COLUMNコラム
一時は「借金だらけ」で大ピンチ… 信州発、ジャムやワインの全国ブランド、再建の道のりとは
信州に本社を構え、自社製のジャムやワインなどを、全国166店の直営・FC店舗で販売する企業がある。一時は、自己資本比率1%程度と、多額の借り入れと業績不振に陥ったが、父から経営を引き継いだ40代の兄弟が再建し、アメリカに進出するまでになった。食品製造会社「サンクゼール」(長野県飯綱町)の事業承継について、久世良太社長(47)に聞いた。
目次
家業から離れ、研究開発部門に従事したセイコーエプソン時代
−−−−家業を継ぐまでの経歴を教えてください。
小・中学校時代、父の会社が経営難に陥って多額の借金を抱えたこともあり、経営の難しさを認識していました。だから、経営者よりは、人に何かを教えたり、ものづくりに関する仕事をしたいと考えていました。また、父は仕事が忙しくて留守がちだったため、もっと家庭を大事にしたいとも思っていました。
電子工学を学ぶために東京の大学へ進学したのですが、通勤ラッシュが無理で…。「これでは東京で仕事をするのは厳しい」と思い、地元・長野県の電機メーカー「セイコーエプソン」(長野県諏訪市)に就職しました。
私には弟・直樹(45)がいるのですが、当時アメリカに留学してワイン醸造の勉強をしていました。家業は弟に任せるつもりで、私がサンクゼールを継ぐことは考えていませんでした。家族も私のやりたいことを応援してくれていました。
−−−−セイコーエプソン在籍時は何をされていたのでしょうか?
ビジネスも好きだったので事業部を希望していたのですが、研究開発部門に入りました。そこで当時のセイコーエプソンがやっていたプリンター事業、プロジェクターのディスプレイ関係、半導体などの基幹となる基礎研究や分析業務を担いました。
面白みと可能性を感じた直営販売のビジネスモデル
−−−−サンクゼール(※当時は斑尾高原農場)への入社の経緯と心境を教えてください。
セイコーエプソンに3年間勤務し、仕事も一人で任されるようになってとても充実していました。そんなときに父から電話があって「入社してほしい」と言われたんです。
当時のサンクゼールの経理部部門長が喉頭がんを患い、どうなるか分からないと。それで数字が強い人材が必要になって、私にアプローチが来たのです。
この時期はちょうど結婚をしたこともあり、悩みました。しかし、私が入社するちょっと前、サンクゼールの直営販売ブランド「サンクゼールワイナリー」ができていました。
セイコーエプソンで量販店の小売りの力・パワーというものをまざまざと感じていましたので、自分たちの商品を作って、自分たちで販売価格を決め、そのまま売るというビジネスモデルに面白みや可能性を感じていました。もしかすると家業のことがどこかで気になっていたのかもしれません。
それで妻とも相談し、新しい道へ踏み出してみようと思いました。28歳のときです。
経理と問題解決係として奔走
−−−−サンクゼール入社後、まず何から取り組んだのでしょうか?
2005年に入社後、まずは経理課で銀行対応から始めました。会社の資金がどう動くか、資金を回してどのように運用して利益を出すのかをシビアに学びました。
当時の新規事業だった店舗事業は、1店舗あたりに何千万も投資しないといけない投資先行型でした。だから、絶えず資金不足に陥ります。5000万円、1億円といった借り入れが必要になるため、毎月事業がうまくいっているのか、どう改善していくのかを必死で考えていました。
こんな状況では、銀行融資は不可欠なので、借り入れのために約束したことは必ず実現するように社内に働きかけてきました。徐々に銀行との信頼関係が構築でき、会社を資金面で支えることができたかなと思っています。
−−−−2009年に信州大学経営大学院イノベーションマネジメント専攻(MBA)を修了しています。
MBAはビジネスを担う身として最低限のスキルや知識を取得するべきだと考えたのと、弊社が抱える課題解決の糸口を見出したいと思って学びました。
ただ、実際に経営の現場に出ると、順風満帆ではなかったです。30代は問題解決係みたいな感じで、問題の部署に行っては解決していくような役回りでした。
例えば、製造部門の従業員から「重たいものを持つ作業が苦しい」という訴えがあれば、投資をして製造効率を高めつつ重労働を減らしました。離職率が高かった商品開発部門では、現場に入って問題点を一つずつ解決し、社員のモチベーションを高めて職場環境を良くする取り組みを模索してきました。
自己資本比率が1%程度になるなど、資金繰りも苦しかったですし、胃が痛くなって何度も辞めようと思っていましたね。でも、社長だった父や弟とともに歩む家族経営という意識があり、「この課題を解決できればもっと会社は良くなる」「将来はこういう会社になっていくんじゃないか」などと励まし合ったから、やってこれたのだと思います。
廃業を救った兄弟の絆
−−−−現在副社長の弟の直樹氏は、どんな存在ですか。
弟は私とタイプが異なり、若いころから海外留学し、サンクゼールの事業に前向きでした。弟は私より1年早く入社し、私をサポートしてくれながら苦しい時期を乗り越えて現在に至っています。
私たちの入社がなかったら、父は事業売却をしていたと思います。そのように借り入れの多い状況で、やってこられたのは弟のおかげです。会社再建のために尽力してくれたことにとても感謝していますし、兄弟として強いところで繋がっていたのだと思いますね。
久世 良太氏プロフィール
株式会社 サンクゼール 代表取締役社長 久世 良太
1977年、長野県生まれ。電気通信大学大学院電子工学専攻修了後、2002年セイコーエプソン入社。研究開発部門で3年間勤務し、2005年にサンクゼール入社。2008年取締役に就任し、2009年信州大学経営大学院イノベーション・マネジメント専攻(MBA)修了。2012年サンクゼール代表取締役専務、2018年代表取締役社長就任。「サンクゼール」のほか、和食セレクトショップ「久世福商店」、「THE GROCERY&WINE」の3ブランドで店舗展開を行っている。
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