目指せ、ハチミツ界の「さかなクン」 ハニーハンターを名乗り、450種もの蜂蜜を集めた京都・老舗企業の社長とは

蜂蜜にまつわる多彩な新ビジネスを手掛ける京都の老舗蜂蜜専門店「金市商店」。三代目市川拓三郎氏(40)は、蜂蜜界の「さかなクン」を目指して「ハニーハンター」を名乗り、蜂蜜ごとに生産地の情報やストーリーを伝えている。採取時期や場所によって千差万別の味や色となる蜂蜜「シングルオリジンハニー」の販売や、蜂蜜酒の開発などの独創的な発想は、どのように生まれてきたのか。「蜂蜜に親しんでもらいたい」という思いの源や今後の展望を聞いた。
目次
10万円や100万円の失敗は怖くないんだ

――社長に就任して、最初は苦労されていたとのことでした。当時の状況を教えてください
1年目は会社経営が思うように行かず、自分を責めていました。でも周りは、「よくやってるよ」という思いで見てくれていて、「それほど悩まなくてもいいか」と吹っ切れてきました。
そこからですね、「失敗しても会社が潰れなければいい」というスタンスに変わったのは。私も含め、従業員が会社に損失を出したとしても、10万円や100万円であれば怖くなくなり、チャレンジできるようになりました。
小さい会社だからこそ、スピード感を持ってやりたい。ただ、相談や会議を減らして自分で勝手に決めることは良しとしませんでした。
よく会社の中で言うのは、「多数決では決めない。多数決をとった結果を見て私が決めます」。社長の役割は、会社を潰すような致命的な失敗を防ぐこと。それ以外は自由にやればいいし、社長就任や事業継承を重く考えないようにしています。
京都で長くやってきた強み
――社長就任後、金市商店の課題や強みは見えてきたのでしょうか
一番の課題は、社内がバラバラだったことです。仲が悪くはないけれど、みんな好き勝手に動き、番頭さんのような人がいない。他の会社でよくある「年配の人にモノ言わないといけない」という苦労はなかった反面、人が育っていないので旗振りが必要でした。
強みだと思ったのは、京都で長くやってきた歴史です。商売を支えてきてくれた町の人や取引先の人たちの存在を感じ、続けていかなくてはいけないと強く思いました。
50年ほど前の少しダサいパッケージの商品をあえて残し、店の外観も、昔の写真を引っ張り出してさまざまな場面で使っています。古いお客さんに思い出してもらえるし、会社の歴史があることの証明にもなります。
色も香りもまったく異なる蜂蜜の世界

