京都の「よーじや」が「京美人」のロゴを変えたわけ あぶらとり紙の売り上げ大幅減、「脱・観光依存」で地元・京都を向いた企業へ

京都市で創業120年を迎える老舗化粧品雑貨の「よーじやグループ」。今年春、半世紀以上にわたって親しまれた「手鏡に映る京美人」のブランドロゴをリニューアルし、大きな反響を呼んだ。「みんなが喜ぶ京都にする」事業を進めるための決断だが、その真意はどこにあるのか。祖父、父から事業を承継した5代目の國枝昂代表取締役に聞いた。
目次
「ぬるま湯」につかった社員がどんどん辞めていく

――社員が「会社に未来を感じない」と嘆く状況での代表就任でした。改革を進める上で、課題はなかったのでしょうか
1990年代に入社し、あぶらとり紙を出せば売れる「ぬるま湯」の時代を経験した人たちは、改革を進めると会社を去っていきました。「私は現場に入りません」と宣言をしたことで、まず店舗の人が大量退職し、次に、リーダーのポジションにいた40代の男性たちが見事にいなくなりました。
管理職不足は課題ですが、「将来性のある社員が、上司を理由に辞めていく」という状況を回避できました。
若い社員ばかりの会社になりましたが、教えられたことをこなす能力より、考える能力や新しい正解を導けるかどうかが問われる時代です。10年いる社員がしっかりしているとは限らないし、明らかに逆転現象が起こっています。
採用にも良い影響があり、「未来のある会社」のイメージで入ってきてくれるようになりました。よーじやが掲げる「脱・観光依存」をみんな知っていて、何を目指そうとしているか理解してくれています。
採用では協調性を重視します。どれだけ能力があっても、「自分はたかが知れている」と思えない人は、チームをまとめられない。自分の力でドリブル突破するしか方法がない人は、誰にもパスを出さないですから。チームの勝利を喜べるマインドの人を採用し、良い方向に進んでいます。
「よーじや」として守るものは、あぶらとり紙ではない

