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「ポンコツ経営者が、きちんと排除される仕組み」を作った3代目 「目標未達成なら社長辞任」と全社員に公表した覚悟とは

塩化ビニール製品を取り扱って70年という歴史を誇る石塚株式会社。3代目の熊谷弘司代表取締役社長(42)は2010年に家業に入社するが、社内は低迷する業績を打破しようとしない空気に包まれていた。しかし、新規事業に孤軍奮闘で挑み、結果を残したことで風向きを変えていった。いま、「一定の条件をクリアできなければ、社長を辞任」という大胆な宣言を公表し、「ポンコツ経営者が排除される仕組み」を自ら作った熊谷氏に、社内改革の軌跡を聞いた。

成長する気がない企業を変えていくためには

手帳全品STI2025(写真提供:石塚株式会社)

−−−−入社した当時の会社状況を聞かせてください。

私が入社した2010年は、リーマンショックの影響を引きずっていた時期でした。業績は2008年に下がり、その後の数年が横ばい。健全な会社なら業績回復に取り組んでいるはずですが、弊社にその空気感はありませんでした。

多くの社員は、既存の取り引き先の対応が仕事という意識で、新市場開拓や商品開発をしておらず、危機感を持つ社員も少なかったと思います。

入社してすぐ、新市場開拓や商品開発を提案したのですが、古参の幹部たちは「今もやっていけているから、新しいことをやる必要がない」といった理由で取り合ってもらえませんでした。

古参の幹部からすると、将来の社長候補とはいえ経験の浅い私が、生意気に見えたのかもしれませんし、業績が危機的な状況ではなかったからかもしれません。

−−−−当時、どのような仕事に取り組んだのですか。

入社直後は、営業と事業開発の部署で、懲りずに新市場開拓や商品開発を懲りずに提案しました。しかし、埒があかないので、1人で「手帳事業」の開拓を始めました。

当時は「ほぼ日手帳」などカジュアルな手帳が増え始めていましたが、弊社は黒を基調とした昔ながらのベーシックな手帳カバーだけを作っていました。

私は、おしゃれでカジュアルな手帳カバーを作りたかったので、取り引き先で要望を聞き、中国の業者と手帳カバーを形にしたのです。

結果として、手帳カバーがヒットして事業開拓に成功し、新規の取り引き先と売り上げが拡大しました。すると、古参の幹部たちの私を見る目が変わり、だんだんと耳を傾けてくれるようになりました。

事業承継候補が入社する場合、ただ理想や展望を語るだけでなく、自ら動いて結果を出すことが大切だと学びました。

社内を良くする取り組みに「絶対」はない

物流施設施工事例(写真提供:石塚株式会社)

−−−取締役、そして社長となっていく中で、どのように社内を改革したのですか?

2022年、千代田ビジネス大賞を受賞しました。そこに至るまでには、いくつもの難問があったのですが、もっとも危惧したのは、社員の意見が上層部まで上がっていかない社内構造でした。

会社に問題があって、社員が改善を訴えても、意見が古参の幹部で止まってしまうような構造です。

2013年に取締役になり、社内の風通しを良くしようと考え、社員全員と1on1(ワンオンワン)の面談をはじめました。すると、多くの問題点に加え、社員の気持ちや能力が見えてきました。

あるとき、女性社員が泣きながら話をしてくれたことがありました。事情を聞くと、もっと仕事をしたいのにやらせてもらえない、という問題でした。

当時は「女性だからだめ」「女性に大きな仕事や役職は与えられない」といった風潮が弊社にも残っていたのです。

今では当たり前ですが、「仕事に性別は関係ない」と考えていたので、女性の上司に仕事を任せるように指示しました。その女性は、現在は経理課長をお願いしています。

1on1面談を始めてからは、社員の意見に耳を傾けつつ、良くない意見はちゃんと拒否する、フラット型の組織になっていきました。

しかし、フラット型組織で風通しが良くなると、部長や課長といった立場が機能しなくなる弊害が出てきました。本来なら部長や課長の判断と裁量で解決すべき問題まで、私が処理することになってしまいました。

さらには社員の要求水準が下がり、1on1の面談が不満をぶつける雑談の場になってしまったのです。

社内環境を変える取り組みは、効果の一方で副作用が出ることがあります。私が行った取り組みは、1on1面談以外にもいろいろと試しながら失敗したものもあります。

分かったことは、社内を良くする取り組みに「絶対」の正解はないということ。そのため、現在の社内体制は、フラット型からピラミッド型に戻しました。

千代田ビジネス大賞を受賞したことで、大きな改革をしたと思われる方がいるのですが、実はそうではなく、時々で出てきた問題を少しずつ解決しようと、試行錯誤した結果です。こうした取り組みは、時代とともに変えていくべきでしょうし、これからもトライアンドエラーで積み重ねていきたいと思います。

「経営の狙い」を社員に浸透させるには

−−−−経営計画書の共有はどのような狙いがあるのですか?

