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「実は、もう会社がやばい…」突然すぎる父の告白 債務超過で借金18億、起死回生の「ふりかけグランプリ」優勝

神戸市を拠点に、ふりかけやおつまみなど水産加工品を製造販売する澤田食品株式会社。のちに3代目の代表取締役社長となる澤田大地氏は、ベトナムで語学とビジネスを学んだ後、帰国して父が社長を務める澤田食品に入社した。仕事は楽しく、業績は順調に見えたが、その実、会社はとんでもない危機に瀕していた。

莫大な負債を抱え倒産の危機に

ーー入社後はどのような業務に携わっていましたか?

入社1年半ぐらいは仕入れ、その後営業部に配属され、30歳まで8年ほど営業をやりました。もともと私自身営業は好きなので、仕事は楽しかったです。

ただ、後に判明する話ですが、父親自身があまり会社の数字を見ないし、ナンバー2だった営業のベテランの人も、会社の数字面は見えてない状況でした。

労務費や原価を見ずに、顧客に合わせた提案をし、言われるままに値引きもしていました。実際のところ商品の粗利は0%に近く、私の入社後もずっとその状態が続いていました。

営業社員は、売り上げさえ上がればボーナスも上がるので、単純に売り上げの数字だけをデータ化する。社長も中身を見ていないから、単純に業績が上がったと思っている状態でした。

それがどんどんエスカレートし、製造するアイテム数は増えて製造現場の社員は疲弊していました。

ーーそんな状況に澤田さんは危機感を感じたのですね。

薄々、危機感はありましたが、この状態で何年も経営できているということは「余裕あるのだな」くらいに思っていました。

それが一転したのが、祖父が病気で亡くなった後でした。お葬式が終わって、父親と飲みに行った時に、いつもより元気がありませんでした。

聞いてみたら、「いや、実は会社がもうほんまにやばい」と。そこで私は実情を初めて聞きました。

過去の決算書を全部見せてもらったら、とんでもないことになっていました。債務超過で借入金が18億5000万円あったのです。資金繰りもどうにもならないし、父親は、もう会社を畳みたいと言っていました。

父親の考えでは、「銀行関係だけは迷惑をかけるけど、一般の仕入れなどの取引先にだけは迷惑をかけたくない」という思いで、掛けのお金を返せるギリギリ限界まで粘っていたらしいです。私に打ち明けたのが、それも返済不可になる瀬戸際のところでした。

ーーその話を聞いて澤田さんはどうしたのですか?

「いやいや、ちょっと待って」と反発しましたよ。営業でずっと全国を回って仲良くなった取引先に恥ずかしいし、いきなり潰したら社員にも申し訳ないと思い、「一旦私を専務に引き上げて」と頼みました。「私が陣頭指揮を取って、それでもし無理だったら、一緒に土下座でも何でもしに行くから」と伝えました。

それはなんとか認めてくれて、次の日に、会社の状況もある程度みんなに伝えて、私が専務になっていろいろ改革していくということを発表しました。

反発されながらも行った改革、アイテム数を半分に

ーー専務になってから、どのような改革に取り組みましたか?

まずは商品アイテム数のカットです。ふりかけの味の種類は、30〜40種類ぐらいでしたが、たとえば、同じ「いか昆布」でも業務用、市販用、袋物とあり、さらにグラム値が違うものが多数ありました。このように枝分かれし、製造する商品が全800〜900種類になっていました。

これを、粗利の少ないものから切って、全500種類ぐらいまで一気に減らしました。経費削減もいろいろやりましたが、最終的には正社員のリストラもしました。

本当に申し訳ないですけど、入社して日の浅い人、独身の人を対象に8名ほど、辞めていただきました。

ーー改革に際して社員さんの動揺や反発も大きかったのでは?

だいぶ大きかったです。当時29歳の私と比べると、社員のほとんどが年上で、かつ祖父と父についてきていたメンバーが大半でした。今でこそマインドは変わってきていますが、当時は反発がありました。

それでも、やるべきことはやってもらうしかないので、反発する人には1人ひとり時間を作って、私の部屋で何時間でも、納得いくまで話すようにしていました。それしか方法がなかったので。。

ーー借入金返済などの対応はどうしたのですか?

当時、メガバンク・信金など銀行10行とお付き合いしていたのですが、その全てに会社の実情が知れ渡りました。バンクミーティングが開催され、その場に父と私と税理士とで行ったのですが、返済の話は父親と税理士がやって、私は会社の経営をいかに立ち直らせて、利益を確保するかの目線で話し合いをしました。

兵庫県の再生支援協議会も入ってきて、その時に言われたのが、「まず3年間黒字を目指してくれ」ということでした。黒字になれば、再生支援協議会が各銀行に働きかけて、負担を軽減するなどの調整をしてくれることになりました。

「ふりかけグランプリ」と会社再生への道

いか昆布

ーーそんな状況の中で、全国的に澤田食品が知れ渡ることになった出来事があったそうですね。

2014年、たまたま流れてきた1枚のファックスに「第1回全国ふりかけグランプリ開催決定」とあったのです。「とりあえずできることは何でもやってみよう」と、出てみることにしました。

看板商品の「いか昆布」を持っていったら、参加40社の中から1位になりました。地元の新聞社に人生で初めて囲み取材を受けました。

その時は全然実感が湧きませんでしたが、翌日神戸に戻る新幹線の中で、一緒に行った営業のかたと私の携帯電話が鳴りっぱなしでした。テレビのいろいろな番組にうちのことが出ていたみたいで。

その後テレビ関係、メディア関係の取材は基本的に全部受けるようにしました。そこから「いか昆布」の注文が全国からどっと入って、売上は一気に数億円上がりました。ふりかけグランプリは2年目も「いか昆布」、3年目は「シャキット梅ちりめん」で引き続き第1位を取りました。

ーー会社の状況は?

その時には利益もある程度出せるようになっていたのですが、結局、18億5000万円の金利の返済だけで消えてしまうので、なかなか前に進まない状況が続いていました。ただ、私は返済のことは考えず、無心に会社を良くすることだけに集中できていたので、それが逆に良かったのだと思います。

ある程度、利益が立って先が見えたので、ビッグファンドと兵庫県再生支援協議会の協力のもと、第二会社を立ち上げて、負債の一部、5億円程度を新会社が新たに借り入れ、旧澤田食品が借りた銀行10行に返していく、という方式をとりました。旧会社の事業はすべて新会社の澤田食品に譲渡し、社長には私が就任するという形で、新たに出発しました。

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プロフィール

澤田食品株式会社 代表取締役社長 澤田大地氏

1984年、兵庫県生まれ。大学を中退しベトナム・ホーチミンに語学留学、同時に現地水産会社で仕事を学ぶ。2005年に帰国し父が社長を務める澤田食品株式会社に入社。専務を経て2017年に代表取締役社長。2014年にロングセラー商品「生ふりかけ いか昆布」が全国ふりかけグランプリ金賞を受賞。その後も「ゴロっと北海ホタテの焦がし醬油ふりかけ」など高級路線の生ふりかけを続々と発売し、各種メディアで取り上げられ人気となる。

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