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「ピアノを弾くことが恐怖に…」 高級スーツ企業を率いる女性社長、若き日の挫折とは

職人の手仕事によるフルオーダースーツを手がける「株式会社銀座テーラーグループ」(東京都)は、歴代の首相らを顧客に抱える、メイド・イン・ジャパンの最高級スーツブランドだ。創業者の孫で、4代目の小倉祥子代表取締役(46)は、もともとピアニストになる夢を抱いてイギリスに音楽留学していた異色のキャリアを持つ。カリスマ的な3代目である母・鰐渕美恵子氏の背中を見て芽生えた家業への思いや、継承の経緯について話を聞いた。

ピアニストになる夢の断念と、家業への意識の芽生え

――銀座テーラーは小倉代表で4代目ということですが、創業からの歩みについて教えてください。

1935年に祖父が「鰐渕洋服店」を創業し、テーラー事業を始めました。祖父から父への継承については、私は幼かったので具体的な経緯を知りませんが、その時代としては当然の流れとして、息子である父に受け継いだと思います。

2代目の父の後を継いだのは、私の母でした。母が承継した理由は、父は体が弱く病気がちで、さらに当時絵画に投資して大きな借金をつくったためです。

私が意識的に家業について考えるようになったのは、母の代になってからです。父の時代は、「うちは洋服屋さん」という程度の意識しか持っていませんでした。

――小倉代表はピアニストを目指して留学し、その後に家業を継いだという、独特の経歴ですね。

親戚にNHK交響楽団のコンサートマスターがいたことなどもあり、音楽や芸術が身近にある環境で育ちました。そして、「ピアニストになる」という夢を抱き、青山学院女子短大家政学科を卒業した後、イギリスに留学したのです。

しかし、同じタイミングで留学してきた生徒や在学生とのレベルの違いに直面しました。

幼い頃から音楽一筋で英才教育を受けてきた人たちと、「音楽が好き」という私。コンクールや演奏会の経験値、レパートリーの差も明確で、レベルが段違いでした。

私は、彼らの前でパフォーマンスをする自信が持てなくなり、課題のコンペティションや試験でも、硬直し演奏が止まってしまう事もありました。世界レベルの音楽の世界を知ることで、人前で弾く事への強い恐怖心が生まれ、トラウマのようになってしまい、今でも夢を見る程です(笑)。

どのような状況下でもベストなパフォーマンスを披露できるメンタルを養えず、自分がパフォーマンスをするタイプでないことを思い知り、ピアニストへの道を断念しました。

マーケティングへの興味からアメリカ留学へ

――先代の「頑張り」について教えてください。

父が病気になってからが、特に大変だったと思います。母は、父が亡くなるまでの20年ほど、ずっと父の病気と向き合っていました。父を看病しながら家事と育児をこなし、私が中学3年生の頃に銀座テーラーの仕事に入りましたが、当時も食事制限のある父の食事を用意するために早めに仕事を切り上げるなど、家庭を切り盛りしながら仕事をしていた姿を覚えています。

ただ、母は、自分が経営者として苦労したので、娘である私たち姉妹に、無理に継がせようという考えはなかったようです。でも、私は留学先のイギリスで、メディアを通して母の頑張りを知り、「ここで家業が絶えてしまうのはもったいない」と思っていました。

――小倉代表が留学から帰国したきっかけは?

音楽留学の挫折を経てから帰国し、自分の人生について真剣に考えはじめました。「ピアニストになりたい」という夢をあきらめ、どうやって生きていこうかと最初は迷いました。

当時はちょうど就職氷河期で、新卒でもなければ社会人経験もない私には、就職がなかなか難しい状況でした。そんな折、母からの依頼で、銀座テーラーの路面店でアルバイトをすることになったのです。

当時、母が立ち上げたレディース部門の小売店で、あくまで既製服の販売員としての仕事でした。2002~2003年のことですが、日本は非常に不景気で、店の前をたくさん人が通るのに誰も入店してくれない。客を店に呼び込むのはすごく難しいことだと実感しました。この経験から、アメリカの大学にマーケティングを勉強しに行くことを決めました。

アメリカで高まった事業承継への思い

――アメリカではどのような経験をしたのですか?

