「お前はアホやから語学くらい勉強してこい」ベトナム行きの片道切符を渡された19歳 「生ふりかけ」の会社を背負う3代目が出会った年上の女性社長

神戸市を拠点に、ふりかけやおつまみなど水産加工品を製造販売する澤田食品株式会社。パートを含めた社員100人弱という規模ながら、「生ふりかけ」シリーズをはじめとする高級路線のふりかけがメディア等で話題になり、全国のスーパーなどで好評を博している。祖父が創業した会社の3代目・澤田大地代表取締役社長は、若い頃は家業を継ぐ事に反発していたが、そのとき父親に無理やり渡されたのはベトナム行きの片道切符だった。
目次
カリスマ的な創業者の祖父を尊敬
ーー澤田食品の創業からこれまでの歩みについて教えてください。
私の祖父が創業し、2025年で64年になります。祖父の実家は姫路で「揖保乃糸」というそうめんを作っている家でしたが、次男だったため家業を継がずに神戸に出てきました。神戸の中央卸売市場の仲卸のもとで魚の勉強をして、1961年に弊社の前身となる澤田商店を開業しました。
当初は新開地で、魚の切り身とか、さきイカなどのおつまみを扱う小規模の商売をしていたようです。その後、今の「澤田食品株式会社」に社名を変更したのが1980年。1984年に「お茶漬け 鱈シリーズ」というのがちょっとヒットしたので、やはり日本人はご飯だということで、ご飯に合うものを中心にやっていく方針になりました。
1991年に、生ふりかけの「いか昆布」という商品を発売し、大ヒットしました。築地や京都など各地の市場から、どんどん売買の注文が入り、「これからは生ふりかけに特化してやっていこう」となりました。その後は「梅ちりめん」などいろいろな商品を出して、今の形になっているという流れです。
ーー経営的には順調だったということですね。
実は、私がまだ生まれてない時、2回倒産しているらしいです。資金繰りが大変だったようで、当時代表だった祖父が銀行で表口から入ろうとしたら当時の担当者に「お前は裏口から入れ」という扱いをされたという話を聞きました。でも、とにかく根性がある人なので、這い上がっては事業をやり続けていた感じです。
祖父はカリスマ的な人物で、地元の市場筋では「会長、会長」と慕われてみんなが周りに集まってくるような人で、商売上手でもありました。金使いも派手で、高級車に乗ったりしていました。私は祖父を、商売人としてはとても尊敬していました。
「3代目」に抵抗を感じた思春期

ーー幼い頃から、家業を継ぐ意識はありましたか?
私は祖父にとって初孫なので、たくさんいる孫の中で特別に可愛がってもらっていたと思います。溺愛されたと言っていいほどです。
3、4歳の物心つくころから、祖父のハイエースに乗せられて、市場に連れて行かれたりしました。どこに行っても「3代目、3代目」と言われ続けてきたので、小学生ぐらいまではそれを意識していました。
ただ中学、高校と、思春期になっても、どこに行っても「3代目」と紹介されるから、それが嫌で、いっとき会社から気持ちが離れて、あまり会社にも行かなくなりました。
ーーそこで別の仕事を目指したのですか?
高校卒業後、大学の経営学部に行きましたが、アルバイトばかりしてほぼ授業には出ず、単位は0でした。親には嘘をついていたのですが、半期が終わって10月頃に大学の通知表が来て、バレました。
親に呼び出されて、とても怒られました。最後に僕は反抗して、 「もう澤田食品に入るつもりもないし、沖縄か長野あたりに行って住み込みで働いて、自分で生活していく…」みたいなことを言いました。
そうしたら父親に「そんなアホなことあるか、お前はアホやねんからせめて語学ぐらい勉強してこい」と言われ、数ヶ月後の2月に突然、ベトナムのホーチミン行きの片道チケットを渡されました。1週間後には出発で、「荷物も送ってやるからとにかく行ってこい」と言われました。
私も反抗はしていましたけど、父親がとても怖かったので、「ある程度言う通りにしとこう」と、大学を中退し、素直にベトナムに行くことにしました。
ベトナムで出会ったやり手の女性社長
ーーベトナムではどんな生活でしたか?
現地では住む家も、マンツーマンの英語の先生も全部決まっていました。向こうで出会ったのが、僕の母親と同じくらいの年齢の日本人の女性社長で、ホーチミンを拠点に水産関係の仕事で世界中を飛び回っている人でした。
子供がおらず、僕のことを実の子のように世話してくれました。その人にあちこち連れていってもらい、原料を仕入れる仕事を手伝いました。ベトナムには19歳から21歳まで2年間いたのですが、半分くらいは女性社長に連れられて世界中に行っていました。
ホーチミンの工場も少し手伝いながら、いろいろ勉強させてもらい、英語もベトナム語も自然と話せるようになりました。
ーー具体的にはどんな仕事だったのですか?
基本的には作った水産加工物を日本に輸出というのが多かったです。現地の人は感覚が少し違うので、クレームにならないための日本人向けの品質管理、選別などの指導です。「ここはこういう風に切らなくちゃいけない」とかです。
ーーその後、日本に帰国することになったのはなぜですか?
21歳の時、父親から「そろそろ戻ってこい」と電話がかかってきました。僕はベトナムの仕事がとても楽しかったので、戻りたくない気持ちはありました。
当時、社長は祖父から父に代わり、祖父は名誉会長であまり会社に来ていませんでした。2人の関係はうまく行かなくなっていて、私にパイプ役として期待していたようです。
帰国して澤田食品に入社したのが2005年のことでした。この時はまだ、先に大変な状況が待ち受けているとは思いませんでした。
プロフィール
澤田食品株式会社 代表取締役社長 澤田大地氏
1984年、兵庫県生まれ。大学を中退しベトナム・ホーチミンに語学留学、同時に現地水産会社で仕事を学ぶ。2005年に帰国し父が社長を務める澤田食品株式会社に入社。専務を経て2017年に代表取締役社長。2014年にロングセラー商品「生ふりかけ いか昆布」が全国ふりかけグランプリ金賞を受賞。その後も「ゴロっと北海ホタテの焦がし醬油ふりかけ」など高級路線の生ふりかけを続々と発売し、各種メディアで取り上げられ人気となる。
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