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寝具選びは「体重」ではなく「骨格」だった 返品ゼロを達成したロジカルな寝具販売企業、3代目社長は「誰よりも寝具好き」

神奈川県川崎市で寝具を主に販売する株式会社半ざむ。3代目の佐保田篤氏(43)は、顧客にマッチしたマットレスなどの寝具を提案するコンサルティングセールスを編み出したほか、ホームページ強化や骨格診断の開始など、多彩なチャレンジを続けている。専門店としての知識を論理的に発信することで売上を伸ばす、佐保田氏の戦略や哲学を聞いた。

ホームページ強化により変化した客層

――支店での実績を認められ、本店に戻ってからの取り組みについて教えてください。

区画整理で本店の建て替えが決定し、2014年に仮店舗に移動したのですが、売上がかなり落ち込みました。仮店舗は場所が変わり、店も小さくなったので、客数が落ち込んだのです。

そこで、ホームページをテコ入れし、睡眠の悩みを改善するための論理的なアプローチなどの情報を発信し始めました。

2017年に新店舗がオープンしたら、客層の変化がありました。以前は中高年層が中心でしたが、現在のメインターゲットは30代〜40代、特に独身の男性。それと30〜40代のファミリー、次に60代〜70代のお客様といった感じです。

昔は寝具専門店に若い男性やファミリーが来ることなどありませんでしたが、今は嗜好の変化もあり、睡眠に投資をするようになりました。睡眠の質の向上を求める客層は、ホームページで商品を精査してから来店します。このように新しい層がお客様に増えたのは、ホームページ強化の効果が大きかったと思います。

売上高はさほど変化していませんが、粗利益率が10年前と比べて10%は高まりました。

――睡眠についての勉強を始めたのはいつごろから?

2011年です。ロジカルな世界観で物を売るには専門知識が必要だと思い、日本睡眠環境研究機構の睡眠環境診断士や、日本睡眠改善協議会認定の睡眠改善インストラクターなど、6つの資格を取りました。

もともと日本の寝具業界では、マットレスを販売する際に、BMI(ボディマス指数)を基準とした選び方で売っていました。単純に体重が軽いお客様にはやわらかいマットレス、重い方には硬いマットレス、というような選び方でしたが、半ざむでも「合わなかった」と年に何本か返品がありました。

なぜお客様を満足させられないのだろうと、とても悔しい思いをしました。自分なりに研究した結果、BMIではなく骨格をもとに選べば、ほぼ間違いなく合うものが見つかる、という結論に至りました。

そして2019年から本店で骨格診断を始め、「あなたの骨格ならこの理由でこのマットレスがお薦めです」というように理論化しました。マットレスだけではなく、そこにベッドパッドを合わせる、というように、組み合わせをカスタマイズできるようにしました。

また、理論を従業員それぞれが理解し、客にきちんと伝えられるようになったおかげで、返品はゼロになりました。

半ざむ マットレス
店内のマットレス売り場(写真提供:株式会社半ざむ)

代表就任後、多店舗経営方針からの離脱

――代表に就任したのはいつですか?

父がコロナ禍に大病を患ったこともあり、2020年に私が事業を承継しました。現場を任されるのは早かったので、承継はスムーズでした。

最初は父の方針をもとに多店舗経営を目指し、3店舗まで増やしたのですが、なかなか難しかった。というのも、寝具は場所によって売れるものが全く違うのです。

年齢層や収入によっても変わりますし、ある店舗でうまく行ったやり方が他店舗でも通用するとは限らない。私には向いていないと思い、この方針は断念しました。

私はものを売るより、作ったり企画したりするほうが楽しかった。就任前に、父にも「お前、全然楽しそうじゃないな、本当につらそうだな」と言われていました。ずっと仕事をしていくことを考えると、苦痛なことを続けたくない、自分の色でやっていったほうがよいと考えましたし、妻にも多店舗経営は向いていないのでは、と指摘されました。

OEM商品の企画販売と縫製工場立ち上げという挑戦

――現在注力しているものは?

