COLUMNコラム
金属分析から高級トマト栽培まで 「東洋のスイス」の老舗メーカーが生んだ新ベンチャーとは

企業経営者が替わるタイミングは、新たなビジネス分野に切り込むチャンスでもある。従来の企業文化になかった発想や機動力で成長を遂げる。
2020年、時計や精密機器で知られ「東洋のスイス」と呼ばれた長野県諏訪市で、ある中堅メーカーが金属素材や土壌の分析、さらに高級トマトまで栽培する新ビジネスの子会社を立ち上げた。
いま、異なる分野への進出で商機をつかみつつある。「日本の中堅企業で、同じようなことができる企業はものすごくあると思う」。経営者が語る新ビジネスの秘訣とは-。
目次
諏訪を支える中堅企業が立ち上げた新会社とは

精密機器産業の一大集積地で知られた諏訪市。小松精機工作所(以下、小松精機)は1953年、時計メーカー「セイコーエプソン」の部品を手がける企業として、小松勇氏が創業。地場産業の旗手として成長してきた。
現在の小松精機は、社員290人で、昨年度の売上高は61億4千万円。創業者・勇氏の孫の小松滋氏が代表取締役だ。腕時計の加工技術をベースとしつつ、その技術をIT機器や自動車部品、医療機器部品などの加工に生かせるのが強みだ。特に自動車内燃機のインジェクター部品は、世界シェア約40%を占める。
特徴的な経営スタイルを取っており、社長は営業面に強い。勇氏のもう1人の孫で、社長のいとこにあたる専務取締役・小松隆史さん(52)が研究開発・技術面を担う。もう一人の親族が、総務部門を担っており、一人に権限や役職が集中しないスタイルになっている。
小松隆史さんは、1999年に小松精機に入社した。専務取締役を務めながら、2020年6月、金属や土壌のセンサーを開発・販売する子会社「ヘンリーモニター」を立ち上げ、代表取締役を務める。この新しい子会社が、この記事の主役だ。
ヘンリーモニターには、起業などをプロデュースするコンサル企業「フューチャーアクセス」の黒田敦史さん(49)も自らCMOとして経営に参画している。
なぜ、小松精機の1部署ではなく「子会社」だったのか
2人が出会ったのは2013年ごろ。東京で開かれた企業イベントで、小松精機が新開発したセンサーをプレゼンした小松さんを、黒田さんが「面白いからナンパした(笑)」という。
新開発のセンサーとはどのような物か。小松精機には、金属の結晶化をコントロールする新技術があった。しかし、その技術で生み出した素材は、検査によって品質を担保しなければ販路を広げられない。その検査に使うため、自社で磁界式センサーを開発していた。
磁界式センサーには、多数の顧客獲得につながる可能性があった。どのようにセンサーの市場を探り、販路を開拓すればいいか。模索していた矢先、小松さんと黒田さんが出会った。
諏訪では伝統と実績のある小松精機。その1部署として、磁界式センサーの事業展開をスタートすることもできた。しかし、2人は新たな子会社立ち上げの道を選んだ。
小松精機の企業文化は「部品加工」。磁界式センサーをマネタイズする『装置販売』の文化やノウハウはなかったのが理由の一つだ。もう一つは、フットワークだ。企業の規模が大きいと、契約や決済など全てに時間がかかってしまう。一方、子会社なら小松さん自身の判断で、意思決定と実行が可能だ。東京から遠い地方都市で、新しい繋がりを素早く作るためにも重要なメリットだった。
小松さんは「今あるところ(※小松精機)はディフェンスでそのまま置き、オフェンスは外で暴れてくるという手を考えた」と話し、「めちゃめちゃいろんな責任負わなきゃいけないデメリットはありますけどね」と笑う。
2020年6月、東京がゴーストタウンのようになっていたコロナ禍の真っ最中、2人は「ヘンリーモニター」を立ち上げた。「今がどん底で、3年も経てば社会は回復する。準備も含めこのタイミングしかなかった」。
コロナ禍中に創業したヘンリーモニターには、物理的なオフィスがない。ほぼ全部リモートワークで構成し、正社員や契約社員ら9人で構成する。相手の事情に合わせながら雇用関係を結ぶスタイルをとることにした。
自らも役員に、コンサルの黒田さんから見たヘンリーモニター

