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ラスベガスが驚いた「日本の氷」の高い品質 5年前、日本で初めてアメリカに飲料用の氷を輸出した老舗製氷企業5代目の挑戦

石川県金沢市で1923年から氷を商ってきた「クラモト氷業」。2014年、自社に製氷工場を作り、高品質のブランド氷を確立し、業務用飲料向け氷のアメリカ輸出という日本初のチャレンジを見事に成功させた。アメリカ進出の経緯と、クラモト氷業の氷がなぜ世界で評価されたのか、5代目社長・蔵本和彦氏(38)に話を聞いた。

顧客の新規開拓とネットでのプロモーションに注力

−−−−2009年にクラモト氷業入社後、どのような仕事をしましたか?

氷の加工と配送、営業、集金まで全てやりました。高校・大学時代に自社でアルバイトをしていたので、ある程度のことはできました。

加工は、切る作業がメインです。よくバーテンダーさんが使うのが「一貫目」の氷、3.75キロのブロックですが、それを135キロの大きな原氷から切り出します。重いものを動かしながら丸鋸に当てて正確に切っていく作業で、技術が要るものなので先代の父やスタッフの方に習って覚えていきました。

−−−−営業は、どんなところに回ったのですか?

顧客は飲食店が多いのですが、中でも僕が入社したころはスナックやクラブ、ラウンジといった接待の場所が9割を占めていました。足繁く通ってママにコネクションを作り、チーママが新しい店を出すときにうちの氷にしてもらう営業スタイルでした。

でも、その業界が今後大きく成長していくビジョンは見えなかったので、徐々に食べ物を出す店のコネクションも開拓していきました。「このグラスに合ったこういう氷ができますよ」など地道に営業していくと、かなり発注も増えました。

もう一つ可能性を感じたのは、若い人の店です。それまで、若い人のカジュアルなバーでは氷にこだわりませんでしたが、おしゃれなカフェ&バーのような形態の店ができ始めて、変わった氷、たとえばスティックタイプや、ダイヤモンドにカットするための大きめの氷の注文が出てきました。これを機に加工の幅を増やしていくことにしました。

−−−−一方で、ネットを通じたプロモーションも始めたそうですね。

製氷工場を作る前から、僕がプロモーションを始めました。フェイスブック、ホームページを作り、ブログを書きました。発信は業界で一番やっていこうと考えていました。

父は抜群の営業マンで、地元では名物でした。はじめはついていこうと思いましたが、飲みに行くのも体力が追いつかきませんでした。遺伝子はあるはずだからいけると思っていたのに、近づけない自分がいて…。それがジレンマでした。

そこで僕なりの付加価値を模索して、目をつけたのがSNSなどの発信でした。昔から文章を書くのが好きで、母方の祖父がカメラ屋さんだったので写真を撮ることも好きでした。

アメリカへの道を開いた一本の電話

株式会社クラモト氷業代表取締役社長 蔵本和彦氏(左)とクラモトアイスUSACEO 米澤直人氏(右)(写真提供/株式会社クラモト氷業)

−−−−アメリカで氷ビジネスを展開するきっかけについて教えてください。

2018年、アメリカから突然電話がかかってきました。「氷をアメリカに持ってくる気はありませんか」と。電話の主はその後、怪しい話ではないと安心させるため、金沢まで会いにきて、ビジネスの可能性や氷の必要性を語ってくれました。

僕のブログを熱心に読んでくれていて熱意が伝わったので、「僕もやりたいです」と返事をして、そこから市場調査や商品開発を始めました。その人物が、現在クラモト氷業の代理店「クラモトアイスUSA」を経営する米澤直人CEO(38)です。

−−−−なぜ、米澤氏は製氷会社の中からクラモト氷業に目をつけたのでしょうか?

僕は10年前に新婚旅行でラスベガスに行きました。商売柄、バーを回ってカクテルを飲み回りましたが、どこの氷も粗悪で、溶けやすく、飲み物がすぐ薄まってしまうわりに、価格は1杯2500円もする。「いつかラスベガスにチャレンジしたい」と思い、そのことをブログで発信していました。

それを、アメリカにいた米澤が見つけてくれました。彼も同じ時期に、アメリカにはいい氷がないと思っていたそうです。日本の食材を仕入れる食品商社に勤めていたので日本にもよく来る。日本のバーで使っているいい氷を仕入れてはどうか、ということで探していたわけです。

僕と彼は境遇が似ているところがあったので、パートナーになれそうだなとお互いに感じたと思います。二人ともバーが好きで、カクテルが好きなので、いい氷は絶対に必要だという使命感を感じていました。

輸出ビジネスの開始と成長

−−−−アメリカへの輸出ビジネスは、具体的にどのように動き始めましたか?

2019年に初めて輸出し、2回のコンテナで300万円とまずまずの売り上げでした。ところが、翌2020年に新型コロナウイルスのパンデミックが起こりました。アメリカはロックダウンになり、日本での売り上げも3分の2まで落ちて、お先真っ暗な状態でした。

ただ、ラスベガスは比較的すぐにロックダウンが解除されました。米澤は自分が住んでいるロサンゼルスを中心に営業を考えていましたが、ロサンゼルスはロックダウンでお店がやっていなかったのでラスベガスに営業に行きました。

普段よりはお店も暇なので、バーテンダーとよく話ができて、営業がやりやすかったようです。それで顧客として話が最初に決まったのがラスベガスでした。そこから広がっていきました。2020年6月に電話がかかってきて、「ラスベガス進出の夢が叶いましたよ」と言われたのを覚えています。

−−−−輸出時の課題はありましたか?

2019年に輸出したときは8割くらい割れていたのです。氷は割れたり解けたりしたら商品にならないので、そこは一番の課題でした。現場を見にいくと荷物を雑に投げていたらしく、それからは荷下ろしの時に米澤が立ち会い、デリケートに扱ってもらうようオペレーションをするといった工夫をしました。

それから、規格の違いという問題がありました。グラスに合わせたサイズの氷を持っていったはずが、アメリカはグラスが大きくてうまくサイズが合いませんでした。そこをアジャストしていくのに、時間がかかりました。

問題をクリアした後は順調に売り上げが伸びて、今年はコンテナ16本を輸出し、売り上げ8500万円を計上しています。前年比で毎年1.5倍のスピードで成長していることになります。

−−−−アメリカ進出が成功した理由は?

品質がいいという点が一番だと思います。あとは米澤が1軒1軒営業に行って、バーテンダーとの関係構築を大事にしているので、そこが付加価値になっている面もあります。グラスを見て、こういう使い方がいいのではないかと提案をさせてもらいました。そういう営業方針はうちと米澤で合っていました。

アメリカ国内でも競合がいるのですが、氷屋はどこの国も忙しいわりに儲からないらしく、営業マンが置けないのです。逆にうちは営業に特化して、物流は商社に任せる体制なので、そういった点が強みだと思います。

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プロフィール

株式会社クラモト氷業 代表取締役社長 蔵本和彦氏

1985年、石川県金沢市生まれ。金沢星稜大学を2007年に卒業後、配電盤メーカーに勤務し営業を担当。2010年、父が経営する大正12年(1923年)創業のクラモト氷業に入社。営業、加工、配送のほか、ブログやSNSでの情報発信と自社製造氷のブランディングに取り組む。2019年、日本で初めて業務用飲料向け氷の米国輸出を開始。専務取締役を経て2024年に同社代表取締役社長に就任。創業者から数えて5代目となる。

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