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「こんなにおいしいのか!」恋人に勧められ、人生で初めて食べた納豆 関西出身の4代目、東京で人気の老舗納豆を引き継いだ背景

終戦直後に千葉県で創業し、1986年に東京都青梅市に移転した有限会社菅谷食品は、国産大豆にこだわった納豆づくりを追求してきた企業だ。現在、専務取締役を務める関本真嗣氏は、当時交際中だった現在の妻に勧められて人生で初めて口にした納豆だった菅谷食品の納豆に感動。妻の叔父である2代目が急逝し、葬儀の日に「この味を絶やしたくない」と事業を継ぐことを決めたという。2005年、妻の家業に入り、納豆の老舗を年商3億6000万円の企業へと成長させた軌跡を聞いた。

「いつも同じ味」が最高に難しい

納豆づくりの要、蒸煮工程(写真提供:有限会社菅谷食品)

──菅谷食品の成り立ちについて教えてください。

菅谷食品は、私の妻の家の家業です。終戦直後、妻の祖父が千葉県香取市で創業しました。香取市は醤油の産地で、大豆の文化が根付いていた土地です。発酵に興味があった祖父は、同じく大豆を原料とした納豆づくりを始めました。

──その後、青梅に移転されたんですね。

香取市から東京都青梅市に移転し、もう40年以上になります。うちの特徴は国産大豆のみを使った納豆づくりです。臭みを抑え、食感や風味に配慮した、納豆が苦手な方でも食べてもらえる商品づくりを追求しています。

納豆づくり最後の工程である発酵では、稲わらや経木に入れた納豆を「石室炭火造り」という昔ながらの製法で発酵させています。

外側は大谷石を詰み、内側は総ヒノキ造りの石室に入れ、炭火の遠赤外線で大豆を温めることで、納豆菌の働きを助け、大豆本来のうま味を引き出す製法です。

──創業から現在まで、納豆づくりで大切にしてきたことは何ですか?

何よりも「品質の一貫性」ですね。3代目の義父からも、毎日安定して同じ味を提供することが最も難しく、最も大切なことだと言われてきました。

納豆は微生物と言う生き物を相手にする商売ですから、季節や天候によっても微妙に発酵の具合が変わってきます。

そんな中で、お客様に「菅谷食品さんの納豆はいつも同じ味だね」と言っていただけることが私たちの誇りです。40年以上青梅の地で愛されてきたのも、この品質へのこだわりがあってこそだと思っています。

「こんなにおいしいものだったんだ」人生の転機となった納豆との出合い

東京都青梅市にある会社外観(写真提供:有限会社菅谷食品)

──関本さんと納豆との出合いについて教えてください。

実は私、人生で初めて食べた納豆が菅谷食品の納豆だったんです。当時交際していた妻に「うちの実家の納豆を食べてみない?」と勧められて。

関西出身でなじみがなかったこともあり、苦手意識からそれまで納豆は避けていました。でも、食べてみたら「納豆ってこんなにおいしいものなんだ!」と驚きました。

──当時はご自身が後継者になるとは?

まったく考えていませんでした。妻の家族とは大学時代から仲良くしていて、よく遊びに行っていましたが、まさか自分が納豆屋を継ぐなんて想像もしていなかったです。

就活をしていた時期に、妻の叔父である2代目の社長から「うちを継がないか?」と言われたことがあります。でも当時は冗談だと思って、軽く流していました。自分には自分のキャリアがあると思っていましたから。

──事業承継前はどのようなお仕事をされていたのですか?

食品商社で、営業として働いていました。取引先を回って商品を提案する仕事でした。

今思えば、当時の経験が今の経営に活きています。営業で学んだ市場のニーズや、流通の仕組みについての知識が、菅谷食品を承継した後の販路拡大に大いに役立っています。

2代目の葬儀でよみがえった「継がないか?」という言葉、運命の決断

有限会社菅谷食品 専務取締役 関本 真嗣 氏(写真提供:有限会社菅谷食品)

──事業承継を決意されたきっかけを教えてください。

結婚してからしばらくして、突然2代目が急逝してしまったのです。葬儀の席で、ふと就活時に2代目から言われた「うちを継がないか?」という言葉が頭によみがえってきました。「あれは冗談じゃなかったんだ」と。

2代目の葬儀後、家族会議があって、3代目は義父が継ぐことになりました。しかし義父は高齢で、ほかに継ぐ意思がある親族もいません。

私の中に「菅谷食品の納豆の味をこれからも守りたい」という思いが強く湧いてきました。人生で初めて納豆を「おいしい」と思わせてくれたあの味を絶やしたくない、と。それが承継を決意した一番の理由です。

当時の仕事はやりがいもあって、安定していました。でも、納豆づくりをしたいという気持ちがどうして抑えられず、退職を決意しました。

長男の私が他家を継ぐことに、両親も最初は戸惑いがあったと思います。でも今は一番の応援団です。特に母は「あなたが選んだ道なら」と、温かく見守ってくれています。

私の実家のある関西にあるスーパーに置いてもらうよう働きかけてくれたりして、家族全員で家業を支えてくれている実感があります。

営業の経験しかなかった私は、最初は製造現場の知識がなく不安でした。しかし、妻や家族の支えがあったからこそ決断し、ここまでやってこれました。家族の応援と、お客様からの「菅谷食品の納豆が好き」という声に支えられてきたと思います。

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関本真嗣氏プロフィール

有限会社菅谷食 専務取締役 関本 真嗣 氏

1976年、東京都生まれ。東洋大学卒業後、2000年に食品メーカーに入社。品質管理職として勤務した後、2005年に現在務める有限会社菅谷食品に入社。2016年に専務取締役に就任。国産大豆100%にこだわった製品づくりを続けている。就任後は特に品質管理体制の強化に注力し、全国納豆品評会で最優秀賞を受賞。また発酵技術の伝承を目的とした社内研修制度を確立し、若手職人の育成にも力を入れている。2023年からは海外展開を視野に入れた市場調査も開始し、日本の発酵文化を世界に広める取り組みを始めている。

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