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「シリカゲル」のパイオニア、滋賀県の乾燥剤メーカーを引き継いだ3代目社長 「女が会社するもんちゃう」と思っていたが…

約70年前、乾燥剤「シリカゲル」を日本で販売し始めたパイオニアとされる、医薬品乾燥剤メーカー「山仁薬品株式会社」(滋賀県甲良町)。70年間で「山仁といえばシリカゲル、シリカゲルといえば山仁」と呼ばれるまでに業界での地位を確立した。現代表取締役社長の関谷康子氏は、もともと家業を継ぐつもりはなかったが、父親の体調悪化をきっかけに、大手製薬会社を退社して家業を引き継いだ。「町工場」のような状態だった会社で、医薬品市場に特化した戦略を展開し、社風改革と会社再生を成功させた関谷氏に、事業承継の経緯を聞いた。

日本の乾燥剤メーカーパイオニアへの道

調味料専用の家庭用シリカゲル乾燥剤「カタマラーーン」(写真提供:山仁薬品株式会社)

── 山仁薬品の創業についてお聞かせください。

1954年に祖父が創業し、翌年に山仁薬品株式会社を設立しました。祖父は塩野義製薬の購買部におり、取引先から「シリカゲルというものがアメリカから上陸して日本でも製造されるらしい」という情報を得て、すぐに脱サラしたんです。

「日本は高温多湿だから絶対に売れる」と確信していたようです。当時のシリカゲルは布で包み、ミシンで縫い合わせて商品化していました。今では誰もが目にする乾燥剤ですが、祖父はそれを日本でいち早く販売したパイオニアだったんです。

── 2代目の頃はどのように事業を展開されていたのでしょうか?

父の代になって、製品の幅は広がりました。父は大学の研究員上がりで、商品の開発に注力しました。

父の代には分包品だけでなく、タブレットタイプやシートタイプなどの乾燥剤も開発しました。

「高級シリカゲル乾燥剤の山仁」というキャッチフレーズで、ピアノ用や靴用など様々な商品を展開し、乾燥剤だけに特化した事業展開をしていきました。アイデアマンだった父は、活性炭が入った足指用の乾燥剤など、新商品開発にも積極的でした。

── 現在の主力商品はどのようなものですか?

現在の主力商品は、「ドライヤーン」というシリカゲル乾燥剤です。袋に詰めた従来品だけでなく、独自技術で固めたタブレットタイプや薄くてかさばらないシートタイプも販売しています。

私が社長になってからは顧客軸に転換し、特に医薬品業界のお客様をターゲットとしています。「医薬品専用乾燥剤」というカテゴリーを、意識的に作り出しました。

また、最近ではBtoC市場にも目を向けて、調味料用に特化した「カタマラーーン」も展開し始めています。70年かけて培った技術とノウハウで、使いやすさと効果を両立させた製品を提供しています。

「女が会社経営をするものちゃう」と言われた幼少期

創業70周年記念祝賀会の様子(写真提供:山仁薬品株式会社)

── 子どもの頃、会社についてどのような印象をお持ちでしたか?

会社との接点はほとんどなかったです。年始に父と会社に行って年賀状をチェックする程度で、どんな仕事をしているのかもよく分かっていませんでした。

「会社を継げ」と言われたこともなく、むしろ「女が会社経営をするものじゃない」と言われていました。途中から弟が継ぐという話も聞いていたので、「私じゃないな」という感覚でした。

だから、会社に対して自分がどうこうしようという意識は全くありませんでした。

── お父様はどんな方でしたか?

父は厳しい人でしたが、人間性には強く惹かれていました。講演会をしたり、尺八の師匠をしたりして、家には常に人が出入りしていました。社員を自宅に招いてお正月を祝うこともあり、人を大切にする人でした。

厳しさと面白さのバランスが取れていて、メリハリのある人だったんです。規律には厳しく、それが私の仕事に対する姿勢にも影響していると思います。今思えば、そういう父の姿は経営者としてのロールモデルになっていたのかもしれません。

アルバイトでいいやと思っていた学生時代、製薬会社での修業

── 大学は薬学部に進学されましたが、進学理由を教えてください。

特に深い理由はなくて、単純に理系科目が得意だったからです。実は工学部が理系だということも知らなくて、薬学部しか選択肢として考えていませんでした。

父が薬学部出身だったので、なんとなく選んだのもあるかもしれません。

── 薬剤師としての道には進まなかったのですか?

