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後継者は、アジとイワシの見分けもつかない21歳? 東京・吉祥寺の練り物店を「麻布台ヒルズ」に進出させた3代目、若き日々の苦労とは

戦後、東京・吉祥寺で創業し、80年の歴史を刻む、練り物製造販売の「株式会社塚田水産」。現在は吉祥寺本店をはじめ、伊勢丹新宿店、麻布台ヒルズにも店舗を構えている。塚田水産を率いる3代目・塚田亮代表取締役(50)は、わずか21歳で、「アジとイワシ」の違いも分からないまま魚屋を経営し、苦難の道を歩いてきた。「絶対に継ぎたくなかった」という家業を承継したストーリーを聞いた。

人だかりができるほどの「練り物の名店」の始まり

──まず、塚田水産の創業について聞かせてください。

2025年で創業80年になりますが、戦時中に祖父と祖母が始めたと聞いています。祖父は最初、魚の行商をしていたのですが、当時の価格で3,000万円ほどの土地を買わないかと声をかけられ、そこで練り物の商売を始めたそうです。

──創業当時はどのような業態だったのでしょうか?

祖父から聞いた話だと、朝の築地市場での仕入れから始まり、店の地下で魚を捌いてすり身を作り、練り物を製造、そのまま夜遅くまで販売を続ける毎日だったそうです。

大変だったけれど、業績は良かったと聞いています。店の前には人だかりができて、スリが出るほどだったという話もよく聞かされました。

──その後、お父様はどのように事業に関わっていたのですか。

父は練り物店を手伝いながら、店舗の隣で、個人事業としての魚屋を営んでいました。私が21歳の時に父が練り物店の専任になり、私が魚屋を継ぐことになりました。

「お前んち、工場だよね」という同級生の言葉で固めた「絶対に継がない」という意志

さつま揚げ詰め合わせセット(提供:株式会社塚田水産)

──子どもの頃から家業を継ぐことを考えていたのですか?

いいえ、むしろ逆でした。小学生の頃は、工場が家の一階にあることが本当に嫌でした。クラスの友達から「お前んち、工場だよね」と言われることが気になって。サラリーマン家庭が羨ましかったです。

父も母も店の仕事に追われていて、休日もほとんどありませんでした。家にあまりいなかったので、寂しい思いをした記憶があります。

──中学生の頃から店のお手伝いもしていたそうですね。

年末の繁忙期には魚屋の手伝いを頼まれましたが、寒いし、魚臭いし、正直やりたくないという気持ちでした。その頃から「自分は絶対に家業は継がない」と思っていました。

21歳での経営者デビュー、しかし……

──それが一転して、魚屋を継ぐことになったのはなぜですか。

高校卒業後、結婚を機に父から魚屋経営を任されることになりました。当時は仕事もなかったので、「まあ、やってみるか」という消極的な気持ちでした。

──魚屋の経営者としてのスタートはいかがでしたか。

最初の1年は父の下で従業員として働き、魚の目利きから会計まで学びました。アジとイワシの区別もつかない状態でした。

店には60代のベテランパートさんが3人いて、その道のプロでした。高級品を取り扱う店だったので、仕入れが特に重要だったのですが、よい商品がわからず、パートの方に怒られる日々でした。

2年目から社長として経営を任されましたが、社長1年目は見事に赤字を出してしまいました。順調だった店を赤字にしてしまって、さすがにこれはいけないと思いました。

「独学の経営者」から「練り物職人」へ――二度目の転機

店舗外観(提供:株式会社塚田水産)

──どのように経営を立て直したのですか。

築地市場で知り合った麻布の魚屋から、目利きや経営を学び独学で勉強を重ねました。その結果、2年目から黒字化できて、3年目には軌道に乗せることができました。ただ、若かった私には、日々の重労働が本当に辛かったです。

40度の熱が出ても働かなければならないし、仕入れに遅刻した経験からか、休日も朝4時半に目が覚める習慣がついてしまいました。周りの同年代が遊んでいる中、その生活は本当に大変でした。

──練り物店に転向されることになった経緯は?

魚屋を10年やった頃には、従業員の減少と売上低下に直面していました。このままあと2、3年やれば赤字になると考えて、30歳で魚屋を畳むことを決意しました。

そして、父が代表を務める練り物店で職人としての道を歩み始めました。正直、「やっと魚屋から解放された」という気持ちが強くありました。職人としての修行は技術的には難しかったものの、アルバイト感覚で楽しく取り組めました。

お金のことも考えなくていいし、父と弟がいる下でやるという気楽な気持ちで取り組めました。

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プロフィール

株式会社塚田水産 代表取締役 塚田 亮氏

1974年、東京都生まれ。高校卒業後、21歳で個人事業として魚屋を継承。約10年間の経営を経て、現在勤める株式会社塚田水産に入社。2014年に代表取締役に就任。伝統の味を守りながら、百貨店催事への出店や常設店の出店、立ち飲み店の展開など、新たな販路開拓と事業展開に取り組む。現在は吉祥寺本店をはじめ、伊勢丹新宿店、麻布台ヒルズに店舗を展開。社員約20名、パート・アルバイトを含め約50名の企業に成長させた。

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