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名古屋名物「元祖 鯱もなか」実は5年前に廃業予定だった 復活を後押しした全国の応援と、ゼロからの再スタート戦略とは

1907(明治40)年創業、名古屋城の鯱(しゃちほこ)をかたどった「鯱もなか」で知られる老舗和菓子店「元祖鯱もなか本店」。実は5年前、廃業が予定されていた。しかし、コロナ禍のある出来事をきっかけに、名古屋で長年愛された「鯱もなか」を途絶えさせてはいけないという声が高まり、全国から注文が殺到。直後に事業を継いだ4代目・古田花恵氏と夫・古田憲司氏は、従業員ゼロ、製造機械も売却済みという状況から、売上を約3年で9倍に成長させた。ゼロからの復活について、専務取締役の古田憲司氏(40)に聞いた。

店が全焼しても作り続けた名古屋らしさのあるお菓子

「元祖鯱もなか本店」愛知県名古屋市(写真提供:有限会社元祖鯱もなか本店)

──「元祖鯱もなか本店」の歴史を教えてください。

創業は1907年です。当時は、名古屋市の御園座という歌舞伎劇場の裏通りに店を構えていました。当時からお土産用のお菓子を手がけ、1921(大正10)年に、初代が名古屋城の鯱をモチーフにした「元祖 鯱もなか(※以下、鯱もなか)」を完成させました。これが大ヒットし、今もうちの看板商品です。

1945年の名古屋大空襲で、店舗も御園座も全焼してしまいました。それでも商売をやめることはなく、戦後に現在の大須に移転して再スタートを切りました。鯱もなかの金型も焼失してしまったので、2代目が東京まで足を運んで新しく作り、現在も使用しています。

──洋菓子はいつから?

1980年、3代目が京都の洋菓子店で修行を積み、技術を持ち帰って本格的な洋菓子製造を始めました。和菓子の職人がいる環境で、当時のトレンドを取り入れようとした判断でした。

廃業を決意していた先代の気持ちを変えたコロナ禍の応援の声

──事業を承継した経緯を教えてください。

妻の家業である「元祖鯱もなか本店」の手伝いをしていた経験から、この仕事に魅力を感じて、2016年に「継がせてほしい」とお願いしました。

しかし答えは「無理」の一言。実は、先代は店じまいをするつもりだったのです。休みがなく、毎日大変な仕事なので、妻に同じ思いをさせたくなかったのだと思います。

先代自身も70歳近くになって体力的にきつくなってきたのもあり、「そろそろ引退を考えている」と宣言したのです。2019年あたりから閉店準備を進め、新商品も出さない、新規営業もやめる、パートさんの契約更新もしないなど、入った注文をこなすだけの経営状態でした。業績もピーク時の半分以下になっていました。

――その後、事業を継続することになったのはなぜですか。

潮目が変わったのがコロナ禍です。2020年4月に緊急事態宣言が発令され、旅行が制限された影響でお土産需要が完全に止まりました。

作っても売れず材料も余るという状況で、店には売れ残ったお菓子の在庫の山。売り上げはコロナ禍前の3分の1にまで落ち込みました。

そこで妻が、「売れ残りを抱えて困っている事業者が特別価格で販売し、消費者が買って応援する」というFacebookのコロナ支援サービスに出品したところ、予想以上の反響があり200件近い注文が入りました。

注文だけでなく、「頑張ってください」「鯱もなかの歴史を守ってください」といった温かい応援の声も多くいただいたことで、「世間は鯱もなかをこういう風に見てくれているんだ」と、気づかされました。

SNSの可能性と、鯱もなかの持つポテンシャルを実感した瞬間でした。

──その後、事業承継を決めたのですね。

これをきっかけに「100年も愛され続けている鯱もなかを、なくしてはいけない」という使命感を感じるようになりました。全国からの温かい声をいただき、売上につながったこともあり、先代も私たちが事業を継ぐことを了承してくれました。

従業員もいない、製造用の機械もない、マイナスからのスタート

元祖鯱もなか本店 専務取締役 古田 憲司 氏(写真提供:有限会社元祖鯱もなか本店)

──承継されてからの取り組みについて教えてください。

2021年に事業承継し、妻が4代目として製造やインターネットショップ(ECサイト)、ビジュアル面の責任者になりました。私は、当時個人事業として不動産業を営んでおり、専務取締役として経営を支えることにしました。先代も製造現場でサポートを続けてくれることになりました。

しかし、コロナ禍前までは閉業の準備をしていたこともあり、従業員もおらず、製造のための機械も売却済でしたから、スムーズとは言い難かったです。商工会議所に相談しても良い策はなかなか見いだせず、マイナスからのスタートでした。

まず人手が必要だと考え、正社員として2名採用しました。責任を持って仕事に取り組んでもらいたかったので、正社員での採用にこだわりました。

製造業務中心の男性スタッフと、店舗販売ができる女性スタッフです。体制を整えながら、並行してオンラインでの販売体制も構築していきました。

──具体的にはどのような施策をされたのですか。

政府の補助金を活用して、本格的なECサイトを立ち上げました。同時にInstagramとLINE公式アカウントも開設し、情報発信を始めました。

特にInstagramでは「20~30代の甘いものが好きな会社員女性」といったペルソナを設定し、ターゲットを明確にした投稿を心がけました。

Yahoo!ニュースが大反響 プレスリリースがそのまま「コンテンツ」に

──逆境のスタートでしたが、どのような取り組みをされたのですか。

製造・販売の体制を整えた後に、これまでの私たちの歴史から取り組みまでをストーリー化して、プレスリリースとして配信しました。

それをきっかけに名古屋ネタライターさんが取材してくださり、その記事がYahoo!に配信されてしばらくすると、Yahoo!トップに掲載されたのです。その瞬間から、オンラインの注文が殺到しました。翌朝からは電話も鳴り止まない状態になって。全国からお問い合わせをいただきました。

商品だけでなく、これまでの私たちの歩みがストーリーとしてメディアに評価されたのが大きかったと思います。その後も、様々なメディアに取り上げていただいています。

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古田憲司氏プロフィール

有限会社元祖鯱もなか本店 専務取締役 古田 憲司 氏

1984年、愛知県生まれ。中京大学卒業後、音楽活動を経てビジネス界へ。商社、外資系メーカーなど複数の企業での経験を積んだ後、不動産業を起業。2021年に現在勤める有限会社元祖鯱もなか本店に入社し、専務取締役に就任。4代目となる妻と二人三脚で、創業118年の老舗を次世代に向けて進化させている。SNSでのファンとの関係づくりを重視し、伝統と革新が織りなす新たな和菓子文化の創造を目指す。

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