COLUMNコラム
世界一の靴下屋を目指す「Tabio」、社名は「奥田民生さんに履いてほしい」から!? 人事部すらない、カリスマ経営者の会社を作り替えた2代目の思い
「靴下屋」「Tabio」「Tabio MEN」などの靴下専門店を運営・展開するタビオ株式会社。「靴下の神様」といわれた創業者で、父の越智直正氏から経営を受け継ぎ、社名変更など次々と社内改革を進めたのが、2代目の越智勝寛社長だ。カリスマ経営者が構築した会社を変えることには、大きな摩擦もあったという。「カリスマの次」の経営や「Tabio」の知られざる由来について、越智社長に聞いた。
目次
「ものづくり現場優先」の組織に「顧客ニーズ」という発想を注入
――2008年の社長就任時、会社にどんな課題がありましたか?
会社の仕組みを作り変えること全般でした。当時、売り上げも下がり、品質のよさを前面に打ち出して成長してきたのに、とうとう「3足1000円」のショップも出すまでになりました。それでも赤字は埋められないような状況に陥っていたのです。
とはいえ、急いでV字回復を目標に…ということではなく、まずは時代と事業規模に合った会社に変えることが私の役目だと思っていました。
よくも悪くも創業者・越智直正の一存で動いてきた会社だったため、人事部もなければ社員の研修制度もない状況でした。社員の配置も採用もすべて社長が決め、商品開発も営業まですべて社長の方針と感覚で進められていたのです。
幸い先代の周りに、創業者の考えを熟知、理解して、調整する優秀な社員がいたので成り立っていましたが、いよいよ回らなくなった。そこで、私はタビオにとって必要な会社のあり方とは何かと考え、整えていきました。
――具体的にはどのようなことを始めたのでしょうか。
まずは人事部を作り、社員教育の仕組みから構築しました。また、マーケティングの仕組みを作り、顧客ニーズに合わせた商品構成や商品開発も始めました。WebやSNSの情報発信にも力を入れました。
ビジネス用語でいえば、プロダクトアウト(作り手の理論優先)一本槍だったところに、マーケットイン(顧客ニーズ優先)の発想を取り入れていったということです。商品の質には自信があったので、社内組織を整え、取引先と時代にあった付き合い方や決済のあり方を構築すれば、売り上げは必ず回復させられると思っていました。
変革を拒む会長、正攻法で説得
――2代目が従来のやり方を変えることを、会長となった先代は受け入れてくれたのでしょうか。
何をするにも大反対でした。自分が完成させたものを変えられると我慢ならないという感覚は、私も分かります。2006年の社名変更のときも、先代を説得するのはなかなか大変でした。会長にとって「ダン」は思い入れのある社名でしたから。
さまざまなものを変更するとき、どのように周囲を説得したかというと、全役員の前で理論的にプレゼンテーションをしたのです。私は、経営者研修を終えたばかりだったので、研修で習った分析方法などを活用して、数字とデータを示して「こうしたほうが合理的ですよね」と伝えていきました。
――役員の反応はどうでしたか?
少しずつ役員の賛成を増やしつつ、最終的に会長にも認めてもらうというやり方で進めていました。ただ毎回、すべて会長が目標としてきた「世界一の靴下屋になる」ことを達成するための提案だと丁寧に説明しました。
マーケットインへの転換といっても、完全にシフトするわけではありません。そもそも当社は「ものづくり」を主軸としたプロダクトアウト型の会社です。先代が大切にしてきたものづくりの理念は、忘れてはいけない。プロダクトアウトとマーケットインのバランスを取るための調整が必要だったのです。
「タビオ」の社名、実は…
――大きな変革の一つが社名変更ですが、「タビオ」の名前の由来は何でしょう?
オフィシャルには「The Trend And the Basics In Order (流行と基本の秩序正しい調和)」の頭文字をとったものと説明しています。そして「Tabioをはいて地球を旅(タビ)しよう、足袋(タビ)の進化形である靴下をさらに進化させよう、という意味が込められています」と説明しています。
ただ、これははじめて公表すること話ですが、実はあるミュージシャンの方のお名前からの発想でした。新しいブランドの名前を考えようと、当時商品本部長だった私ともう一人、豊田さんという元社員と、2人で頭を捻っていたんです。
その時、その豊田さんが「奥田民生さんに履いてもらえるようなブランドがいい」と言って、「タミオ」はどうかといってきたんです。いくらなんでも、それは直接的過ぎるだろうと。それで奥田民生さんのことを調べてみたら『股旅』というアルバムを発表されていますよね。
そこで「靴下」と「旅」っていいよね、となんとなく二人が共鳴しまして、「タミオ」と「タビ(旅)」をかけ合わせて「タビオ」にしました。
「世界一の靴下屋」とは
――社長就任時、どのような経営ビジョンを持っていたのでしょうか。
社長になりたいという気持ちはなかったので、ビジョンも無かったです。社長を引き受けたときに考えていたのはただひとつ、会長の掲げた目標を叶えるために役割を全うすることだけ。会長の目標とはすなわち、「世界一の靴下屋にする」ことです。
考え方は、私が平社員だろうと商品本部長だろうと販売本部長だろうと同じです。たまたま社長を拝命したのなら、目標のために社長の役割を果たすだけです。
ただ、会長がいう「世界一」とは、売上高や事業規模など、数字で表される世界一ではありません。先代も、それを望んでいませんでした。
