COLUMNコラム
60年続くロングセラー「すしのこ」を受け継いで 「僕って将来、社長なるの?」と尋ねた少年、4月から新社長に~タマノイ酢【前編】
ご飯に混ぜるだけで簡単に酢飯を作れる調味料「すしのこ」は、60年にもわたるロングセラー商品です。製造、販売を手がける食品メーカー「タマノイ酢」(本社・大阪府堺市)のルーツは、実に400年以上前の安土桃山時代にさかのぼり、世界で初めて酢の粉末化に成功した企業でもあります。2024年4月1日、タマノイ酢の新たな代表取締役社長に就任する播野貴也・専務取締役に、後継者として成長してきた軌跡について聞きました。
目次
「僕って、将来社長なるの?」
――代表取締役社長に就任されることが決まりましたが、いつ跡を継ぐことを決意しましたか。
播野 父(勤氏・現代表取締役社長)が社長になったのは、長男の私が小学校2~3年生のころでした。急に一緒に遊んでもらえなくなり、「とにかく忙しいんだな」というのは子どもながらに分かりました。
父からは「会社を継ぎなさい」と言われたことは一度もありません。でも、母から「お父さん大変だから、いつかちゃんと手伝えるようになりなさい」などと言われて育ちました。
小学校6年の卒業文集に将来の夢を書くとき、友達はサッカー選手や野球選手と書いていましたが、私は迷いました。ふと気になり、父に「僕って、将来社長なるの?」と聞いてみました。
――お父様は、何と答えたんですか?
播野 父は「実力があれば」と答えました。
「どういうこと?」と質問すると、父は「会社の経営には向き不向きがある。勉強が得意な人もいれば、音楽が得意な人もいる。その中の1つが経営なんだ。もしも、経営が好きで、自分に向いていると感じるなら、素晴らしいことだ」と話してくれました。
「僕に実力がなかったら、どうしたらいいの?」と素朴な疑問をぶつけました。父はJリーグに例え、「オーナーがいて、監督がいる。優秀な監督を連れてきてチームの成績を上げれば、オーナーの役割を果たせる。オーナー家だからといって無理に社長をやる必要はない」と説明しました。
公立小・中で色んな人や経験に触れて
――跡を継ごうと決意したのはいつごろですか?
播野 中学生くらいでしょうか。継ごうというよりは、継ぎたいという気持ちが芽生えてきました。
――跡継ぎを意識するようになって、何か行動しましたか?
播野 2つあります。1つは、学生生活で自らリーダーに手を挙げることです。リーダーを避ける人が多いものですが、率先してやるようにしました。
2つ目は、いろんな体験をすることです。私の周りの創業家の経営者たちは、どちらかというと私立の小・中学校に通うような英才教育を受けるケースが多い。
私は、地元の公立小・中学校に通いました。その分、多様な人と出会って、いろんな経験ができたと思います。大学生時代も、人間の幅を広げたいと思って、コンビニや塾講師、バーなど、いろんなアルバイトをやりました。
――早稲田大学に進学されていますが、東京の大学を選んだのはなぜですか?
播野 父からのアドバイスです。大阪の人はあまり外に出たがらないのですが、全国から集まってくる東京の大学で多様な価値観に触れることが刺激になり、発想が広がると思いました。
電通に勝つための「変化球勝負」を身につける
――大学を卒業後、大手広告代理店のアサツー・ディ・ケイ(現ADKホールディングス)に入社されます。
播野 大学卒業後、タマノイ酢とは違う会社に私を入れるのが父の方針でした。普通の新入社員として、世の中の仕組みを学んでこいという意図があったと思います。
私自身、世の中には優れた商品がたくさんありますが、良さが消費者に伝わってないものが多いのではないかと学生時代から思っていました。それは、タマノイ酢の課題でもあったので、広告代理店を選びました。
ADKは大手とはいっても、広告業界にはガリバーが2社(※電通と博報堂)あります。直球勝負では、どうしても力負けすることがあります。だから、どうやって変化球で出し抜くかを考えていました。
商品にはストーリーが必要だ
――広告代理店の経験は、タマノイ酢の経営に活きていますか?
播野 広告代理店では、大手ゲームメーカーを担当して15秒や30秒のテレビCMを作っていました。そのとき痛感したのは、短い時間で商品の魅力を伝えることの難しさです。
スーパーなどの店頭でも、お客さんが売り場を通り過ぎるのは一瞬です。そこで立ち止まって「この商品は何だろう?」と手に取ってもらうためのフックをつくるのはテレビCMと似ていると思います。
広告代理店の経験を踏まえて大事だと思ったのは、商品の魅力を伝えるときに、ストーリーが求められているということです。商品が世の中に出ていくストーリー、商品をお客さんが使うストーリーを意識しないと、一方的に広告をぶつけるだけで買ってもらうのは難しいと思います。
「すしのこ」が英国高級ブランドに?
――変化し続ける消費者ニーズをキャッチアップし続けるのは、難しい課題ではないですか。
播野 消費者の気持ちは絶えず動いています。普段からSNSなどで消費者に触れる機会を大事にしています。「お客さんがタマノイ酢の商品に何を求めているのか?」「今、時代の流れはどうなっているか?」といったことに常にアンテナを張り、消費者と相互にコミュニケーションを図る必要があります。
――「すしのこ」は昔から変わらない良さがあると思います。老舗企業として、新しいも
のをどう取り入れていくつもりですか?
播野 実は、「すしのこ」のパッケージは60年間変えていません。これが今、「レトロかわいい」のような表現で、若者や海外の人に受けています。
2年ほど前、イギリスの高級ブランド「アニヤ・ハインドマーチ」のデザイナーから「すしのこのバッグを作りたい」と連絡がありました。しかも、1個15万円の高級バッグです。日本の昭和レトロのデザインが、ヨーロッパのデザイナーにとってすごく魅力的だそうです。
アニヤ・ハインドマーチの「すしのこ」バッグは商品化され、YAHOO!ニュースでも取り上げられました。1周回って周回遅れが逆に新しいという側面があると思います。ロングセラー商品を持つ老舗企業だからこそ、チャレンジできる「新しさ」だと思います。
タマノイ酢株式会社
安土桃山時代の1590年頃、堺で製造された酢に用いられた商標「玉廼井(タマノイ)」にルーツを持つ。1907(明治40)年、5つの蔵が集まり、前身となる大阪造酢合名会社を設立し、1963年に「タマノ井酢」、1994年に「タマノイ酢」に社名変更した。1963年には、世界で初めて酢の粉末化に成功し、ロングセラー商品「すしのこ」を発売した。
【この記事の後編】「すしのこ」をポテチにかけると、めっちゃ美味しい? ロングセラーを再ブレイクさせた次期社長の戦術~タマノイ酢
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