――養蜂家を訪ねて蜂蜜を仕入れる「ハニーハンター」としての発信もされています。始められた契機は
2020年に、蜂蜜を販売する直営ショップ「ミールミィ」本店をリニューアルし、会社のコンセプトを前に出すお店に大きく変えたことがきっかけです。
蜂蜜以外の商品をなくし、「シングルオリジンハニー」という新しいコンセプトの商品を加えました。この蜂蜜がいつ、どこで取れたかをパッケージに表示し、商品に通し番号をつけたのです。
業界では、複数の養蜂家さんから買った蜂蜜を合わせて、例えば「アカシア」のような一つの商品にして品質をブレにくくすることがよくありますが、この商品は違います。
蜂蜜は、とれた時季や気候、どの花の蜜を集めたのかなどによって、味も香りも色も異なります。黒色に近く濃厚な味のものや、透明でさわやかな甘さのものまで。現在は450ほど通し番号があります。
こうした一つ一つの蜂蜜のストーリーや採取する苦労をお客さんに伝えたいと思い、「ハニーハンター市川拓三郎」の活動を始めました。目指すは、はちみつ界の「さかなクン」です。
業界を知らない人が蜂蜜を語るケースは多いけれど、そうではなく、知識があって生産者を知っている人間として発信したかった。社会的な意味もあるし、会社のブランディングとしても重要です。蜂蜜の作り方のレクチャーや、子ども向けに蜂蜜絞り体験もしています。
リニューアルしたお店のコンセプトは「蜂蜜のテーマパーク」です。「蜂蜜を売って利益を上げるお店」ではなく、「蜂蜜を楽しんでもらうお店」にしたかった。そうすれば、きっとお客さんは買ってくれるはず。ディズニーランドでも、楽しければお土産もたくさん買うし、友達にも紹介しますよね。
蜂蜜の試食も工夫しました。私は内向的な性格で、服屋などでもお店の人に声をかけられるのが苦手。そういうお客さんも、自分でプッシュして試食できるように、何十種類もの蜂蜜をシャンプーボトルに入れています。
カフェで提供するハニートーストは蜂蜜かけ放題で、かける場面は店員から見えない。遠慮なく楽しんでほしいからです。「また来たい」と思ってもらえれば、記憶に残るし、きっと売り上げは増える。
利益は出さないと続かないけれど、人を騙したり悲しませたりしてお金を受け取ることをしません。従業員に対しても同じで、働く人が嫌な思いをしない会社を目指しています。
父とは和解できました
――社長に就任してから、二代目との関係は変わったのでしょうか
以前は、理想論を語る父が嫌いで受け入れられなかったけれど、今は少しわかります。
私はゲームやインターネットが好きだったので、父は「オタク」の印象を持っていたのでしょう。パソコンで売上のデータを見せて「この商品が売れてるからもっと力を入れた方がいい」と提案すると、「お前はお客さんを見ず、数字しか見ていない」と言われる。
決してそんなことはなかったけれど、確かに数字を元に経営する方法を取り入れていたし、少し頭でっかちだったかもしれません。「お客さんに楽しんでもらう」という今のモットーは、父がずっと言ってたことなんですよね。
社長になった直後は、理念とは、会社に浸透させて組織をまとめるための手段だと思っていました。けれど5 年くらい経ち、本当の意味で理念が大事だと思えてきた。今では、「蜂蜜を通じてみんなを幸せにしたい」と本気で思っています。
父とは、仕事で関わらなくなり、息子たちの面倒を見てもらうようになって、仲良くなりました。だから、親子で仕事する上でのアドバイスがあるとすれば、「距離置いたら仲良くなる」ですね。
最近は、「頑張ってるな」と言ってくれます。「後継者がいて会社も続いてるし、思い残すことはない」という言葉を聞いたときは、よかったと思いました。「こいつじゃあかん」ではなく、後継者としても、家長としても一人前として認めてくれてるのかもしれません。
「ミード」を知っていますか
――新商品の開発も進んでいますが、今後の展望は
蜂蜜酒「ミード」は、約20年前から始めた事業で、ようやく商売になってきました。飲みやすいお酒で、若い男性にも人気があります。国産ミードを作るプロジェクトに力を入れ、2021 年にはミード専門の「京都蜂蜜酒醸造所」を作りました。
若くして社長になったので、長期間で事業を育てたいと思っているので、ライフワークとして日本でミードを根付かせていきたいですね。
蜂蜜のことを多くの方に知ってもらうために、今後はVtuberとのコラボなど新しい企画も考えています。また、2025 年の大阪万博へ向けて、関西ミードシリーズを開発していきます。第一弾の「ザ・ミード京都」は発売を開始しています。
――次世代に継承するためには、何が必要でしょうか
2030年に創業100 周年を迎えます。この先の事業継承を考えると、息子3 人がそれぞれの特性を生かして蜂蜜作りに関われるように、土壌を残したいですね。
京都の魅力は、伝統と革新の共存です。古い街並みが残り、歴史があるのに最先端のビジネスもあり、こんなにクリエイティブな街はない。私自身も、一番大事な部分を残すことができるなら、変わることは何も怖くありません。
ただ、養蜂業界の発展も大事に考えているので、観光業を意識しすぎず、消費されて終わらないようにしたい。最先端のまちで、「京都に来て良かった」と思われる蜂蜜店を作っていく。それは、いわゆる「儲ける」こととは違うと考えています。
(取材・記事/小坂綾子)
市川拓三郎氏プロフィール
株式会社金市商店 代表取締役社長 市川 拓三郎 氏
1984年、京都府生まれ。関西大学在学中にバックパッカーで世界中を旅し、卒業後は輸入食品の会社に勤める。2009年に家業である金市商店に入社。蜂蜜の仕入れや製造責任者などを経て、2017年に32歳で代表取締役社長に就任。国内外の養蜂家を訪ねて蜂蜜を仕入れ、「ハニーハンター」を名乗って発信活動にも取り組む。
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