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巨大エンタメ企業を率いる二代目が父の背中から学んだこと−−セガサミーグループの事業承継/里見治紀インタビュー#1

パチンコ、パチスロなど遊技機の一大メーカー・サミーと、ゲームの開発製造販売で世界的にその名を知られたセガが経営統合して誕生したセガサミー。時価総額4600億円(2022年11月当時)の巨大企業を率いるのは、30代という若さで父から事業を引き継いだ里見治紀氏です。継いだ息子と継がせた父、親子が本音で語る事業承継ストーリーを紹介します。

二世という心の葛藤

サミー株式会社は、東京・板橋の小さな町工場として1975年に創業しました。治紀氏の父・治(はじめ)氏が一代で、パチンコ・パチスロを始めとした遊技機のトップメーカーにまで押し上げ、2001年には東京証券取引所第一部に株式上場を果たしました。「サミー」という社名は名字の「里見」から、海外進出も意識してつけられたといいます。

治氏の長男として生まれた治紀氏は、当時工場の横にあった自宅で育ちました。「二代目」である自身の立場には、さまざまな心の葛藤があったと振り返ります。
「二世にありがちな悩みだと思うのですが、自己のアイデンティティーを確立するのが難しい立場なんです。小さい時から、自分の名前ではなく、何々屋のせがれ、誰々の息子としか呼ばれない」。

葛藤を抱えながら、父と同じ仕事をし、同じ物差しで測られたら、絶対にかなわないと考えた若き治紀氏。違う物差しで測られたいと模索したものの、スポーツや音楽などの才能は、残念ながら自分の中に見つかりません。そして「ビジネスの世界で父と戦うしかない」と、覚悟を決めます。

将来の起業を志し証券会社へ

当時治紀氏の頭にあったのは、「いつか自分も起業したい」という思いでした。さまざまなビジネスや経営者を見て、自分の立ち上げるべきビジネスの種を探りたいと考えた治紀氏は、大学卒業後、証券会社に入社。父の会社に入る準備・修業のために入社したつもりは全くありませんでした。
そして、父・治氏からも「会社を継ぐ気はあるのか」といった話をされたことも全くなく、証券会社への就職を決めた時も素直に賛成してくれたといいます。

就職して3年後の2004年。父の経営するサミーと、ゲーム業界大手セガの合併話が持ち上がります。そのアドバイザーになったのが、治紀氏の勤める証券会社でした。治紀氏はアドバイザリーチームに名を連ねますが、思わぬ展開で両社の社長の間に入らざるを得なくなります。

「当時のセガ社長から、携帯電話に連絡がきたんです。『社名のセガは譲れない、持株率はこうする。父親に伝えてほしい」等言われました。本来投資銀行の偉い人同士で交渉する話を、当時23~24歳の私が間に入ってやっていたんです」。

「サミー」という社名を残したい父、かたや世界的な知名度を誇る「セガ」。合併話を成就させたい気持ちがある一方、父の譲れない思いも分かり、板挟みになった治紀氏。結局、他にもさまざまな条件が折り合わず、一度新聞発表までしたものの、合併は破談になりました。

セガサミーグループへの入社を決心

ところが半年後に、今度は「合併」でなく「経営統合」という形で、再び両社は手を結ぶことになります。合併話や経営統合の過程で初めて父親の会社を客観的に見ることができたという治紀氏。当時の役員の一人から説得され、サミーに入社することを決心します。

「会社を再建しよう、 社長になろうという強い意志というよりは、説得されたので一回入るかと、そんな気持ちでした」。

自ら「来い」とは言いませんでしたが、治紀氏の入社を内心最も喜んだのは父・治氏でした。「正直言って嬉しくはあったんです、治紀には言わなかったけどね。サミーに入るんだったら徹底して、将来、後を継承できるようになってほしいと思いました」と、父の治氏は当時の心境を語ります。

会社全体を掌握できるようにと、治紀氏はグループ内でさまざまなポジションを経験していきます。

社内起業でCEOに

サミー入社から1年後、セガに異動した治紀氏。異動先では、両社の違いを体感させられることになります。
「サミーは父が創業した会社ですから、私は後継者と思われて、いい意味でも悪い意味でも気を使ってくれる文化。一方、セガでは気を使われるような雰囲気は全くなく、『お手並み拝見』という目で見られました。私としてはそれが逆にありがたかった」。

さらに1年後、セガのアメリカ拠点に異動。デジタル配信ビジネスをゼロから立ち上げつつ、週末・夜間はUCバークレーに通い、MBAを取得しました。そこからさらにキャリアを積み、2012年にはセガネットワークス(現・セガ)代表取締役社長CEOに就任します。社内起業という形で始まった、スマートフォンゲームに特化した新しいビジネスへの挑戦でした。

しかし当時、コンソールゲーム・アーケードゲームを作ってきたセガ社内では、スマートフォンのゲームに対する理解はまだ薄く、「あんなのはゲームじゃない」という空気があったといいます。その中で治紀氏は「スマホもどんどん性能が上がるから、面白いゲームが作れるようになる」と開発者を説得し、分社化にこぎつけます。

ところが1年目は計画未達の大赤字。「それ見たことか」という雰囲気の中、全社員集会で「自分がやっていることは間違っていない、広げた風呂敷は畳みません」と、事業の継続を宣言したのです。

新規ゲーム会社の挫折と成功

背水の陣の治紀氏は、悩んだ結果、役員の反対を押し切り「全員で同じ船に乗らないとだめだ」と、出向中の社員をセガネットワークスに転籍させる決意を固めます。その結果、2年目にはヒット作が生まれ黒字化を果たしました。

「それまで毎月、スピーチしてもシーンとしていたのが、単月黒字化しましたと言ったら、ドーっと拍手が沸き起こりました。あ、会社は変わったなって。打てば響く組織になったと感じました」と、治紀氏はその時の感慨を回想します。

「経営の本質は人だと思っています」と語る、治紀氏。人の心をどうマネージしていくかに、かなり気をつけているといいます。「私は全てのビジネスの素人。パチンコ、パチスロ、ゲーム、アニメ…全てにおいて誰よりも詳しいわけではない。でも現場にはプロがいますから、私がプロになる必要はない。そう割り切って経営に徹しています。社員のモチベーションをいかに上げるか、いかにやる気になってもらうか、そこを大切にしています」。

まとめ

さまざまな心の葛藤を乗り越え、父の会社でともに働く道を選んだ治紀氏。父の思いを大切にしながら新しいことにチャレンジしていく精神で、グループをさらに成長させています。次回記事では、グループの社長就任の経緯、危機を乗り越える大改革への決断についてお話を伺います。
後編|「セガサミーグループの事業承継」はこちら

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賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

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