「1週間後にやめたい…」地元に愛される「街の八百屋」をいきなり引き継いだ社長、マイカーも売って運転資金に

「街の八百屋さん」が減りゆく中、東京・町田市で「味と鮮度」をモットーに、地域密着スタイルで地元から大きな支持を集める「やさいのナイトウ」。この店を切り盛りするのは、株式会社「WAKATSU」の若月幸平代表取締役(44)だ。高校時代にアルバイトとして入店して二十余年。先代のいきなりの廃業宣言から、急きょ事業を受け継いだ経緯を聞いた。
目次
慶應大卒、頭の切れた先代が創業
−−−もともと、「やさいのナイトウ」はどんな店だったのでしょうか。
創業は1979年です。最初はトラック1台で売り歩く行商スタイルの八百屋でした。その後、町田市に本店を構えて、地元産の新鮮野菜のほかに地方農家からも直接買い付けた野菜を販売するなど、特色のある戦略で店舗になっていきました。
創業者の先代社長は、慶應大卒で頭が良く、太陽光発電のような新進気鋭の会社にいたのですが、希望しない部署に行かされて思うように仕事ができなくなり、八百屋に丁稚奉公してから独立したそうです。
先代は、今でいうドミナント戦略(特定の地域にチェーンを集中展開する戦略)を行い、本店の近くに2支店をオープンさせ、このエリアの八百屋といえば「やさいのナイトウ」というような地域密着のブランドを確立しました。
僕が入店した当時は働き盛りの40代で、髭を生やした海賊みたいな風貌でした。仕入れに行き、店にも立って、経営全般を仕切るエネルギッシュな人物で、先見の明があったと思います。
−−−−若月さんが入社したきっかけは何でしょうか?
通信制の高校に通っており、平日は時間がありました。車の免許と購入費を稼ぐためにバイトを探していたら、親が「やさいのナイトウ」の求人を教えてくれました。僕の親は中華料理屋を営んでおり、仕入れ先が「やさいのナイトウ」だったのです。
最初は目標額が貯まったら辞めようという気軽な気持ちでしたが、時給制で働いた分だけ稼げるから、がむしゃらに働きました。すると、それまで何となく食べていた野菜の知識が付いてきて、接客も楽しく感じるようになってきました。
先代とも長い時間を共有して家族のようにかわいがってもらい、お客さんにどう売っていくかといった商売の哲学を学びました。先代も僕も髭を生やして風貌が似ていたので、親子と間違えられたこともありました。そして、どんどんこの仕事の魅力にハマって現在に至ります。
「続けていく気力がなくなった…」

−−−−事業を承継した経緯について教えてください。
アグレッシブな先代の社長でしたが、体調を崩すようなって承継問題が出てきました。僕は20年以上勤務するベテランだったので、2018年前半から当時の店長とバイヤーの責任者の3人で、誰がどういうふうに承継するか会議を始めていました。
当初、僕らは5年くらいのスパンをかけて承継できればと考えていたのですが、僕が38歳になった誕生日の10月23日、社長に3人が呼ばれて、「続けていく気力がなくなったから1週間後に辞めたい」と言われました。
さすがに急すぎるので廃業を延期してもらい、帰り道に3人で話した結果、以前から独立しようと思っていた僕が引き継ぐことになりました。
ただ、会社を引き継ぐには株式を買い取る必要があります。また、当時あった2店舗を買い取る資金は僕にはありませんでした。そのため、本店の1店舗と屋号や車両などの資材を買い取り、僕が新しい会社として「WAKATSU」を設立しました。
−−−−会社立ち上げの準備期間はあったのでしょうか。
勢いで引き継ぐことになったので、準備期間は少なかったです。妻にも、承継することは事後報告になりました。ただ、美容関係の個人事業主だった妻が「やさいのナイトウ」のファンで、承継を快諾して自分の仕事を辞め、会社を設立するための準備に奔走してくれました。
僕は「やさいのナイトウ」で20年以上働いて八百屋の仕事はわかっていましたが、逆に言うと社会経験はここだけしかありません。独立するためにはどういうことをすればいいのかとか、ビジネスマナーとかも知らないわけです。急に事業を継承することになってとにかく大変だったので、会社経営の準備全般を担ってくれた妻には感謝しています。
オープン当初の運転資金はマイカーを売って捻出
−−−−事業を継承して新規オープンまでに苦労したことはありましたか。
会社をそのまま承継するわけではなかったため、引き継ぎに苦労しました。先代社長の体制で営業するのは2019年2月25日までとし、3月1日から新しい体制で新規オープンしました。
引き継ぎ期間はわずか3日。この間に市場で仕入れをするために屋号を登録したり、自動車保険や店舗の不動産の契約を移行したり、関係各所に挨拶したりと、非常に慌ただしかったです。
また、スタッフ選びがありました。新体制は1店舗に縮小するため、スタッフも半分でいいわけです。そのため、もともといた従業員のなかで僕が一緒にやっていきたいと思える半数に声をかけて、12〜13人に残ってもらいました。
ただ、新規オープンまでに銀行の融資が間に合いませんでした。そのため車の買い換え用に貯めていたお金と、それまで乗っていた車を売却したお金を運転資金にしました。それで野菜を仕入れて新規オープンするという、不安な船出ではありましたが、常連のお客さんたちから激励の言葉をたくさんいただけてうれしかったです。
かなり慌ただしい事業承継でしたし、新規オープンして半年くらいは1日18時間くらいがむしゃらに働いたのでなかなか大変でした。それでも常連のお客さんが以前と変わらずに朝から並んで買いに来てくれましたし、銀行からの融資も下りたので、まずまずのスタートを切れたと思っています。
■プロフィール
株式会社WAKATSU 代表取締役 若月幸平氏
1980年10月23日、東京都町田市生まれ。1979年に創業した地域密着型の八百屋「やさいのナイトウ」に16歳からアルバイトで勤務。2019年、健康問題で廃業を考えた先代から新しい会社に移行する形で事業を継承。新鮮でこだわりの野菜やフルーツを提供しながら、コロナ禍でのドライブスルー八百屋、野菜ジュース店運営、飲食店向けの売り掛け販売、新店舗の出店など事業を拡大し、地域一番の八百屋を目指す。
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