日本のものづくりの技術で、世界中から「やっぱり靴下はタビオだ」といわれるブランドにしたいという思いでした。
世界一の基準は、会社それぞれにあっていいと思います。21世紀に入り、経営者の多くがユニクロの柳井さんのように、規模と利益で世界ナンバーワンを目指すようになりました。しかし、今後は、それぞれの会社が自社にふさわしい目標を掲げ、それを達成する経営スタイルに変わっていくのではないでしょうか。
――経営に関して、先代から学んだことはありますか。
父は中国の古典を大事にしていて、特に『孫子』が座右の書でした。何事にも孫子の言葉を引き合いに出していたのが印象的です。私も『孔子』や『孫子』に、ずいぶん学びました。また、ものづくりへの純粋な思いや、取引先を大切にするところなどは、背中から学ばせてもらった気がします。
創業者はやはり特別です。「ダン」をイチからつくれと言われても、誰も真似できません。何もないところから事業を興すのは、常人では不可能です。だから、そばで見聞きしても自分にはできないことや、真似しないほうがいいと思うところも多々ありました。
ずいぶん叱られたり説教されたりしましたが、辛いとか苦しいといった感覚はそれほどありませんでした。きっと、父の人柄が魅力的だからでしょうね。とにかく見ていておもしろい人でした。
「カリスマ創業者」の動画を配信する理由
――先代が2年前に他界され、いよいよ責任も重くなったかと思います。
精神的な支柱を失ったことは、当社にとって大きいことでした。急なことで、しかも先代が承継に関して何も準備をしていなかったから、当初は慌てました。
しかし、やっていることを変えはしません。私が経営者でいる間は、靴下一本でやっていこうと思っています。
ただ、ひとつ、新しいことを始めました。先代の生前の姿を映した動画を短くまとめて、社内に配信しました。タビオで働く人には創業者・越智直正の存在を忘れてほしくないし、その姿から、タビオが何を大切にしてきたか振り返ってほしいと思っています。
――社長就任から16年が過ぎました。次の承継についても考える時期ではないでしょうか。
今のところ、後継者を誰にするか具体的なことは考えていません。越智家の人間でなければならないとも考えておらず、ふさわしい人がいればお願いしたいと思っています。ちなみに私の子どもたちは、絶対に嫌だと言っています。父親が苦労しているのを見過ぎたのかもしれません。
今、60歳まではトップとしての責任を果たすのが自分の役目だと考えています。すなわち、上場企業の経営者を20年以上、務めることになります。少しは人生で何かを成し遂げられた気持ちになれるのではないかという思いもあって、目標にしています。
あと5年ほどの間、やり残していることをやり遂げたいと思っています。その一つが、この先、誰が経営を引き継ぐことになろうと、スムーズに会社運営ができる体制を整えることです。越智家の人間であってもなくても、誰もが引き継げる環境です。
この先、誰が経営を担おうと、会社の歴史を無視したような経営はできないよう、歯止めをつくっておきたい。創業精神から外れず、ダンとタビオが大切にしてきたものづくりや取引先との関係を重視した経営を引き継いでもらえるような、ルールや枠組みを確立しておきたいのです。
引き継ぐことをためらう若き承継者たちへ
――今後、承継を期待されている経営者の家族、親族にアドバイスはありますか?
よく大学の経営学部に招かれて事業承継をテーマにお話しさせていただくのですが、最近、気になっていることがあります。それは創業者のお子さんの中に、意外な理由で継ぎたくないという人が多いことです。
あまり苦労もせず、組織内で権力を持てる特別な存在であることに気が引ける、というのです。私は「それは勘違いですよ」と答えます。「社長は権力ではなくひとつの役割であって、その意味ではほかのポジションと大して変わりませんよ」と。
同時に、「そのポジションが与えられる環境に生まれてきたのなら、境遇を生かすのは自然なことですよ」とも話します。
たとえば、メジャーリーグの大谷翔平選手が子どもの頃、「自分は体格に恵まれて、打てば誰よりボールを遠くに飛ばせるし、投げれば誰よりも速い。野球の試合に出れば大活躍できるだろう。でも、気が引けるから野球をやめようか」と言ったらどうでしょうか。おかしいですよね。恵まれた体を持ったなら、それを生かせる道に進むのは自然なことです。
そんな消極的なことを考える前に、親の会社に入って「ああ、この人に社長になってもらいたい」と言われるほど活躍することを考えてはどうか、と伝えています。せっかく組織の上に立つ人生を選ぶチャンスがあるなら、生かさないほうがもったいない。
どんな立場であろうと、努力して力を磨かなければいけないのは同じです。迷っているなら、飛び込んだらいかがでしょうか。
プロフィール
越智勝寛
タビオ株式会社 代表取締役社長
1969年、大阪府出身。1994年から約3年間、化粧品会社ハウス オブ ローゼで主に販売員として働いた後、父親が創業者である靴下専門の会社、ダン(現タビオ)に入社。商品部に配属されるいなや、それまでになかったカラータイツを売り出し、大ヒット。2003年に商品本部長となった後、2005年から2006年の1年間、経営者研修に参加。2007年に取締役第一営業本部長を務めた後、2008年に父・直正氏から経営を引き継いで代表取締役社長に就任。
取材・文/大島七々三
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