COLUMNコラム
「お金はあるのに、家具コーディネートがイケてない…」配送の仕事で気付いた業界の未来 「継ぐ気無し」の3代目が家具企業を成長させた
スタイリッシュな家具やインテリア事業を中心に、幅広く事業を展開している株式会社リビングハウス(東京都港区)。1942年に大阪で個人商店としてスタートして以来、家具のセレクトショップとして続いてきたが、3代目・北村甲介氏の社長就任をきっかけにオリジナル家具の販売に踏み切り、総売上約50億円、全国に37店舗を展開する企業に成長した。「最初は継ぐつもりはまったくなかった」と語る北村氏に、どのように事業を承継したのか聞いた。
目次
「配送先がイケてなかった」、だからインテリア事業に未来を感じた
――リビングハウスに入社するまでの経歴を教えてください。
北村 大阪で生まれ育ち、大学進学を機に上京して、新卒でアパレル事業を展開するベンチャー企業に入社しました。当時、まだまだ小さな個人商店だったリビングハウスを継ぐつもりはなかったので、家族に就職の相談は全くしなかったんです。
25歳くらいで転職を考えた時に初めて、家業を継ぐことが頭に浮かびました。何か大きなきっかけがあったわけではなく、ふと「やってみようかな」と思い浮かんだというのが正直なところです。
とはいえ当時の僕は家具やインテリアの知識はゼロだったので、勉強のつもりで海外の家具ブランドに就職しました。
リビングハウスに入社したのは、2004年、3店舗目の出店がきっかけです。その店で扱う海外ブランドの本社にいたので、知識や経験を買われて27歳で店長を任されることになりました。
――なぜ、家具の仕事に興味を持つようになったのですか?
北村 経験のために入社した海外ブランドで配送の仕事をしていました。配送は、お客様の喜ぶ顔を直接見ることができます。それに、毎日のように多くの方の家を見られる機会は貴重でした。
配送先はほとんどが裕福な家庭でした。家具自体にはすごくお金をかけているにも関わらず、全体のコーディネートをなんとなく「イケてない」と感じていました。
父がこれまで僕に「家具の仕事にはやりがいがある」「日本ではインテリア分野はまだまだ発展途上だ」と言っていた意味がわかったんです。
ただ、実際に働いてみてこの仕事を魅力に感じることができなかったら辞めようと思っていました。父もそれを了承してくれていました。
「時代に敏感な世代がやるべき」
――入社されてから社長に就任するまでの経緯を教えてください。
北村 27歳で入社して店長を任された後、広島や北海道の店舗立ち上げに携わりました。現地でスタッフを採用したり配送会社を手配したりする中で、店舗運営に関することを一通り学びました。
その後、本社で6〜7店舗を束ねるゼネラルマネージャーを経験した後、2011年に34歳で社長に就任しました。
――何かきっかけがあったのでしょうか。
北村 当時はすでにインターネットが広く普及し、家具のオンラインショップも多く出てきていました。父はインターネットには疎かったので、「時代に敏感な世代がやるべき」と思ったのでしょう。
それから、僕に経験を積ませるために、バトンタッチの瞬間は経営があまりうまくいっていない時にしようと思っていたみたいです。当時はリーマンショック直後で景気があまり良くない時期でした。
とはいえ当時は、社長・部長・課長などいろいろな役職を兼務している感じだったので、経営者として自覚が出てきたのはここ5年くらいです。
「何を変えてもいいが、理念だけは変えるな」
ーー事業承継で「変えなかったもの」と「変えたもの」を教えてください。
北村 変えなかったのは、会社理念です。現在、当社は「日本を『空間時間価値』先進国へ」というミッションを掲げています。でも、言葉こそ変わりましたが、「お客様も社員も大事にする」という根本の想いは当初から変わっていません。
父からも「他の何を変えてもいいけど、理念だけは守ってほしい」と言われていました。逆に、それ以外は時代に合わせて変えていくべきだと父も僕も思っていますし、変えてきたからこそ会社をここまで成長させることができたはずです。
――事業承継後も、父親と会社の経営について話をすることはありますか?
北村 父は既に会長も退任しましたが、よく話しますよ。
どうやら、歯がゆい部分もあるようです。父は個人商店時代のメリット、例えば社長が自ら全社員・全商品を隅々まで見られることなどを知っています。会社規模が拡大し、どうしてもそうはいかない今の状況は父にとっての「ベスト」ではないようです。
それでも、地元で初めて会った方と仕事の話をすると「“あの”リビングハウスの人だったんですか!?」と驚かれることもあるようで、企業の規模拡大を喜んでくれている面もありますね。
継がせたからには「決定権を任せる」
ーー事業承継がうまくいかない会社もある中で、リビングハウスが事業承継に成功した理由は何だと思いますか?
北村 1つは、継がせる側の視点として、「継いだからには決定権を任せる」ことだと思います。
父と僕も会長と社長という立場から意見が対立することは度々ありましたが、最終的には父が「最終決定をするのはお前だ」と言ってくれたおかげで、大きく揉めて会社全体の雰囲気まで悪くなる……ということはありませんでした。
もう1つは、継ぐ側の視点として、「任せても良いと思ってもらえるだけの実績を積むこと」。
親子での事業承継に関わらず、経営や細かい仕事への姿勢も含めて「この人にだったら任せられるな」という信頼はやっぱり大切だと思います。
北村甲介氏プロフィール
株式会社リビングハウス代表取締役社長 北村甲介氏
1977年6月22日、大阪市生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業後、ファッション関連のベンチャー企業に就職。その後、海外の家具ブランドの日本法人に就職し、家具の配送や組み立てなどの経験を積む。2004年、26歳の時に父が経営する株式会社リビングハウスへ入社。地方の店舗立ち上げや複数店舗を束ねるマネージャーを経験し、2011年に33歳で代表取締役社長に就任。著書に『「かなぁ?」から始まる未来 家具屋3代目社長のマインドセット』(幻冬舎)がある。
取材・文/川島愛里
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