小松さんとタッグを組む、コンサルが本業の黒田さんは、ヘンリーモニター起業の経緯をどう見ているのか。
黒田さんは、ヘンリーモニターのビジネスモデルについて「イチから製品を開発し、ニーズを見極めながら販路を拡大する。いわゆる一般的なスタートアップ。一方で、大きな企業の社内ベンチャーとしての性格もある」とする。そして、こうしたモデルの重要なポイントを3点挙げた。
まずは「事業スピード」だ。先述の通り、大企業の1セクションでは、意思決定等が遅くなりがちだが、子会社化することで迅速な経営が可能だ。ヘンリーモニターは、親会社の小松精機から数千万円の資本金を出してもらっているが、小松精機に議決権はない。
次に「人材面」。小松精機は、当然自社のカラーに合った人を採用してきた。顧客が理想とする図面を、精微に具現化していく職人のような技術者は、小松精機では力を発揮できる。一方で、新製品の販売も行う会社のカラーには違う人材が必要で、小松精機との距離も必要だという。
実際、ヘンリーモニターに小松精機出身の社員は、小松さん以外にいない。これまでの出会いを生かして、一本釣りした人や、他社からの転職、高校の同級生で構成している。
3つ目はファイナンス面での理由だ。ベンチャービジネスは、資金を外部から集めてこなくてはいけない。出資を募るのは、会社を上場させるなど出資者に利益があるゴールが必要だ。ならば、社内の1部署より、独立した形の将来を描ける新会社の方にメリットがあるという。
ちなみに、ヘンリーモニターの本社は今も諏訪市にある。地方都市に地の利がある面もあり、かつて「東洋のスイス」と呼ばれた諏訪ブランドは、今なお国内外問わず一定の信頼性がある。また、多くのベンチャーが競合する都市圏と異なり、地方都市では存在の認知に時間を割く必要がないという。
ヘンリーモニター創業から3年、高級トマトも栽培?
創業から3年、磁界式センサーを主軸とするヘンリーモニターは、どのような展開を見せているのか。
磁界式センサーは、金属加工品や土壌の分析に力を発揮する。小松さんは、顧客のニーズが当初想像していたよりも質的に高いレベルにあると感じている。特にワイナリーなどの顧客は「安心・安全」を求めるため、高い精度での土壌検査が求められることが分かったという。
このため、土壌検査をする現場が必要となり、八ケ岳山麓の長野県原村で、トマトのハウス栽培を開始した。実際に「高級トマト」として販売も行い、土壌検査の有効な実証となっている。
また、出資や借り入れによって財政基盤も整い、潜在的な顧客とのつながりもできはじめた。今後は、顧客開拓や磁界式センサーの販売、サービスの提供というフェーズに入る。小松さんは「これからどんどん伸びていくという手応えを感じている」と話す。
ヘンリーモニターは「事業承継」のモデルケース

