社名と製品名に冠した旧蔵への敬意と感謝。事業承継で生まれ変わった酒蔵は世界へと飛翔

次世代、次々世代をしっかりと見据えた百年単位のロングビジョンのなかに位置づけられる事業承継。長い歴史と伝統等が積み重ねられた老舗の酒蔵を受け継ぐのは若き杜氏だ。これを支えるのは、560年を数える歴史を持つ島根の豪族の25代目当主。島根県の造酒屋 田部竹下酒造の代表取締役社長兼蔵元の田部 長右衛門氏と、杜氏/常務取締役 濵崎 良太氏が語った。
目次
旧蔵の初代蔵元への感謝と敬意の気持ちを込めた新しい日本酒が誕生

酒蔵が生まれ変わって2年。杜氏と蔵元の思いを詰め込んだ2つの日本酒が製品化の日を迎えた。
誕生した日本酒につけられた商品名「理八」には、どのような思いが込められているのだろうか。
「旧蔵の竹下本店さんでは、竹下登元総理が『出雲誉』という名前をつけ、ブランディングをしていました。新たに、田部竹下酒造として、その経緯やストーリーがきちんと伝わる名前にしようと考えたのです。我々、田部家は幕末に酒造事業を竹下家にお譲りしました。その時の当主、竹下本店の初代蔵元が、竹下理八さんです」(濵崎氏)
江戸時代に酒造りもしていた田部家。しかし、町が大火事に見舞われ大切な酒蔵を焼失。地域の復興もままならないなかで、酒造事業を快く受け継いでくれたのが、竹下家だったのだ。
「当時は大変だったと思うのです。それを2つ返事で引き受けていただいたと聞いています。竹下理八さんに敬意を表して造り上げたのがこの日本酒なのです。また、我々と竹下家の関係をきちんと明確にストーリーの中に乗せるためにも、『竹下』の名前はやっぱり残さなきゃいけないという思いを社名に記しています」(田部氏)
竹下家時代から受け継いだ従業員を含め、5人の蔵人を束ねるのも杜氏の役割だ。
もろみを搾る工程では、竹下家が残した古い搾り機を使う。樽からポンプで送られた酒を、綿の酒袋で受け、それらを一つひとつ並べて圧縮する。
昔ながらの方法で、時間をかけて、ゆっくりと新酒が搾られていく。
「濵崎杜氏は新進気鋭の35歳です。彼はとても良いお酒を造るのです。これからも2人3脚で一緒にやっていけたらいいと思っています」(田部氏)
その当時、想像しがたい思いを胸に頼み込み、酒蔵を助けてくれた竹下理八氏。150年を経た今、社名にも製品名にも、その名前を冠し、後世に刻み続ける。
「この『理』の、ことわりという道理とか、美味しいと感じる道理。末広がりの『八』もすごくよい感じだなと思っています」(濵崎氏)
使用した酵母の名称を前面に打ち出している日本酒も多くはないだろう。
「確かに多くはありませんね。私が学生時代、微生物の研究をしていたことも、ラベルに表現されているのかもしれません」(濵崎氏)
早くも国際的コンクールで受賞の栄誉。世界市場に飛び出す予感

「理八 901」はMILANO SAKE CHALLENGE 2024の純米吟醸部門で、プラチナ賞を受賞。「理八 1801」はInternational Wine Challenge(IWC)2025のSAKE部門でゴールド賞を受賞した。
事業承継で大きく変わった田部竹下酒造は、おそらく今後、世界へと飛び出していく日を迎えることになるだろう。
濵崎氏は何を引き継いできたという感覚を持っているのか。
「事業承継で、もう全部が変わったと思います。酒造りにおいて、機械で分析できるのはひとつの側面から見た一点を捉えた数値に過ぎません。人間は優れた五感を持っており、私の日本酒造りの五感は先人たちから学びました。私が学んだことを次世代に伝えるとともに、私自身がいただいたこのような貴重な機会を次世代にもつくりたいと思っています。」(濵崎氏)
濵崎氏は、自らの五感を通して、日本酒造りそのものを体全体で引き継いでいるかのようだ。これにより、会社が次代へと承継されるとともに、日本酒造りを承継し、世界へと羽ばたくきっかけまでも、新たに生み出しているのだ。
二度と失敗を繰り返さないことを次の時代へと継承
「単に事業を継ぐのではなく、その代ごとに造り上げていかなければなりません。例えば、我々のたたら製鉄事業は、明治維新で一度終わってしまいました。当時働いていた約4,000人の従業員には、お暇を出しました。今で言うリストラをしたのは我々の責任です。うまく事業を継続できなかったことで、雇用が失われ、その家族は引っ越して当地を離れなければならなかったのです」(田部氏)
田部氏は先代、先々代から、同様のことをしてはいけないと言われ、これを重く受け止めている。
「自分たちがやってきた事業が時代に合わないと思ったらやめてもよいのです。ただ、雇用は守れと言われてきました。やめてしまった事業も、新しい形でうまくつないで、いろんな事業に変化させていきたいと考えています」(田部氏)
田部氏は、消えてしまったたたらの火を復活。ものづくりの原点を未来へつなぎ、新たな価値を生み出そうとしている。山桜の植樹も時代を見据えた長期的な事業だ。
「うちの山に桜の木を1万本植えています。私の代ではちょっと難しいと思うのですが、息子たちの代になったら、5,000本〜6,000本は残ると思います。一面桜の山ができあがります。春の桜の時期の2週間だけでも、そこに相当な数の皆さんが来られる。だから春夏秋冬、山に来てもらえるような企画を今いろいろと考えています」(田部氏)
自分の代で完結しなくても、子ども、孫がしっかりと引き継いでくれる
どうしても短期的な事業の成功を目指しがちだが、田部氏の考える事業は百年単位の長期ビジョンだ。
「100年、200年のロングビジョンで考えています。だから私の代で完結しなくてもいいのです。息子が今4人いますので、彼らの代で継いでいってくれればいいし、彼らの代で完結しなくても、孫の世代でまた引き継いでいって、それぞれの代でやっていけば、繋がっていくと思うのです」(田部氏)
100年、200年の長いビジョンで新しいものを創造すること。さらに、次の代にしっかりと繋げて、各代で造り上げていくことこそが、事業承継なのだという。
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