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「本屋のビジネスはつまらない」 斜陽産業なのに、過去の栄光にしがみついた老舗書店を変えた7代目

横浜市を本店に、神奈川県・東京都などに店舗を展開する書店チェーン「有隣堂」。創業は1909(明治42)年、2025年で116年目を迎える老舗だ。関東大震災や戦災からも復活を遂げ、小売のほか外商や飲食など幅広く事業を手がけてきた歴史をもつ同社だが、近年のDX化によって「本が売れない」危機的状況に書店は苦しむ。7代目となった松信健太郎代表は家業をどう見ていたのか、話を聞いた。

書店を経営する一族という意識はなかった

−−−−御社のこれまでの歴史について教えてください

創業したのは私の曽祖父ですが、私は会ったことがありません。私が知っているのは4代目社長の私の祖父からです。祖父・松信泰輔は1960〜1990年代に30年以上社長を務め、書店の小売店舗を神奈川県内に多数展開し、現在もうちの売り上げの大きな部分を占めるBtoB、つまり文具やOA機器などを企業や官公庁向けに販売する事業を拡大しました。中興の祖と言っていいと思います。

父、松信裕は大学を出てすぐ新聞社に就職しましたので、祖父の後を継ぐ考えは元々なかったのだと思います。父が入社したのは50歳の時です。詳しい経緯はわかりません。直接的なきっかけは、祖父が後継者を定めないまま倒れたためらしいですが。

−−−−松信さんご自身も、有隣堂を継がれるイメージは持っていなかったのですね。

私は4歳まで、父が前職で赴任していた北九州で生まれ育ち、その後、父の転勤で東京に移りました。父が有隣堂に入ったのはちょうど私が大学に入った時でしたが、それまでは自分が有隣堂の経営者一族という意識は全くなかったです。

父とは同居し、経営の様子をそれなりに見ていましたが、本屋は「自分たちで何も生み出していない」という印象でした。「出版社が作ったものを問屋から仕入れて、並べて売るだけの商売で、あまり面白くない、クリエイティビティがない」と思っていました。

さらに、この時代は携帯電話もパソコンもどんどん進化していたし、amazonが出てきたりして、世の中がデジタル化に向かっていました。本というものは今後、世の中での立ち位置が変わってくるだろうと。「事業としては衰退していくだろうな」と思っていたので、自分自身が本屋をやるイメージはありませんでした。

弁護士への道に挫折し、家業へ

有隣堂が運営するYouTubeの撮影風景(写真提供:株式会社有隣堂)

−−−−松信さんはクリエイティブな職業を志していたのですか?

それが何を間違ったか、私は弁護士になりたいと思ってしまったのです。当時、中坊公平さんという住宅金融債権管理機構の理事長をした弁護士がいて、その人に憧れていました。

仕事をするなら、人の役に立てる方がいいと思いましたから、大学は法学部ではありませんでしたが、司法試験の勉強会に入ったりして、弁護士を目指していました。

−−−−それがなぜ、有隣堂に入社を?

司法試験に1点か2点の差で落ち続けて、気がつくと30歳を過ぎていました。ちょうど司法試験改革で合格者数がどんどん減らされて、ただでさえ狭き門が超狭き門になっている時代だったので、これは厳しいなと思い始めたのです。

就職難の時代でしたから、30歳を過ぎて社会経験のない人間は就職先がありませんでした。そんな時、父がまだ後継者を決めきれていないこともあって、そこで家業に拾ってもらったというのが、入社に至る経緯です。だからよく聞く「外で修行してキャリアを築いて、満を持して家業に戻ってきた」みたいな話では全くないのです。

−−−−あまり惹かれなかった本屋というビジネスに関わろうと思ったきっかけは?

司法試験という勝負に負けて、普通だったら負けたなりの人生を送らなければいけないのに、年商500億円の会社の舵取りができるなんて、こんな恵まれた環境を使わない手はないな、ということですね。

試験に落ち続けて暇だった時、ずっとヨガをやってたのですが、ヨガで食べていくわけにもいかない。だったら「私に残された道はここしかない、なんの商売であってもたまたま家業があって受け入れてくれるのであれば、自分の好き嫌いには関係なく、そこで一生懸命頑張ろう」と思いました。

斜陽産業ではあるが本の力は信じている

−−−−実際に働いてみて、本屋という仕事にはどのような感想を持ちましたか?

正式に入社したのは34歳の時ですが、司法試験を断念しかけていた30歳ぐらいから有隣堂でアルバイトはしていました。

正社員になってからはコスト削減とか立て直しとかにも目を向けなくてはならなかったので、きつかった印象がありますが、店舗に立っていたアルバイトの時はすごく楽しかったです。

現場で感じたのは、もったいなさというか、「もっと頑張ればいい店になるのに…」ということでした。例えば並べ方一つとっても、背で出すのか面で出すのか、面で出すならポップをつけるのか、ポップにはどういうことをどれくらいの文字の大きさで書くのか。突き詰めて考えると、1冊の本を紹介する力はもっと大きくできるわけです。

そういうのを蓄積していくといい店になると思っていたのですが、当時の営業の意識は、「本を並べていればお客様は勝手に来てくださる」という、どこか過去の出版業界の栄光を引きずっていたのだと思います。

−−−−2007年に入社して、どんな仕事をしたのですか?

入社して2年は全社全部門を数ヶ月ずつ回る形で研修を受けて、それ以降は一貫して書店の店舗運営です。弊社は500〜600億円ぐらい売り上げがあって、そのうちBtoB とBtoCがざっくり言うと半々。そのBtoCの部分、いわゆる本屋さんの部分を、今まで一貫してずっとやってきています。

1996年頃から書籍のマーケットは縮小し続けています。私の入った頃はすでに斜陽産業と言っていい状態でした。当然、今までのやり方を続けていたらダメになることは誰もがわかっていたはずなのに、それを「この会社はずっとやっているな」、というのが、入社初期の印象でした。

−−−−そういった危機感からその後さまざまな改革に取り組んだのですね。

日本は今、国際競争力も経済力も1980年頃のピーク時より落ちていて、子供もどんどん学力が下がっている。そんな中で日本がもう一度浮上するには、1人1人の力を上げるしかないと思っています。それには本というのは一番簡便なツールではないかと。私は本の力をものすごく信じているし、本自体は大好きです。

けれども本屋というビジネスになるとつまらない。本の力を十分にアピールするのが本屋だと思うけれど、来たものをただ並べていれば、お客様が来てくれると考えている、どこで買っても値段も内容も同じものをどこでも同じやり方で売っている、という意味で、本屋は面白くない。ここを変えていかなければならないと思いました。

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プロフィール

株式会社有隣堂 代表取締役社長 松信 健太郎 氏

1972年、福岡県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、弁護士を目指すが断念。2007年に株式会社有隣堂に入社、主として店売事業部門を担当する。2012年取締役、2019年9月取締役副社長。2020年に代表取締役社長。神奈川県や東京都を中心に、カフェや雑貨店などを併設する複合型書店を展開。2020年から始めた社員出演のYouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」が話題を集めている。

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