COLUMNコラム
日本の豊かな魚食文化を後の世代につなげたい—安岐水産の事業承継/安岐麗子インタビュー#1

地元・瀬戸内海の海産物の加工に始まり、海外の豊富な水産資源を日本の食卓に届けるべくさまざまな取り組みを行ってきた安岐水産。創業者である父の、漁業への思いを受け継いで三代目の社長に就任したのは、父の背中を見て育った娘の麗子氏でした。安岐水産の事業承継ストーリーを紹介します。
目次
瀬戸内海の島から始まった歴史
株式会社安岐水産は、香川県さぬき市で水産加工業を営む会社です。瀬戸内海の水産物を中心として、海外からも水産資源を買い付けて加工し、主に業者向けに販売しています。主力商品のいかそうめんをはじめ、香川県がブランド化しているフグ「讃岐でんぶく」や「さぬき蛸」の加工品など、扱う商品は多彩です。
麗子氏の父、安岐豊氏は、瀬戸内海の小さな島・豊島(てしま)の漁村で生まれました。高校卒業後、地元の漁業組合に就職。1965年、瀬戸内海の乾燥えび、ちりめんじゃこ等の水産物の加工会社として安岐水産を創業しました。
漁業組合にいた時、豊氏は香川県からの視察団に参加し、韓国へ赴いたことがあります。そこで港に山積みされた魚介類に圧倒されたことから、海外の水産資源に注目していました。創業後、韓国、タイ、インド、ベトナム、スリランカ、フィリピンなどに通っては、漁法や加工処理の仕方を技術指導し、「日本の食卓で、生で食べられるもの」を届けることに、熱心に取り組んできました。
安岐水産の下請け加工会社を起業

麗子氏は、会社の水産加工場の片隅で、両親が働くのを見ながら成長していったといいます。高校卒業後に香川県を出て、大学進学・就職を経て11年ほど県外で暮らしましたが、その後香川に戻ります。父の仕事を手伝うためでした。
「まず最初、私自身の会社を作ったんです。安岐水産の水産加工の仕事を委託されて加工賃をもらう会社でした。恵まれたスタートをさせてもらったなと思っています」。
当時、安岐水産で主力商品となっていたのはいかそうめんでした。一次加工して日本に輸入されたアオリイカを細切りし商品化したものが爆発的にヒットし、作っても作っても足りないような状態に。最初は麗子氏の両親が手で細く切っていたものの、機械メーカーに依頼して開発した細切り機を導入するようになりました。麗子氏の会社では、おもにそのいかそうめんの加工を請け負っていました。
インドネシアへの輸出業を始める
麗子氏が起業して2年ほど経った頃、一つの転機が訪れます。日本人向けのスーパーマーケットを経営しているインドネシア人との縁ができたことがきっかけでした。
「スーパーマーケットで扱う商品、何千品目という数になるんですけど、それを日本で仕入れをして、コンテナとエアカーゴで輸出をするという仕事を始めたんです」と麗子氏。しばらくは輸出と、それまでの水産加工と並行して行っていましたが、輸出の仕事が軌道に乗ったため、水産加工の仕事は安岐水産に返すかたちになりました。
15年ほど順調にインドネシアへの輸出を続けていましたが、ある時インドネシアの法律が突然変わり、1つのコンテナに何百品目も詰めて送ることが事実上不可能になってしまいます。スーパーの棚が空いてしまう分、何かで埋められないか。そこで麗子氏が考えたのは、惣菜事業への取り組みでした。「当時、日本食のブームがけっこう来ていたので、日本で惣菜の勉強をして、ジャカルタに行って、和惣菜のお店をするつもりでした」。
しかし、外部環境が整わず、インドネシアに行く道はなかなか開けません。そこでまず麗子氏は、日本向けの魚の惣菜を自社で手がけることにしたのです。
海外への夢を断念し社長に就任

麗子氏が惣菜事業を始めてからは、工場も増設し、従業員も行き来する形になり、麗子氏の会社と安岐水産とはほぼ1つの組織のようになっていました。
そのような状態で年数を重ねていくうち、父の豊氏が病気になるという事態が起こります。今後会社をどうしていくのか、家族の中で不安が大きくなりました。麗子氏は「5年頑張って会社を盛り上げるから、5年後には退職してインドネシアに行って事業を始めたい」という希望を家族に伝えていました。
それから役員会議すなわち家族会議が始まり、3年ほど話し合いを繰り返した結論として、麗子氏が安岐水産の代表を務めることになります。決め手は、今いる社員に迷惑をかけるわけにはいかない、ということでした。
「家族の都合で、社員さんに申し訳ないことになる。そういう状態を作ったまま、私が自分の夢をかなえるためにインドネシアに行ったとして、じゃあ私の人生はバラ色になるのかな?と思った時に、あ、それはちょっと違うな、それはできないなと思って。だったらもう、やるしかないなって思ったんです」。
覚悟を決めた麗子氏が社長に就任したのは、2019年のことでした。
まとめ
海外での事業展開を意図しながら、結局は家族と社員のために会社の承継を決断した麗子氏。次回記事では、麗子氏が直面している経営課題や、魚食文化を盛り上げるための地域と一体になった新たな取り組みについて、お話を伺います。
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