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一気に10人が集団離職、大ショックの4代目社長 地方の温泉に無かった「新しいリゾート」がおかしくなった背景と、そこからの復活

よく言えば「古き良き」、裏を返すと「旧態依然とした」関屋旅館の4代目として、父から後を継いで舵取りを任された「株式会社関屋リゾート」の林太一郎代表取締役社長(49)。時代のニーズに合わせた集客や新しい試みの施設を次々と立ち上げて売り上げを伸ばし、別府を代表する宿泊施設を運営している。従業員の集団離職などの苦難に見舞われながらも着実に成長する秘訣、そして林代表が考える「事業創継」を探った。

「別府になかったもの」を目指して

ーー別府には珍しいデザイナーズ旅館の「別邸はる樹」に続き、2015年に「テラス御堂原」をオープンしています。経緯を教えてください。

「別邸はる樹」がオープンして10年後、また1店舗出したいなと漠然と考えていました。当時の別府は、駅近くの海岸沿いの「別府温泉エリア」と、地獄巡りで有名な「鉄輪エリア」が二大観光地でした。ほとんどの宿泊施設は、その2カ所に集約されていましたが、「テラス御堂原」は敢えてそのエリアを外し、旅館やホテルがまったくない山の上にある「堀田」という地域を選びました。

別府が今後、何を目指していくのかを考えたとき、私が通っていたインドネシア・バリ島がヒントになりました。バリ島には10年くらい毎年行っていましたが、いつも綺麗な眺望でゆったりできる空間があり、感銘を受けました。別府にもそのような空間があれば、それを目指してリピーターが来てくれると考えたわけです。

ーー「別邸はる樹」と同じように「別府にはないもの」という発想で進めたのですね。

はい。別府は温泉が有名ですが、それ以外に世界遺産があるわけではありません。だから、おいしいご飯、いろいろなアクティビティ、眺めの良い空間などを備え、ゆったりと過ごせて温泉にも入れる。満足して次も来たくなる場所をつくりたいと思いました。

「テラス御堂原」は全14室ありますが、設計やデザインの部分に私の意見も反映したいと考えました。私とセンスの近そうな建築士さんを探し、大分市の光浦さんという方と話し合いながらプロジェクトを進めました。

漠然と10年後くらいにもうひとつの施設をつくろうと考えていましたが、ギリギリで「テラス御堂原」をオープンすることができました。

還暦の父から事業を承継

関屋リゾート社長
林太一郎代表取締役社長(写真提供/株式会社関屋リゾート)

ーー新たな試みの「テラス御堂原」の狙いは当たったのでしょうか?

わりと早く火がついたのですが、2016年春に熊本地震があり、その影響で予約がすべてキャンセルになったりしましたが、以降は順調に伸びていきました。

このころになるとインターネット予約が一般的になり、雑誌などでも取り上げてもらいました。集客のためのマーケティングも分かってきたので早く軌道に乗せることができました。

ーー事業承継の経緯を教えてください。

「別邸はる樹」がオープンして4年目、2008年に私が会社の代表に就任しました。順調に売上を伸ばしていったこともあり、父としても息子が代表としてやったほうが良いと判断したのだと思います。

父はちょうど還暦を過ぎたころでしたので、私としても借り入れの連帯保証人から外す良いきっかけだったため代表になりました。

「温泉×アート」という新たな風

ーー2020年12月には過去最大の35室の「ガレリア御堂原」がオープンしています。こちらのコンセプトは?

「ガレリア」はイタリア語で美術館や画廊という意味ですが、旅館ではなくアートをテーマにしたホテルです。日本に多くの温泉地がある中で、「温泉×何か」で集客しようと考えたとき、当時の別府にアートの波がきていたのです。

そこで、宿泊の魅力のひとつとしてアートを取り入れ、大分や別府にゆかりのある12組のアーティストにオリジナル作品を創作してもらいました。絵画に限らず、デジタルアートや彫刻もあります。

プロジェクトをスタートしたころは、「テラス御堂原」でもインバウンドが増えていた時期でした。海外のお客さんは2〜3泊するパターンが多いですが、毎晩懐石料理は重たい、みたいなことが起きていました。旅館だと1泊2食がセットになっていますから。

一方、ホテルならしっかりとした食事も軽食も可能で、外に食べに行くことも自由です。インバウンド需要はますます高まることが予想できましたので、アートを楽しみながら自由な滞在ができるリゾート型ホテルで、海外の方にリーチできると考えました。

ーーアーティストはどのように選定したのでしょうか。

私はアートの専門家ではありませんので、間に専門家に入ってもらいました。大きなプロジェクトだったので、設計などは細部まで口をはさみましたが、専門的な部分に関してはプロの方が多くかかわることがすごく大事だと思います。

温泉×アートのコンセプトは大胆だったかもしれませんが、人の叡智を集めれば良いものになるという確信はありました。実際、「ガレリア御堂原」がオープンすると多くの媒体に取材に来てもらい、グッドデザイン賞のベスト100にも選ばれて注目を集めました。