「平和な時こそ、次の準備を」。小松精機社内で、かねてから言われていることだという。
特に工業系の企業は、短期間で新ビジネスを展開しにくい。科学的な根拠に基づいた次の展開を日頃から準備しておき、環境が変わったときにシフトするような形が望ましいと、小松さんは考えている。
黒田さんも「非常に有効で、どの会社でも同じようにやっていただきたいやり方だと思う」と話す。重要な点は、本体企業の調子がいい時に行うことだという。
企業業績が落ち込んだ後、新事業を展開しても余裕がなく、資金や人材も限られる。時間をかけた「事業承継」という面も持たせながら、新規事業を立ち上げることに意味がある。
また、工業系の知識だけでは会社経営はできない。法律、対外交渉面、人材育成。こうした経験を積むことも経営者には必要だ。それには、企業を引き継いでから経営を学ぶより、ヘンリーモニターのような子会社を立ち上げて経営手腕を磨くこと。小松さん自身にとっても、事業承継の準備となり、かつ事業承継の手段にもなったという。
ヘンリーモニターが本体「小松精機」の価値観を変える
新しい子会社は、小松精機本体にも好影響を与えている。多くの企業で新ビジネスの立ち上げに関わってきた黒田さんは、「どれだけ教育をしても、企業文化や行動はなかなか変わらない。目に見える形で成果を示さないと」と話す。
伝統と実績がある小松精機のような企業は、保守的な面も持つ。新たな事業を進める際、「せっかく業績いいのに」「どんなメリットがあるのか」「失敗したら誰が責任取るんだ」などの不満が噴き出しがちだ。
小松精機は、良くも悪くもファミリービジネスで、社員には少々下請け気質があったという。だが、社外のビジネスは「できないもの」と思っていた社員のモチベーションは、ヘンリーモニターの始動により「外に出してくれる」と変わった。ジョイントベンチャーのような動きも生まれている。
また、小松精機の売り上げの大半は、自動車の内燃機部品だ。しかし、自動車産業は大きな転換期にあり、電気自動車(EV)にシフトするほど大きな販路を失う。社会見学の小学生から「EVになったら、どうするんですか」と聞かれることがあった。
しかし、経営陣が率先して、見えない顧客にチャレンジしていくヘンリーモニターを立ち上げた。社員の中に「新事業にシフトできる会社だ」という安心感も芽生えた。小松さんは「大丈夫です、安心してくださいと、小学生にも言えるようになった。会社の中で一番良い影響だった」と話す。
新事業に移行できないファミリー企業は衰退する

小松さんと黒田さんは、特に最近10年でビジネスモデルの転換スピードが早まったと感じている。そして、新しい事業を志向しないファミリー企業はどんどん衰退していくと見通している。
2010年以前は、ファミリー企業やオーナー企業は、先代から継いだ事業を続ければ成り立つ部分があった。しかし、インターネットの普及によるグローバル化が進み、人工知能(AI)の台頭に大乗されるような技術革新のスピードも高速化している。中小企業は、今までのビジネスモデルが通用しなくなり、強みを活かした別事業を作らなければならなくなるという。
ただ、黒田さんは、中小のファミリー企業には大きな利点もあると見ている。
大企業には、信用力や資産もあるが、しがらみも多くスピード感がベンチャーに比べ圧倒的に遅い。既存の体制が、足かせになる面があるという。一方で、ゼロベースからベンチャーを立ち上げる場合は、人材や資金、技術面で圧倒的なハンディがある。
小松精機などのファミリー企業は、これらの「いいとこ取り」をしたハイブリッドのようなスタイルを取ることができる。ヘンリーモニターを創業した際、そのことを強く感じたという。
小松精機は、諏訪では圧倒的な信用力を持つ。銀行も地元住民も「おらが街」の企業として応援する雰囲気があり、融資も受けやすい。
また、「他社には負けない技術」は高コストだ。磁界式センサーの開発には、資金も時間も膨大にかかっているが、それを小松精機が担っている。
こうした親会社のメリットを最大限享受し、機動力を兼ね備えたヘンリーモニターは、「一つの理想型」と黒田さんは語る。そして、「大企業ではなかなか難しいが、日本に数多あるファミリー企業や中堅企業で、同じことができる会社はものすごくあるだろう」と話す。
長年、日本各地に根を張ってきた地方の企業には、必ず強みがある。しかし、それを自覚できていない企業も多い。ファミリー企業の経営陣である小松さんと、事業コンサルの黒田さんが組んで立ち上げたヘンリーモニターは、2020年代以降のビジネスシーンで、一つの勝ちパターンとなる可能性を強く感じさせる。
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