経営計画書は、文字通り会社の経営計画を示したもので、会社が成長していく上でとても重要です。代表になって以降、経営計画書では、売り上げの回復が難しい文房具や雑貨より、主力のビニールカーテンに注力することを明記しました。この計画は功を奏して現在に至っています。

経営計画書を共有したのは、トップの考えを会社の方針として全社員に理解してほしいからです。代表取締役に就任してからは、1on1面談で伝えていたのですが、面談の廃止以降は社内ブログで週に1回ほど更新していました。

近年は経営計画書の共有度を深めてもらうために、決算前の11月末に、社員全員を集めて説明会を実施しました。しかし、1年目の説明会後、社員がどれくらい読み込んでくれたか、を知るために資料を確認すると、8割ぐらいの社員は読んだ形跡がありませんでした。

もっと酷いのは読んだ形跡がない上、コーヒーをこぼした染みがある始末。簡単な説明会をしただけでは効果がないわけです。

そこで、2年目は毎週金曜日の朝に、経営計画書の内容を15分間説明する時間を設けました。すると、明らかに読み込みや書き込みをする社員が増えたため、3年目からは社員が取り組んだことや気に入った部分を話す「5分間スピーチ」を加えています。

このように、ちょっとした変化を付けるだけで経営計画書が意味のあるものとなり、会社の目標を共有しながら動いてくれる社員が出てくるのです。

「条件を達成できなければ社長辞任」なぜそんな宣言を

−−−−社長職を辞退する条件を社員に公表しているそうですが、とても大胆な公表です。どのような意図があるのですか?

自分で水準を決め、3年連続で達成しなければ社長職を辞退する、という決まりを公表しました。体裁的なものではなく、定量的な利益基準を定めています。

創業家の人間とはいえ、一定の目標を達成できない期間が3年続いたらポンコツな経営者です。無能な経営者がトップに居続けても、会社が良くなることはないので、ポンコツだったらきちんと排除される仕組みをつくりました。

この公表は、自分を鼓舞する意味合いもあります。あぐらをかいているように見られていたら、社員が目標を達成しないように振る舞うかもしれません。逆に社員が頑張ってくれるなら、私が認められることになります。

もしかすると本当に辞めることになるかもしれませんが、こうした公表をすることで日々の業務に力が入ります。

ビニールとプラスチックのイメージを覆すために

−−−−これから力を入れる取り組みとは?

主力商品のビニールカーテンのシェアを広げ、材料の発注から加工、施工管理まで対応する会社として存在感を高めていきたいです。同時に環境などに悪いイメージがあるビニールやプラスチックのイメージ向上に努めることが課題です。

ビニールやプラスチックはリサイクル性が高い素材です。最近では、紙製品がもてはやされていますが、例えば紙のストローが環境に良いか、というと一概にそうとも言い切れません。

紙ストローは樹脂でコーティングされているのでリサイクルができず、使用したらゴミになるだけ。もちろんプラスチックストローの回収には課題がありますが、「プラスチックやビニールは思っているほど悪者ではないよ」と発信していきたいです。

−−−−事業承継についてどのように考えていますか?

弊社のような非上場の中小ファミリー企業の経営は、ゴールのない駅伝と捉えています。私は第3区を走っているわけですが、ある程度の社員を抱える会社が、数十年も同じ事業だけをやって継続できるかというと、そうは思いません。

もちろん無理してチャレンジする必要はありませんが、次の世代の第4区に良い状態で承継してもらうには、新しいことをやっていくべきだと考えています。

弊社は創業者の祖父から父に事業を承継するとき、家族間で意思疎通ができず大問題になりました。非上場の中小ファミリー企業の事業リスクは、「事業がうまくいっている」「家族間に問題はないのか」「所有株は誰が持っているのか」の3つあります。

この3つをマネジメントできて、ゴールのない駅伝の走者になれるのですが、中小ファミリー企業の半分くらいが、こうしたリスクを解決できていません。弊社の場合、私が事業を承継するときに、父がしっかりと準備をして、家訓として後継者候補以外は家業に入れないなどの決まりごとを定めました。

父は会長になりましたが、私の方針にほとんど口を挟まないで、付かず離れずのスタンスのため、私は自由にやらせてもらっています。弊社の事業承継は2回ですが、承継を進めるなかで、多くの経験とノウハウが蓄積されました。

私個人としてはその経験とノウハウを伝えるようなコンサルも進めていきたいと思っています。

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熊谷弘司氏プロフィール

石塚株式会社 代表取締役社長 熊谷 弘司 氏

1982年、東京都生まれ。東京理科大学理工学部応用生物科学科を卒業後、2006年にアキレス株式会社へ入社。営業と商品開発を経て、2010年に家業である石塚株式会社に入社。入社直後から新しい商品の事業展開を実践し、2013年に取締役に就任。2015年に常務、2017年に専務を経てビニールカーテンの専門企業として地位を高める。2018年に代表取締役に就任。

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