクフルトの見本市で知り合った会社から魅力的なオファーを受けます。
そのオファーは、ルイ・ヴィトングループで世界最高峰のシャンパンメーカー「KRUG(クリュッグ)」のボトルクーラーを作ってほしいというものでした。
そのボトルクーラーは無事完成し、「KRUG(クリュッグ)」の6代目社長が玉川堂の本社で記者会見を開いてくれました。
その際に工場を案内したのですが、1枚の銅を叩いて器にしていく鎚起銅器の技術を見て涙を流して感動してくれました。非常にうれしかったです。
半年後、私もフランス・シャンパーニュ地方の本社に行って、葡萄畑を案内してもらいました。KRUGの職人が一生懸命に葡萄畑で作業している姿を見て、感動して涙がでてきまして。「これまでニューヨークやパリに直営店を作りたいと思っていたけど、そうではない。海外から燕三条の本社に来てもらえるブランドになろう」と決意を改めました。
(取材・文/中 たんぺい)
玉川基行氏プロフィール
玉川堂 代表 玉川 基行 氏
鎚起銅器「玉川堂」7代目。1970年、新潟県・燕市生まれ。1995年玉川堂へ入社し、2003年に7代目に就任。流通経路の改革に挑み、経営危機を立て直す。現在は、唯一無二の伝統工芸品ブランドを目指し、直営店を3店舗展開する。
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