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「私の夢を叶えても人生バラ色にならない」インドネシア行の夢を断ち、父の水産会社を継いだ娘 ~安岐水産【前編】

地元・瀬戸内海の海産物を加工するほか、海外の豊富な水産資源を日本の食卓に届けるため、さまざまな取り組みを行ってきた水産加工会社「安岐水産」(香川県さぬき市)。2019年、創業者である父の漁業への思いを受け継いで三代目の社長に就任したのは、父の背中を見て育った娘の安岐麗子氏でした。安岐水産の事業承継ストーリーを紹介します。

瀬戸内海の小さな島から始まった

安岐水産は、瀬戸内海の海産物を中心に、海外の水産資源を買い付けて加工し、主に業者向けに販売しています。主力商品の「いかそうめん」をはじめ、香川県がブランド化を進めるフグ「讃岐でんぶく」や「さぬき蛸」の加工品など、多彩な商品を扱っています。

安岐氏の父、豊氏は、瀬戸内海の小さな島・豊島(てしま)の漁村で生まれました。高校卒業後、地元の漁業組合に就職。1965年、瀬戸内海の乾燥えび、ちりめんじゃこ等の水産物加工会社「安岐水産」を創業しました。

豊氏は、漁業組合にいた時、香川県の韓国視察団に参加しました。そこで港に山積みされた魚介類に圧倒されたことから、海外の水産資源に注目していました。創業後、韓国、タイ、インド、ベトナム、スリランカ、フィリピンなどに通い、漁法や加工処理の仕方を技術指導し、「日本の食卓で、生で食べられるもの」を届けることに尽力してきました。

いかそうめん、爆発的ヒット

絶品のいかそうめん

安岐氏は、会社の水産加工場の片隅で、両親が働くのを見ながら成長していったといいます。高校卒業後に香川県を出て、大学や就職で11年ほど県外で暮らしましたが、その後香川に戻ります。父の仕事を手伝うためでした。

「まず最初、私自身の会社を作ったんです。安岐水産の水産加工の仕事を委託されて加工賃をもらう会社でした。恵まれたスタートをさせてもらったなと思っています」。

当時、安岐水産で主力商品となっていたのはいかそうめんでした。一次加工して日本に輸入されたアオリイカを細切りし商品化したものが爆発的にヒットし、作っても作っても足りないような状態に。

最初は安岐氏の両親が手で細く切っていたものの、機械メーカーに依頼して開発した細切り機を導入するようになりました。安岐氏の会社では、おもにそのいかそうめんの加工を請け負っていました。

インドネシアへの輸出業を始める

安岐氏が起業して2年ほど経った頃、転機が訪れます。日本人向けのスーパーマーケットを経営しているインドネシア人との縁がきっかけでした。

「スーパーマーケットで扱う商品は、何千品目という数になるんですけど、それを日本で仕入れ、コンテナとエアカーゴで輸出をするという仕事を始めたんです」。

しばらくは輸出と水産加工を両立していましたが、輸出業が軌道に乗ったため、水産加工は安岐水産に返す形になりました。

15年ほど順調にインドネシアへの輸出を続けていましたが、ある時インドネシアの法律が突然変わり、1つのコンテナに何百品目も詰めて送ることが事実上不可能になってしまいます。

スーパーの棚が空いてしまう分、何かで埋められないか。そこで安岐氏が考えたのは、惣菜事業への取り組みでした。「当時、日本食のブームがけっこう来ていたので、日本で惣菜の勉強をして、ジャカルタに行って、和惣菜のお店をするつもりでした」。

インドネシアの夢をあきらめた理由は

しかし、すぐにはインドネシアに行く道は開けませんでした。ひとまず安岐氏は、日本向けの魚の惣菜を手がけることにしました。

安岐氏が惣菜事業を始めて以降、工場の増設し、従業員も行き来する形になり、安岐氏の会社と安岐水産とは1つの組織のようになっていました。

その後も家業は順調に推移していましたが、父の豊氏が病気になってしまいます。今後会社をどうしていくのか、家族の中で不安が大きくなりました。

安岐氏は「5年頑張って会社を盛り上げるから、5年後には退職してインドネシアに行って事業を始めたい」という希望を家族に伝えていました。

しかし、3年ほど家族で話し合いを繰り返し、安岐氏が安岐水産の代表を務めることになります。決め手は、今いる社員に迷惑をかけるわけにはいかない、ということでした。

「家族の都合で、社員さんに申し訳ないことになる。そういう状態を作ったまま、私が自分の夢を叶えるためにインドネシアに行ったとして、じゃあ私の人生はバラ色になるのかな?と思った時に、あ、それはちょっと違うな、それはできないなと思って。だったらもう、やるしかないなって思ったんです」。

覚悟を決めた安岐氏が社長に就任したのは、2019年のことでした。

後編では、安岐氏が直面した経営課題や、魚食文化を盛り上げるための新たな取り組みについて聞きます。

※こちらの記事は追記・修正をし、2024年3月3日に再度公開しました。

後編|「日本の豊かな魚食文化を伝えたい!」女性の視点で、父から継いだ水産会社をイノベーション ~安岐水産

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株式会社安岐水産 代表取締役社長 安岐 麗子

93年に父が創業した水産加工会社・安岐水産に入社。94年に安岐&カンパニーを創業、インドネシアジャカルタにある日本人向けスーパーマーケットへの食品輸出などを経て、2019年に父の後を継いで安岐水産代表取締役に就任。お魚生活すすめ隊を結成し、魚食の普及や海を守る活動を通じて瀬戸内の魅力を発信、地域の活性化にも取り組んでいる。

賢者の選択サクセッション編集長  前田 雄大

株式会社矢動丸プロジェクト 代表取締役。企業ブランディングの支援、ビジネス番組「賢者の選択」のプロデューサー、経営者コミュニティーの運営などに取り組む。自ら事業承継する中で、社会課題である事業承継問題と向き合うべく「メディア」と「経営者コミュニティ」を有する事業創継プラットフォーム「賢者の選択サクセッション」を立ち上げる。「メディア」で事例を紐解きノウハウを形式知化、「経営者コミュニティ」で知見を共有しソリューション提供を実施する事で、経営者の方々と共に課題解決に取り組み、日本の事業承継問題解決を目指す。

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