コミュニティカレッジに入学し、語学を半年学んでからビジネスコースに入り、マーケティングを勉強しました。留学期間は2年半です。

ちょうどその頃、母がメディアに多く取り上げられ、非常に有名になりました。「主婦から転身した女性経営者」として注目され、赤字だった企業を継承して黒字に回復させたことや、母の経歴が非常にドラマチックだったこともあり、テレビのビジネス番組からバラエティまで、とにかくさまざまなメディアに出演していました。

銀座テーラーが有名になっていく様子を、アメリカからインターネットで見ながら、「会社は生き物なのだ」と実感しました。せっかく自分が勉強していることを活かし、何とか母に返していきたいという意識が高まっていきました。

そして、母と国際電話で「帰国後にどうするか」という話をしました。「母が立て直して成長させた事業を、母の代で終わらせてしまうのはもったいない」という素直な気持ちを伝え、正式に入社が決まりました。

――「会社は生き物」と実感したとのことですが、どのような意味でしょうか?

会社には「安定」ということが絶対にありません。外的なインパクトがプラスにもマイナスにも働きます。会社それぞれに個性があり、ときどきの社会状況や、トップに立つ人によって変わってきます。また、入社する人材によって、会社の雰囲気や風土も変わるでしょう。人間や動物の体調と同じように、会社にも「体調」のようなものが常にある、というふうに考えています。

母は銀座テーラーに入り、最初は苦労もしましたが、やり方次第で会社がどんどん元気になり、それとともに社員も元気になっていきました。やはり経営者のモチベーションが関わってくるので、経営者が元気じゃなければ会社は元気にならない。

その意味では、組織は本当に一人ひとりがつくっていくものなのだと思います。そこに絶対的な法則やルールはなく、かといって哲学的に取り組んでもうまく行かないことは非常に多いですし、論理的にきちんとやったとしても、それが正解だとは限りません。

――マーケティングを学ばれたのは、その正解に近づくためでしょうか?

そうですね。情報や数字は紛れもない事実ですから、その事実に基づいてどういう結果が生まれるか、というセオリーがあります。だからこそ事実、つまり会社の状態を数字で見ることが大事です。

振り返ってみてわかった、ピアノと経営の類似点

――ひたすら自分と向き合うピアノの世界から、ビジネスの世界に入り、戸惑いはありませんでしたか?

意外とありませんでした。というのも、ビジネスは私一人で立ち向かうのではなく、周りにいるスキルの高い人々に助けられながらチームで動きますから。周囲の人たちから話を聞いて、意思決定をしています。

ピアノは練習も含め、一人の時間が非常に多い。私はむしろ人といっしょに仕事をすることに向いていたのだと思います。ただ、先ほどの「会社は生き物」という話はピアノにも当てはまります。

同じ曲を弾くにしても、演奏するホールの大きさによって弾き方は変わります。大きいホールでは打鍵を強めに弾かなければいけないのに対し、サロンコンサートなど小さい会場では調整をしないと耳にうるさく感じてしまうこともあります。いろいろな状況に応じたベストのパフォーマンスをどうやったらできるかを考えなければいけない。そういう点は、会社の経営と似ていると思います。

留学時代を振り返ると、人前でのピアノ演奏以上に怖い経験は無かったので、仕事で人前でのプレゼンテーションや講演などには、全く動じないようになりました。

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株式会社銀座テーラーグループ 代表取締役社長 小倉 祥子氏

1978年、東京都生まれ。青山学院女子短期大学家政学科を卒業。幼い頃から音楽に親しみ、1999年英国王立音楽大学にピアノ留学。一度帰国したのち、マーケティングを学ぶためにアメリカの大学に2年半留学、2007年に帰国。2008年、家業である銀座テーラーに入社。社長室室長、専務取締役などを経て、2019年に代表取締役に就任。

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