「1日50食」も売れず、自分で作った麺を廃棄する日々「本当につらかった」 創業70年の製麺所、3代目が貫いた「特別な製法」

バブル崩壊後の厳しい経営状況の中、27歳で家業を継承した石川製麺所(栃木県鹿沼市)3代目の石川信幸代表取締役。販路に苦しみ「1日50食」の目標も達成できず、自分で作った麺を廃棄する日々が続いたが、手間のかかる「せいろ2度蒸し製法」を守り抜いた。その後、地道な営業活動と、ニラ色の麺やイチゴ柄の麺など栃木ならではの話題性のある商品開発で活路を見出し、今では子ども食堂への協力など地域貢献にも力を入れる。地元に必要とされる製麺所を確立した、挑戦の軌跡を石川氏に聞いた。
目次
受け継がれる「せいろ2度蒸し」の神髄

──「せいろ2度蒸し製法」について教えてください。
製法自体は祖父の代からのものです。当初は1度蒸しでしたが、麺の硬さや食感を追求する中で2度蒸しに行き着きました。
せいろで蒸すことで、通常の蒸し方より高い温度と圧力をかけることができます。せいろ内の温度と圧力が高いため、蒸し時間を長くすると蒸気量より蒸発量の方が多くなるため、麺から水分が抜けていきます。
そのため、茹でて作る麺より水分量が少なく、麺1本1本の際立ちが良くなります。ただ、そのまま蒸し続けると固くなりすぎてしまうので、1度せいろから出して水分補給をし、再度蒸すことで、理想的な食感を実現しています。
──手間がかかりますが、なぜこの製法を続けているのでしょうか?
はっきり言うと、量産には向いていません。通常の製麺所であれば、効率を考えて茹でる方式を選ぶところですが、あえてせいろ2度蒸しを続けています。
効率は悪いですが、この方法でしか出せない食感があるからです。麺それぞれがくっつかず、もっちりとした食感を実現できる。研究と言えば聞こえはいいですが、単純に私自身が炭水化物好きで、より良い麺を追求したいという思いが強かったからです。
家業を継いだらいきなり代表に

──代表就任時の状況はいかがでしたか?
父から経営を引き継いだ時は、本当に厳しい状況でした。不景気の影響で取引先の飲食店が減少し、店舗で作る自家製麺がトレンドとなって需要も落ち込んでいました。
父は「嫌で継がされた」という思いがあったようで、私が就任すると同時に引退してしまい、ほぼ1人での船出となりました。
──具体的にどのような苦労がありましたか?
支払いも滞っていて、貯金を切り崩しながらの経営でした。取引先の問屋さんに1件1件電話して事情を説明し、仕入れを止めないでくれと頭を下げる日々。
その中でも「せいろ2度蒸し製法」という手間のかかる製法を変える選択肢は、不思議と頭に浮かびませんでした。
──若くして重責を担うことに、不安はありませんでしたか?
正直、詳しい経営状況も知らないまま引き継いだので、蓋を開けてみたら想像以上に厳しい状況でした。特に母が体調を崩し、父も引退してしまい、製造から販売、配達、経理まで、ほぼ1人で全ての業務を担わなければならない状況でした。
でも、辞めようという選択肢はなく、自分なりのやり方で這い上がってやろうという気持ちが強くなりました。私は「氷河期世代」でしたから、仕事があるだけ有り難い、就職できれば幸運、といった時代の空気感もあり、経営状況が悪くても辞めるという選択肢は無かったのだと思います。
廃棄の多さに愕然、それでも譲れない麺への「こだわり」
──経営改善のために、どのような取り組みをしましたか?
まず知名度向上のため、一般販売に力を入れました。手書きのチラシをコンビニでコピーして、自分で近所にポスティングして回りました。サンプルを配ったこともあります。
さらに、品質へのこだわりから、作り置きを完全に廃止。朝製造した麺を当日中に売り切るという販売スタイルに変更しました。
目標は1日50食でしたが、それすら売り切れない日が続きました。廃棄も多く、1カ月で10キロ以上捨てることもありました。でも、品質を守るためにはこの方針しかないと信じていました。
その後、徐々にお客様が増え、スーパーマーケットなど新しい販路も開拓できて、少しずつ状況が改善していきました。
──廃棄の多さに、心が折れることはなかったのですか?
本当に辛かったですね。早朝から一生懸命作った麺を、その日のうちに廃棄する。お金を出して原料を買って、手間をかけて作って、そしてまたお金をかけて廃棄する。
その時は、プラスになることが1つもないことをずっとやっていました。妻からも「なぜやめないの?」とよく言われました。
でも、品質を保つために、ここは譲れない部分だったので、続けました。今思えば、その時の決断が、お客様からの信頼につながっているのかもしれません。それでもまだ、世の中が常に不安定なので、「これで家業は大丈夫」と思えたことはまだありません。
特産物のニラやいちごも麺に!地域に根差す企業として
──近年の新しい取り組みについて教えてください。
品質の良さだけでは売れないということを学び、積極的な情報発信を心がけています。例えば、ニラを練り込んだ麺や、見た目がいちご色のうどんやワンタンの皮など、話題性のある商品開発にも取り組んでいます。
特にいちご色のうどんは、味は通常のうどんでありながら、見た目で楽しんでいただける商品として好評です。
──事業承継のあり方についての考え方に変化はありましたか?
特にコロナ禍で苦しい時期に、「ここまでして続ける意味はあるのか?」と考えました。月1回、お墓参りをしているのですが、その時にふと、祖父は決して子孫を苦しめるために事業を残したわけではないはずだと思ったんです。幸せに暮らすためのツールとして製麺所があり、必要とされる企業であり続けることが大切だと思うようになりました。
その思いから、今では子ども食堂への支援や地域イベントへの参加など、地域貢献にも力を入れています。企業として生き残るためには、消費者から必要とされ続けることが重要だと考えています。
──今後の事業承継についてはどのように考えていますか?
私には娘が3人いますが、必ずしも血縁での承継にはこだわっていません。以前は後継ぎのことで悩んでいましたが、考え方が変わってきました。
子どもたちには自由に幸せな人生を選んでほしい。むしろ、企業として成長させて、外部の方に引き継ぐという選択肢も視野に入れています。大切なのは、この企業が地域に必要とされ続けることだと考えています。必要とされなくなったら、それは役目を終えたということなのかもしれません。
石川信幸氏プロフィール
石川製麺所 代表取締役 石川信幸氏
1978年、栃木県生まれ。高校卒業後、アルバイトを経て引っ越し会社に勤務。2005年に現在勤める石川製麺所に入社、同時に代表取締役に就任。伝統的な「せいろ2度蒸し製法」を守りながら、一般消費者向け販売の強化や、アレルギー対応商品の展開など、新しい経営戦略を確立。季節などに合わせて鹿沼市の特産品を使った新商品も多く作り出しており、人気で買えない商品も。SNS運用も効果的に行う。現在は従業員5名で、地域に根ざした製麺所として確かな存在感を示している。
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