COLUMNコラム
タカラジェンヌも愛した、街のとんかつ店の「かつサンド」/パン粉の付け方も知らない大手企業が買収、従業員の不安をどう払しょく~井筒まい泉【前編】
カツサンドやとんかつの代表ブランド「井筒まい泉」(東京都渋谷区)。専業主婦が一念発起して立ち上げた「街のとんかつ屋」を、2008年にM&Aで受け継いだのは、ビール大手「サントリー」でした。会社を引き継いで社長に就任し、売上70億円を120億円超にまで伸ばしたのは、サントリー出身の岡本猛氏。大企業によるM&A買収に伴う課題を乗りこえ、「家業」を「企業」へと成長させた事業承継の舞台裏を聞きました。
目次
タカラジェンヌの要望で生まれた「ヒレかつサンド」
まい泉の「ヒレかつサンド」は、デパ地下や駅ナカの定番人気商品。柔らかいヒレカツと甘辛のソースを特製のパンで挟んだかつサンドは、全国で1日およそ3万食が売れるといいます。とんかつレストランは都内をはじめ全国14カ所で展開、さらにタイやフィリピンなど海外へも進出しています。
井筒まい泉は1965年、故・小出千代子さんが、専業主婦から一念発起して始めました。東京・日比谷に出した10坪のカウンターだけの店は、「箸で切れるとんかつ」が看板商品。子どもからお年寄りまで食べられる柔らかさと味が評判になり、またたく間に人気店となりました。柔らかさの秘訣は、肉を徹底的に叩く、という主婦の知恵を生かしたものだったといいます。
「ヒレかつサンド」は、店の近くに宝塚歌劇の劇場があり、「手や衣装を汚さず食べられるもの」というタカラジェンヌたちの要望に応えて誕生しました。その後、主力商品となり、2000年代にはまい泉は売上70億円超、300人以上の従業員を抱えるまでに成長したのです。
創業者、突然サントリーに売却をした理由は
2008年、創業者の小出氏は、突如、サントリーに事業の売却を決定します。当時、サントリーの社員として買収を担当したのが、岡本氏でした。
「当時、サントリーの外食事業部という部署にいたのですが、銀行を通してその部署へきた話だったので、私が担当することになりました。私は元々関西出身だし、とんかつもあまり食べなかったので、失礼ながらまい泉のことは知らなかったんです。初めに聞いた時は食器のブランドのマイセンかと勘違いし、『なぜ皿の会社を買うの?』と思ったくらいです(笑)」。
小出氏が売却を決意したのは、まい泉のブランドを残すためでした。小出氏の息子は画家として活動し、会社の経営に関わるつもりはありませんでした。70歳を超えていた小出氏は、引き継ぎ手に悩んだ末、大手企業にM&Aを打診したのです。
サントリーは、ブランドを評価した
サントリーが買収を決めた理由は2つありました。岡本氏は「1つはやはりブランドです。これだけのブランドを築いたということは、この会社にはそれだけのポテンシャルがある。もう1つは、まい泉が加工食品工場を持っていたこと。サントリーの持っていない加工食品の工場が入ってくれば、外食事業部として、他の外食の会社に新しい商品を作って卸すことも可能かなと思ったんですね」と振り返ります。
2008年1月に買収が成立し、岡本氏が社長に就任。「パートさんたちの、まい泉が好きだという気持ちが伝わってくるんですよ。だから、この人たちとなら一緒にやっていこうか、という気持ちになりました」。
一人一人と直接面談し不安を払拭
岡本氏は社長就任後、社員との面接に取りかかりました。店長以上の80人あまりと、一人一人面談したのです。
「面接には2つ意味があって、1つは、不安を持っている社員の気持ちを聞いてあげること。それと、この会社をこうしていきたいんだけど、一緒にやってくれる?という私の気持ちを直接伝えたかったんです」
経営陣からいきなり買収と言われて、家族を持つ社員は特に「これからの人生はどうなるんだろう」と不安を抱えているもの。岡本氏は不安をまず取り除こうと考えました。
「今回の話は サントリーにとっても全く別の世界でしたから。加工食品工場のことも、とんかつのパン粉のつけ方も分からないわけです。そういう時にブランドを維持していくためにどうするかといえば、やっぱり頼るのは社員しかいないですよね」。まずは社員の信頼を得ることが必要だという岡本氏の判断でした。
カリスマ創業者ゆえの「歪み」是正へ
面接を重ねていく中で、岡本氏には見えてきたものがありました。創業者の小出氏が強烈なカリスマ的存在であったため、社内にはびこっていた「歪み」です。
小出千代子さんというオーナーの言うことは絶対であり、オーナーの顔色さえうかがっていればいい、お客さんの顔よりも小出氏の顔を見ていればお給料がもらえる-。そんな空気が社内にはあったと、当時の店長や料理長は語ります。
かつてのまい泉は、商品の味だけでなく、売上や人事など全てを小出氏が握り、社員は言われたことをこなすだけでした。いわば「家業」の延長です。経営を引き継いだ岡本氏は、まい泉を「企業」として生まれ変わらせるべく、さまざまな改革に乗り出したのです。
(2022年12月に取材した内容です。)
※こちらの記事は追記・修正をし、2024年2月20日に再度公開しました。
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