業務スーパーが「安さ」と「安全」を両立させる徹底的な手法とは 31歳で、カリスマ社長の父から継いだ2代目が目指す「食のインフラ」

ユニークな商品展開と圧倒的な価格の安さで、右肩上がりの快進撃を続ける「業務スーパー」。そのフランチャイズ本部である神戸物産を、創業者である父の意向により31歳の若さで承継したのが2代目の沼田博和氏だ。「父とは違う自分」を意識しながら、手探りで取り組んだ改革とは、また思い描く会社の将来について聞いた。
目次
父から突然告げられた社長の交代

−−−−2009年4月に神戸物産入社後、2012年に社長就任というスピード承継でしたが、その経緯を教えてください。
全く予想外でした。父の部屋に呼ばれ、急に「社長になってくれ」と切り出されました。その時父は57歳でしたが、50歳の時にがんを患って手術をしており、万一のことがあればすでにこの世にはいなかった可能性があったのです。
今、自分が急にいなくなると会社自体が機能しなくなるので、そのリスクに備えるために早く承継したい、という思いがあると聞きました。すぐに引退するわけではなく、会長職でしばらくは社内にいるということでしたので、私も心を決めました。
当時の体制は、父が会長兼社長で、今も現職で務めてくれている副社長もいました。副社長は総務、経理などバックオフィス系の業務に強く、開発やM&Aなどの経営的な部分は父が担当するという分業の状態でした。どちらが欠けても困るのが当時の状況だったのです。
自分の健康の問題が常に頭の片隅にあり、「明日にも自分はいなくなるかもしれない」という思いが、承継へ一気に踏み切らせたようです。
中国産食材バッシングによる会社の危機

−−−−沼田代表が承継された時期、会社の経営状況はどうでしたか?
私が入社して以降、売り上げは右肩上がりで成長を続けていますが、入社直前に危機がありました。2007年~2008年は、いわゆる段ボール肉まん報道、中国製冷凍餃子中毒事件と続いた頃、「中国産」が敬遠され、消費が最も落ち込んだそうです。
弊社は中国からの輸入商品が多かったので、毎日電話が鳴りっぱなし。「おたくで売っている中国産の冷凍野菜は大丈夫なのか」などの問い合わせに全社を挙げて対応していたそうです。
消費者はもちろんフランチャイジーからも、中国産の食材を売るのをやめたい、という声が大きく上がってくるようになりました。
−−−−その危機に、どのように対応したのでしょうか。
商品を輸入してくる全コンテナの抜き取り検査を実施するという業界初のチェック体制をすぐさま整えました。検査結果をホームページで発表し、店頭でもしっかりアピールして、不安がないことをお客様に伝えました。結果、売り上げはV字回復しました。
当時の会社の体力からすると、検査費用は非常に痛手だったはずですが、すぐさま決定した判断はシャープだと思います。物事の真の要点を直感的につかむことがうまいことと、それを実行に移すのが早いことが、父のすごいところです。
誰も見ていなかった分野から改革に取り組む
−−−−社長に就任されてから取り組んだことは?
1番効果が大きかったのは物流の改善でした。当時、物流拠点が非常に少なく、メーカーの倉庫から店舗に直送する方式でした。
しかし、納品先の店舗数が増えるとメーカーの負担になるし、店側からもいろいろなメーカーからばらばらのタイミングでトラックが来るので、受け入れがとても大変だという意見が出ていました。そこで各メーカーの商品を集約する拠点を作りました。
もう1つは、販売部門の強化です。父は開発や製造に比べ、販売の方はフランチャイズの仕事という割り切りがあったので、あまり力を入れていませんでした。
そこで、商品の売り方によってどれくらいの売り上げに差がつくか、データを取って各店舗に流し、本部発信の成功事例を増やすことに取り組みました。
−−−−そういった改善点はどのように見つけていったのですか?
父親と副社長が、あまり見ていない空白地帯が実は存在していました。まずはそこの分野からということで、担当の部長や役員と話をして詰めていきました。
2000年の1号店から10数年、やり方を変えていないことも多く、「なぜこうやってるの」と聞くと「昔からそうです」という回答で、突き詰めて考えることをしていなかった。もっといいやり方があるのでは、という視点で改革を進めたのです。
−−−−カリスマ的な創業者から引き継いだプレッシャーはありましたか?
基本的にタイプが違うことは初めから分かっているので、父と同じようにやろうという考え方は1ミリもありませんでした。
父も、長けているところもあれば、逆に弱いところもあります。私は研究開発をやってきたこともあり、父と比べて性格的に細かいので、数字をベースに議論をしながら改善を進めることが性に合っているのでしょう。
創業者は神のような存在、という企業が多いと思います。創業者自身が決めたルールは、従業員が何か違うなと思っても誰も口に出せないでしょう。親族だからこそ、客観的に見ておかしいとか、こうやった方がいいとかいう議論ができる。そういう意味では私が継いでよかったのではないかと思います。
育ててくれた先輩社員への感謝を忘れずに
−−−−これからの神戸物産が目指すところを教えてください。
今、私たちは、食の総合企業として、お客様の豊かな暮らしを支える食のインフラ企業になることを目標に掲げています。
業務スーパーという小売だけではなく、レストランや惣菜など食の分野の出口戦略を総合的に広げることが、成長する上でも非常に重要だろうと思います。
それと同時に、電気、ガス、水道のように、人の生活にとって欠かせない「食のインフラ」を目指しています。業務スーパーでしか提供できない価値を突き詰めていくと、それ自体が差別化になって、企業の永続的な成長につながると思っています。
−−−−神戸物産の強みはどのような点でしょうか。
例えば大企業など、1つの決め事に対して承認工程が多く意思決定が遅いという場合もあるでしょう。そう考えた時、弊社の意思決定は非常に速いと思います。この強みを最大限残そうというところで、会社の方向性自体が見えた部分もあります。
父はよく「後出しじゃんけん」という言葉を使っていました。全く新しい分野にいろいろな企業がチャレンジしている時、その中で情報収集していると大体のストライクゾーンが見えてくる。そこに向かって後から進めば、大きな失敗をせずに突き進めるということです。
−−−−スムーズな事業承継のポイントについて教えてください。
後継世代が、先代がやってきたことの否定から入るケースがよくありますが、親子関係も含めてそれではうまくいきません。先人に対しての尊敬の念を常に持った中で、後継世代はいろいろな発信をしなければいけないだろうと思います。
私が会社を継いだのは31歳と若かったので、その段階で上場会社の社長としての能力はなかったと思っています。古参のいろいろな部署の人たちが、何も分からない私の質問にしっかりと答えてくれて、いろいろ教えてくれました。
ここまで一緒に会社を作ってくれたという意識があるので、その古参社員の方々に対しての尊敬、感謝は非常にあります。今もそういう意味では、幹部メンバーとのコミュニケーションはしっかり取れていると思いますし、昔に比べると組織としての力は非常に上がったと思っています。
沼田博和氏プロフィール
株式会社神戸物産 代表取締役社長 沼田 博和 氏
1980年、兵庫県生まれ。京都薬科大学大学院薬学研究科修士課程修了。2005年に大手製薬会社に入社。2009年に現在勤める株式会社神戸物産に入社。取締役を経て2012年に代表取締役社長に就任。
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