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「経営者の立場で、何かをやり切ることはない!」こっぴどく叱られた未来の社長 「刃物の聖地」の老舗メーカーが目指すものとは

「刃物のまち」として世界的に知られる岐阜県・関市で創業し、1世紀以上にわたって刃物製品を作り続ける老舗メーカー「貝印」(本社:東京都千代田区)。包丁や使い捨てカミソリは国内トップシェアを誇り、2022年には世界初の「紙カミソリ」を発売するなど、常にものづくりへの挑戦を続けている。2021年5月、4代目社長に就任した遠藤浩彰氏(39)に、事業承継の経緯とこれからのビジョンについて聞いた。

「1年間だけ待ってほしい」父への初めての主張

――2008年に大学新卒で貝印株式会社に入社し、どのような部署を経験したのでしょうか。

遠藤 はじめは生産管理の仕事からスタートしました。貝印の核はものづくりなので、生産現場を学ぶことが、まず必要でした。先代社長の父も、入社1年目は生産管理部門からキャリアをスタートさせています。

1年間、関市の工場でしっかりと現場を学び、2年目は東京本社で家庭用品の商品企画に携わりました。3年目は経営企画を担当し、4年目を迎える前に、はじめて父に意見をぶつけることになりました。

当時社長だった父からは、私のキャリア形成を考えたうえで、4年目からアメリカの関連会社「kai U.S.A. ltd.」に赴任するよう命じられていました。しかし、私は「1年間だけ待ってください」と伝えました。そのときに担当していた経営計画の仕事が、自分にとってまだやりきれていない、まだ日本で学ぶべきことがあるという思いでした。

――お父様からの反応はどうでしたか?

遠藤 もう、こっぴどく叱られましたね。「お前は何を考えているんだ」と。「経営者という立場で、何かをやり切るということはない。区切りをつけて、自分がするべき経験をしなければならない」と言われました。

それでも、しばらく後になって「1年間待ってやる」と言われました。そして、入社5年目の2012年3月からアメリカに赴任することになったんです。

――その1年間はどのようなことを学んだのですか?

遠藤 今になって振り返ると、1年延長して学んだ日本での経験によって、アメリカ現地法人の問題点を浮き彫りにできたと思っています。

当時、「kai U.S.A. ltd.」の売上はずっと伸びていたのですが、実は財政基盤が脆弱になりつつありました。経費コントロールやプロダクトミックスなど、財政管理の面であまりいい形ではないと気づけたのは、経営戦略について学んだおかげだったと思います。

「私を副社長にしてください」

――2年間のアメリカ赴任を経て、2014年に日本に帰任されます。その後は、後継者としてどのような道のりを歩んできたのでしょうか。

遠藤 国内営業本部や経営管理本部、経営戦略、マーケティング、研究開発などひと通りの仕事を経験してきました。父から言われたのは、「生産や営業に携わったあとに絶対に見ておかなければならないのは、“人”だ」ということ。

2016年には経営管理本部の副本部長のポジションで、人事・総務の仕事にも携わり、社内全体を俯瞰するという経験も積むことができました。

――必要な経験を積み重ねて、いよいよ事業承継へと向かっていったのですね。

遠藤 父が33歳で会社を継いでいるので、同じくらいの年齢の時期には会社を任せたいという話はあったのですが、当時は具体的には進んでいませんでした。

しかし私も、さまざまな部署を経験して、「待っているだけではなく、いつでも継げる体制を作らなければ」と、少しずつ意識を変革していきました。人事の業務を担当して、事業承継をするには自分が経営するための組織・体制も整えていかなければならないことに気づきました。

そこで2017年に経営戦略本部長に就任し、会社の中期経営計画の策定をスタートしました。

当時の会社での肩書は「常務」というポジションです。会社の中期経営計画を発表する際、「会社のNo.2である」ということを示すため、副社長への就任は絶対に必要なことだと考えました。

――それが2018年の副社長就任のタイミングだったのですね。

遠藤 2018年は、会社にとっても創立110周年の節目です。国内社員でのハワイへの周年旅行も決まっていました。このチャンスに会社のNo.2として、会社の後継者として、貝印の近未来について発信しなければならない。そう考えて、「副社長にしてください」と父に覚悟を伝え、「そうか、わかった」と了承してもらいました。

約800人が参加したハワイでの社員旅行のパーティーで、未来に向けて行ったプレゼンテーションで掲げたのは、「Blue Ocean Wave(ブルーオーシャンウェーブ)」という言葉。青い海に囲まれたハワイで、「競合相手のいない、新しいブルーオーシャンを作っていこう」という思いを込め、波のように次から次へと押し寄せてくる変革をしていこうというメッセージを伝えたんです。

反響も大きく、自分自身も先へと進むきっかけになりました。会社でも「これから貝印が変革していく」という空気を醸成することができたと思っています。

会社の歴史の中に、経営戦略の「正解」が隠されている

――2021年5月に新社長に就任した当初、感じていた課題はありますか?

遠藤 中期経営計画を策定していた頃から、いくつかの課題を感じていました。大きくまとめると、「会社が目指すべき方向が不明確」「企業活動を支える仕組みの整備が不十分」「社内のコミュニケーションが不足」という3つです。

課題の解決に向けて提示しているのは「旗」「モノサシ」「ラウンドテーブル」を作っていくということ。「旗」は目指す方向性、「モノサシ」は判断に資する情報と基準、ラウンドテーブルとはフラットで活発な情報伝達です。

――貝印が今後、どのように「ブルーオーシャンウェーブ」を作っていくのかについて聞かせてください。

遠藤 私たちが強化していくべきポイントは「品質」「知財」「研究」の3つの分野です。これまでも多くの新たな人材を採用してきました。特に「研究」は、貝印の過去を紐解いても、基礎研究を基にして新しいものを生み出してきたという歴史があります。

新商品を作るための「開発」ではなく、刃物について深く「研究」していくことこそが、イノベーションを創出すると信じています。

会社の歴史には、その会社の強みや特長から導き出された「答え」が眠っていると思います。もちろん過去のままではなく、現代の環境に合わせてチューンナップする必要はありますが、奇をてらって新しいものに飛びつくのではなく、過去から学び、取り入れながら事業に勢いをつけていく――事業承継も経営戦略も、そこが一番のポイントなのではないでしょうか。

遠藤 浩彰氏プロフィール

貝印株式会社 代表取締役社長 兼 最高執行責任者(COO) 遠藤 浩彰氏

1985年6月、岐阜県関市で貝印株式会社の創業家の長男として生まれる。2008年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、同社に入社。生産部門のカイインダストリーズ株式会社や海外関連会社kai U.S.A. ltd. への出向を経て、2014年に帰任する。国内営業本部、経営管理本部の副本部長を経て、経営戦略本部、マーケティング本部、研究開発本部の3部門で本部長を歴任。2018年に副社長に就任し、2021年5月より現職。

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賢者の選択サクセッション編集部

日本の社会課題である事業承継問題を解決するため、ビジネスを創り・受け継ぐ立場の事例から「事業創継」の在り方を探る事業承継総合メディア「賢者の選択サクセッション」。事業創継を成し遂げた“賢者”と共に考えるテレビ番組「賢者の選択サクセッション」も放送中。

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