OEM商品(※他社ブランド製造)の企画と販売です。コロナ禍に世間の意識が一気に変わり、寝具業界が一気に盛り上がりました。一方で、新規参入がとても増えて、付加価値があった商品が一般化してきました。また、物価高という観点からも、単純に仕入れて売ることのデメリットが出てきました。

私はもともとものづくりマインドがあったので、コロナ禍を機会にものづくりへ意識が高まり、挑戦することにしたのです。

OEM商品は、流通マージンをカットすることで、お客様に比較的手頃な価格で提案できますし、利益構造を変革させることができる。寝具選びの理論を、従業員全員が理解して売りこなせるようなノウハウをつくった結果、OEM商品が売れるようになりました。それで粗利益率が改善しました。

――山梨県に縫製工場を立ち上げた経緯を教えてください。

まず、加工先が見つからないという2025年問題が縫製業界にもあり、弊社としても不安がありました。そんな折に弊社で取引のあった加工会社の副社長に相談を受けて、加工会社の職人たちも迎え入れ、2022年に縫製工場「ハンザムソーイング」を立ち上げることにしたのです。

私は、もともとものづくり志向が強く、商品を企画したり作ったりすることにとてもリスペクトを感じたので、自分でもチャレンジしたいという思いがありました。

まだ殻にこもって小さくなる年齢ではないだろう、もう一度冒険に出てみようと。それで、縫製工場を立ち上げ、それに伴って自社製品の卸しも開始しました。

環境の変化にも対応できるチャネルを増やすために

――経営者として、マネジメントや経営理念などで変えたことはありますか?

ずっと社内に仕組みやルールはなかったので、2012年に理念経営するための勉強を始め、経営計画書を策定し、それに伴った仕組みも取り入れたのですが、理解してもらえずに歯がゆい思いもしました。それで2024年、12年ぶりに経営理念を変えました。

現在、オーダーカーテンなど多様な商品を扱う弊社全体を包括する納得のいく言葉を探しました。そこで見つかった「心地よいおうち時間を提供する」というコンセプトを今後発信していきたいと思っています。

また、以前は経営計画書を紙に書いていたのですが、現在はデジタルにしたので、方針の切り替えなどもスムーズになりました。徐々に皆が同じも価値観を持ち、同じ方向を向いて仕事ができる組織になりつつあるなと感じています。

多店舗経営の方針を取っていた時は、ほぼ年中無休でずっと店を開けていて、なかなか有給も取れないような状況でしたが、現在は定休日を設けてきちんと休みを取れるようにしましたし、OEM製品が売れるようになったことで給与面も改善しました。

――“事業創継”という視点で、佐保田代表の中で思い当たることはありますか?

半ざむは初代の祖父の頃から、一つの商売だけでは危ないということで、もう一つ別の柱を作っていました。祖父は株、父は不動産でしたが、私はそんなに器用ではない。

ただ、誰よりも寝具が好きだという自負があるので、縫製工場と卸売事業を始めました。半ざむとしては3代目ですが、ルーツから考えると、自分を含めると家業は7代続いています。自分の代で途切れさせるのは先祖に申し訳がないなとは常々思っており、私は子供が3人いるので、誰かが継いでくれればと希望しています。

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佐保田篤氏プロフィール

株式会社 半ざむ 佐保田篤氏

1981年、神奈川県生まれ。青山学院大学経営学部を卒業したのち、呉服事業会社に入社。入社後2年半で店長を任されるも、10カ月目で親会社が倒産。その後、半年間の海外放浪の旅に出かけ、20カ国を訪れる。帰国後、静岡店の寝具店で1年間の修業ののち、2008年、株式会社半ざむに入社。2009年にはコルトンプラザ店の店長として、論理的なアプローチで顧客にマッチしたマットレスや枕などの寝具を提案するコンサルティングセールスを開始して売上を伸ばす。2020年、代表取締役に就任。

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