薬剤師として薬局で働きたいと思ったことは一度もなかったです。大学卒業間近になっても特に就職活動に熱心だったわけではなく、むしろレストランでアルバイトをしようと考えていたほどです。ですが、偶然の流れで製薬会社に入社することになりました。

── 製薬会社に就職されたのは、どのような経緯ですか?

実は大学卒業後、レストランでアルバイトをすると言ったら大学に怒られたんです。「就職率が悪くなるから就職してくれ」と言われて、紹介された製薬会社に就職することになりました。特に製薬会社で働きたいという強い希望があったわけではありませんでした。

── MR(医薬情報担当者)として働かれていたそうですが、どのような経験をされましたか?

入社した会社では、女性初のMRでしたので、会社側は気を使ってくれました。私が配属になる事業所は一斉に禁煙になったり、早く帰らせなきゃいけないと思われたり。

でも、私はそういった配慮を気にとめず、仕事に打ち込みました。頑張りすぎて体調を崩したほどです。接待は女性には禁止されていましたが、会社に黙って行ってましたし、ゴルフも年間40回くらいドクターと一緒に回っていました。

競合他社に負けるのが嫌で、ゴールデンウィークなどの長期休暇中も勝手に出勤していました。結果的に成績も良かったので、そういった行動も許されていたのかもしれません。産休中にもドクターにメールをしていたくらいでした。

── その時代に身につけたスキルで、現在の経営に活きていると感じることはありますか?

実はたくさんあります。営業のトークスキル、プレゼンテーション資料の作成方法、人前でのスピーチ技術など、当時は気が付きませんでしたが、大企業では当たり前のようにみっちり教育されていたと、後から気が付きました。

── 具体的にどのようなことだったのでしょうか。

市場環境分析やSWOT分析などの経営手法も、当時学んでいたので、社長になってからそれらの知識が活きています。また、お客様とのコミュニケーション能力も大きな財産です。

特に医療業界の方々との人脈やコミュニケーションの取り方は、今の事業戦略にも直結しています。あの時代に身につけた負けん気の強さも、経営者としての原動力になっていると思います。

父の厳しい教え、他社での経験が経営に活きる

── 山仁薬品への入社はどのような経緯だったのでしょうか?

父が体調を崩して、「後継いでくれないか」と相談されたのが入社約3年前です。そのうちに父が引退し、2009年8月に私が正式に入社することになりました。

正直、「継ぐ」という言葉は自分では使っていませんでした。「行かなきゃいけない、しゃあないから行く」という気持ちでしたね。でも、翌2010年には社長を継ぐことになりました。

── 入社してからどのように経営者としての準備をされましたか?

経営者として第一歩は、正月の挨拶を考えることから始まりました。「正月の挨拶って経営者はどんなことを言うんだろう?」と、ネットで必死に調べました

商工会の研修など、手当たり次第に経営者向けの講座を受講しました。でも結局、自分が大企業でどれだけ多くのことを学んでいたかに気づいたんです。その経験が経営者としての自信にもつながっていきました。

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関谷康子氏プロフィール

山仁薬品株式会社/山仁産業株式会社 代表取締役社長 関谷 康子 氏

1971年、滋賀県生まれ。摂南大学卒、1995年に製薬会社に入社。MRとして活躍する。2009年に現在務める山仁薬品株式会社に入社、2010年に代表取締役社長に就任。医薬品業界に特化した乾燥剤メーカーとして会社を再生させる。「ドライヤーン」を乾燥剤の代名詞にすることを目標に、BtoC市場への展開も推進している。経営理念には「斬新なアイデアと意思ある実行力で世の中の「不」を「快」にする」を掲げ、従業員の能力を活かした「社内起業」を推進。70周年を迎えた老舗企業に新たな風を吹き込み、伝統と革新のバランスを重視した経営を実践している。従業員数は両社合わせて約34名、売上高は約6億4500万円(2023年度)。

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