オープン前の2020年の春先は、日本でも新型コロナが流行して不安でしたが、数年前から進めてきた大プロジェクトを中止することはできません。

オープン後はGO TOキャンペーンなどの割引きでお客さんが殺到、そうかと思えばキャンペーンが終わると全然動かなくなるなどジェットコースターみたいな経営になっていました。

しかし、ホテルは数十年かけてやるビジネスです。ゆっくり稼働を伸ばしていこうという方針でやってきました。話題性がある施設なので、コロナが落ち着くと、狙いだったインバウンドも増え始め、今は順調に稼働しています。

順風満帆のなかで起こった集団離職事件

ーー事業承継後も順風満帆に経営を拡大していますね。

売上高こそ順調に推移しましたが、人材面での苦労がありました。もともと家族経営だった中、少しずつ従業員が増え、「テラス御堂原」がオープンするころには20人ほどになりました。

そのころ、だんだんおかしくなり、一気に10人が集団離職しました。ある中心的な従業員が主導して集団離職が起こったのですが、当時の私に経営者として従業員をマネジメントする意識がなかったのだと思います。

私は一人で何役もして生産性を上げることを大事にしていたので、従業員は楽ではありません。従業員を怒鳴ったり、叱責したりすることはしませんでしたが、どのようにキャリアを上げていくのかを伝えていませんでした。また、一人ひとりの意欲や希望をあまり考えていなかったと思います。

集団離職の背景に、トップとして私が良い人で終わっていたような面があったことは否定できません。

ほぼ1年で多くの従業員がいなくなってしまい、かなりショックな出来事でした。

ーー離職率を下げるためにどのような取り組みをしたのでしょうか

まず、従業員一人ひとりと毎月面談をしました。一人1時間くらいかけて面談していくと相手は心を開いてくれますし、私が伝えたつもりでも実は伝わっていないことがあると気がつきました。

それまでの会社の体制は、代表の私以外は、全員が同列という構図でした。そこで、管理職を設けるようにしました。

ただ、私が管理職に合っていると思っていても、当の本人はそのつもりがないこともあります。ミスマッチを避けるために主任試験を導入して、従業員自らが手を挙げて管理職になってもらう制度をスタートしました。誰でも平等にやる気があればキャリアアップのチャンスを得られるようになりました。

宿泊飲食サービス業は離職率が高い業界で、弊社もそうだったのですが、これらの取り組みをして以降は離職率がほぼゼロになりました。

トップが変われば経営スタイルも変わる

ーー採用に対しての取り組みは?

いろいろなことを経験して会社が成長しましたが、「テラス御堂原」がオープンしてしばらくは中途採用ばかりでした。会社がさらに成長するには若い人材が必要ですし、「ガレリア御堂原」の大型プロジェクトが進んでいたので新卒採用を多く採るように方向転換したのです。

ただ、どこでも人手不足の状況のなか、4大卒の学生が、「現状維持」みたいな会社には来てくれません。そこで、2018年に10年後のビジョンを打ち出しました。

「2028年までに売上高15億円」、「社員数100名」、「大分でお客様満足度社員満足度No.1の業界リーディングカンパニーになる」というビジョンです。当時の会社規模と比較すると5倍くらいのボリュームですが、明確で大きなビジョンを新卒採用で掲げたかったのです。

「テラス御堂原」をつくったときに、「非日常の体験を通してお客様の満足度を追求する」「常に挑戦する」「仲間を信頼し、ともに学び成長する」という3つの企業理念を掲げていたのですが、ここに10年後のビジョンを追加しました。

2020年には新卒採用した20人が入社し、以降も新卒から5年以内の人材を中心に採用するようになりました。10年後のビジョンの2028年まではあと3年ですが、直近の売り上げが6億円、従業員が43人。ビジョンを達成できるかどうかは半々くらいだと思っています。

ーー「事業承継」についてどのように考えていますか。

代が変わる、社長が変わるということは、会社が変わる時期だと思います。トップが変わるごとに経営スタイルも変わるべきだと思いますし、その人がつくり出したい未来を「事業“創”継」するのが自然かと考えます。

いつか私が誰かに譲るときは、任せたからにはあまり口出しをせず、その人が思いっきりできるような環境を用意できればと思っています。

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プロフィール

株式会社関屋リゾート 代表取締役社長 林太一郎氏

1975年、大分県別府市生まれ。桜美林大学卒業。1997年に大分市の建築資材会社に就職。営業職として実績を残すも、2001年に現在の関屋リゾートに入社。家業の関屋旅館の建て直しを図り、2005年には新たな取り組みとして、露天風呂付デザイナーズ旅館「別邸 はる樹」をオープン。2008年に代表取締役に就任し、「テラス御堂原」「GALLERIA MIDOBARU(ガレリア御堂原)」を展開。「宿泊業界のリーディングカンパニー」を目指す。

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