――よーじやとして守るべきもの、変えるべきものについては、どう考えますか
父とはコミュニケーションがなく、祖父は私が4カ月の時に亡くなり、祖母もただ孫として可愛がってくれただけ。誰もメッセージを残していないので、「守るべきもの」は自分で考えました。
あぶらとり紙と手鏡のロゴがあって今のよーじやがあるので、それは残さなきゃいけないと、現時点では思ってます。
ただ、親しみのある商品やロゴは強みだけれど、いずれ弱みになる。それがわかったのがコロナ禍です。
あぶらとり紙がなくて困る人が多ければ、オンラインで売れるはず。なのに、送料無料キャンペーンをやっても売上は微増。つまり「ないと困る」人はほぼいない。さらに、京都の人たちは観光業にポジティブなイメージを持っていない。じゃあ、よーじやの存在意義って何だろうと考えました。
コロナが終息した今、マールブランシュの「茶の菓」などが定番化する中で、京都みやげとしてのあぶらとり紙は「過去のもの」になりつつあり、あぶらとり紙の売り上げはピークの1/4です。改革が必要だとなったとき、「京都府民に誇りに感じてもらえるよーじやを目指そう」と思いました。
京都サンガF.C.のスポンサーになっていますが、それも、よーじやの商品を買ってほしいわけではなく、京都の人に、「京都の方を向いてる会社だね」と思ってもらえる企業を目指したいから。「あぶらとり紙やさん」のイメージを、「京都のことを考える会社」に変えたいのです。
私の人生は、いつも「後継だから」という先入観がスタートで、「僕は、◯◯なんです」といくら言っても聞いてもらえなかった。よーじやも「あぶらとり紙やさんだから」という先入観があって、中身に耳を傾けてもらえない。私の人生と、よーじやの歩みに共通するものを感じるのです。
でも、サンガサポーターの方は、取り組みの中身を理解してくださるし、「この感覚だ!」というのがつかめてきました。私にとっては、「何をやるか」で判断してもらえるテーブルにつくことは非常に重要なのです。
なぜ、京美人のロゴを変えたのか
――会社のロゴを「手鏡に映る京美人」からシンプルな文字にリニューアルされました。批判もありましたね。
表紙や商品のパッケージに従来のロゴは残しつつ、コーポレートとして打ち出すものと、よーじやブランドとして打ち出すものを分けて整理する。それが今回のリブランディングでした。
会社ロゴの変更には、「あぶらとり紙を想起させる域を出ないといけない」という思いがありました。手鏡のロゴに認知度はあるけれど、「過去のもの」というイメージと紐づいて認知されている。「使わなくなったよね」という印象を変える難しさを実感しているからこその戦略でした。
「商品が選ばれるには商品力が大事」と思いがちですが、実は入店のハードルが高い。「観光客用の店だから」「あぶらとり紙店だから」入らないという人には、どれだけ商品が良くても買ってもらえない。
これまでは、「リピーターに目を向けた戦略を立てれば、観光業としての価値が失われる」というスタンスだったけれど、共存はできる。
そもそも、リピーター向けの戦略を立てても立てなくても、観光業としての売上は右肩下がりの未来が待っています。大事なのは、「成功か失敗か」ではなく、なぜ変更するのかを伝え続ける努力をすることです。
――批判や反響は、予想とは異なるものだったのでしょうか
反響の方向性は、想像通りでした。自然派コスメブランド「SHIRO」のリブランディングや、東急ハンズのロゴチェンジなどの例も見てきて、同じようになることも想定していましたから。ただ、それらの名だたるブランドと比べると売上げははるかに少ない会社なので、反応の大きさは予想外でした。
これだけの熱量で批判された背景には、「35歳の跡継ぎ経営者」という文脈もあったと思います。「やっぱり同志社を出ていないからダメなんだ」などと言う人もあって。
私にとっては幼少期の経験がとてつもなく大きく、原動力になっているので、そういうご批判はエネルギーにしかならない。結果を出さなかったら自分の負けだという心持ちのため、この感じで乗り越えられるなら今後も大丈夫だと思いました。
批判は受け止めつつ、説得力のある事例を積み重ね、今後のよーじやがコーポレートスローガンに見合う会社になっていけるように努力するのみです。
目指すは大阪の「あるときー、ないとき…」の有名企業
――結果を出すために必要なことは
「みんなが喜ぶ京都にする」がモットーなので、京都の人たちに「京都経済のために貢献しているな」と思ってもらえる事業を進めて、ビジネスとしても成立することです。
イメージは「551蓬莱」。観光客も並び、大阪の人たちからも愛されているのはシンプルにすごい。よーじやが存在意義をもつには、やはり京都の人たちに認められなければいけない。それは、売上と関係のないところで重要だと思います。
今後は、おみやげを意識した商品開発にとらわれず、日常の生活に寄り添える商品やサービスを提供できる京都発のライフスタイルブランドを目指したい。よーじやを好きな人がお店に来れる状況を作り、京都への貢献に連動できる事業を創る。そして、世界中に京都の魅力を広めていきたいですね。
――事業承継を控えている次世代へのメッセージをお願いします
「入ってから考える」では、絶対に変えられません。「若い」「経験がない」「会社のことを知らない」など、あれこれ言われるだろうけれど、周りの声を聞きすぎないで。逆境に負けず、「守り」の後継ぎにならないように、明確な目標と権限を持った状態で入ってほしいです。
事業承継のタイミングだと、きっと会社として1つの節目を迎えているはずなので、何かを変える前提で家業に入るといいのではないでしょうか。「今までずっとこうだったから」は変えない理由にはならない。
「変える」という意思決定ができる「組織」を作ることができれば、年齢や経験年数に関わらず、物事を変えられるはずです。逆に言うと、「自分ありき」の会社作ってしまうと、自分がいなくなったらまた課題が出る。将来を見越して組織を育てていくのも、大事なことだと思っています。
國枝昂氏プロフィール
よーじやグループ 代表取締役 國枝 昂 氏
1989年京都市生まれ。大阪大学経済学部卒業後に公認会計士試験に合格し、2019年によーじやグループに入社、代表取締役に就任。「脱・観光依存」を掲げ、「手鏡に映る京美人」のロゴをリニューアルするなど、企業の変革を進めている。
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