「ほんなら、ちょっと言うけど…君が社長やって」 40歳の生え抜き営業マン、突然すぎるアース製薬の社長指名 いったい何が評価されたのか

虫ケア用品で国内シェアNo.1を誇るアース製薬株式会社は、2025年に設立100周年を迎えた。2012年、老舗企業の次期社長に指名されたのは、創業者一族ではない、「偶然入社した」という1人の生え抜き営業マンだった。2014年に42歳の若さで代表取締役社長に就任した川端克宜氏(53)が、社長交代のエピソードを語る。
目次
偶然が重なってアース製薬に入社
−−−−大学新卒でアース製薬に入社されていますが、アース製薬を選んだ理由は?
私の世代は第2次ベビーブームの時代で、いわゆる就職氷河期でした。今の時代と比べると、超買い手市場です。職を選んでいる場合ではありませんでした。苦労する人は会社を選ぶから苦労するわけで、そういう意味では就職活動は苦労していません。
大学は経営が専攻でしたが、学生時代より社会に出てからの経験が真の学びとなる分野です。とにかくどこの会社でもいいから就職し、社会人になることが重要だと考えていました。
運命に導かれるというと大げさですが、アース製薬との出会いはちょっとした出来事の重なりからでした。
初めはアパレル業界に就職が決まっていました。ところがある日、当時付き合っていた彼女とのデートの約束で家まで迎えにいったのですが、約束の時間を忘れて早めに着いてしまいました。彼女は不在で、お父さんが出てきて色々と話すうちに、「就職はどこに決まったのか」と聞かれました。
「アパレルです」と答えると、渋い顔をされました。次の日、彼女から電話がかかってきて、「お父さんがアパレル会社は気にいらないと言っている」と言われました。自分自身もアパレル会社にこだわりがあった訳ではなく、もう一度考え直そうと、大学の就職部であいうえお順に会社を調べ「あ行」の一番初めにあったアース製薬を受けてみたのです。
あの日もし私が約束の時間通りに行っていたらお父さんに会わず、方向転換することもなかったはずです。アース製薬が、もしも「地球製薬」という名前だったら、あいうえお順でもっと後ろになるので受けなかったかもしれません。そんな偶然が重なり、今があると言えます。
−−−−会社を選ばなかったというのは、あまり物事にこだわらない性格なのでしょうか?
偶然の結果だけど、「人生ってそういうものじゃないの」と、何でもあまり深く考え過ぎずに受け入れてきました。ただ目の前にあることを一生懸命やるというスタンスです。
「こうなったら困る」とばかり考える人が多いですが、そうなったらそうなったで、その時の風が吹きます。生きてさえいれば人間、きっとどうにかなります。
もし会社を辞めてほしいと言われたら私は素直に辞めます。そして次の仕事をすればいいと考えます。そういう意味では、今もあまり会社に執着はしていません。これは私の性格です。くよくよ悩んでも過去には戻れませんから、仕方がないと受け入れるしかありません。
「広島の社長がなんでマツダの車に乗らないのですか?」
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−−−−広島と大阪の支店長を務めておられますが、その頃はどのようなお仕事をしていましたか?
「くよくよしない」と言ったことと矛盾するようですが、私はしつこい性格だと思います。状況が厳しいと感じたら方向転換するのは早いのですが、くよくよしないために、まずあらゆる手を打とうとします。
営業マン時代、大体業績が良くないところを担当することが多かったです。営業という仕事は、初めは断られるけれど、そこからが勝負です。
アポを取ろうとするから断られるので、アポを取らないで行って待っています。そういうことは平気でやれる性格でした。「よう来るなお前、まあ入れ」となることもあります。
広島支店長時代、ある得意先に「ここはフマキラーの地元だから、お前が来ても無駄だ」と言われていました。めげずに何度も通いますが、「何回来てもあかんよ。地元の社長に顔が立たないから」と言われます。
でも、その社長がたまたまトヨタのレクサスに乗っていたので、「では社長、なぜ地元のマツダではなくトヨタに乗っているのですか?」と聞きましたら、しばらく考えて「確かにそうやな」と。そこから取引を深めてもらえるようになりました。
これは1事例ですが、同じような人が、周りにあまりいませんでした。あくまでも自分が納得するためにやっていたことで、私は普通のことだと思っていたのですが、目立ったのかもしれません。社長に指名されたのも、そういうところを見られたのではと思います。
社長交代へのカウントダウン宣言
−−−−社長が交代するという話を聞いた時はどう思われましたか?
当時社長だった弊社の現・大塚達也会長が、まだ当時50歳ぐらいでしたが「あと5年で社長を譲るつもりだ」と発表されました。私は当時大阪支店にいて、東京本社で働いたこともなかったため、どこか遠い話にしか思えず、半信半疑で聞いていたのが正直なところです。
それが1年経つごとに、あと4年、あと3年とカウントダウンしながら、ずっと「社長を譲る」と話されていたので、これは本当に代わるつもりなのだと思いはじめました。
ただ本当だとしても、役員もたくさんいましたので、次期社長はそこから選ばれるのが世の常です。大塚社長(当時)は企画・マーケティング畑の人で、これまで私と全く接点もありません。だから、自分の名前が出るなどとは夢にも思いませんでした。
ゴルフに誘われ、いきなり「君が社長やって」
−−−−次期社長に指名された時のエピソードを教えていただけますか?
社長交代のカウントダウンが残り2年になった頃、私は大阪支店長をしていましたが、ある時大塚社長(当時)から、「週末にゴルフの送り迎えをしてくれないか」と頼まれました。得意先とのゴルフでもなく、社長はプライベートのゴルフに社員を誘う人でもないので、珍しいなと思いながら引き受けました。
「送り迎えだけでは悪いから、ついでにゴルフもやらないか」とも言われました。後になって聞けば、その日のどこかで私に話を切り出すつもりだったようです。
社長とは別の組でラウンドしましたが、その帰り道、社長は車中で寝てしまい、次の予定だったパーティー会場のホテルに着いてしまいました。
社長は内心慌てていたと思いますが、「パーティーまでまだ時間があるからお茶でも飲もう」と誘われました。ホテルの喫茶室でコーヒーと、社長はケーキも注文してやっと話を切り出しました。
「僕が社長を退任するのは、大阪ではどんな噂になっている?」
「いや、まあまあですね」
「川端くんも興味あるの?」
正直それほど興味はなかったのですが、そうも言えません。
「もちろん、興味ありますよ。社長、失礼ですけど、本当に代わるのですか?」
「ほんまやで」
「ほんなら次の社長はもう、決まっているのですか?」
「聞きたい?」
「聞きたいですよ」
「ほんなら、ちょっと言うけどな…」
言ってくれるの? これは超スクープ、と構えました。
「君がやってくれたらと」
驚き過ぎて、すぐに「え?」とも言えませんでした。思わず「はあ」という声を発したら、社長には「はい」に聞こえたらしく、もうその場ですぐに「大丈夫や。何も心配せんでええ、全て話は整えている。ありがとう」と言って、ケーキも半分残して「もう行くわ、ほなありがとう、気いつけて帰って」と、さっさとパーティー会場へ行ってしまいました。
喫茶室に残された私は、しばらくボーッとしていました。晴天の霹靂とはこのことです。まさか自分が後継指名されるとは1ミリも思っていませんでしたから。
そして、考えるのをやめました。これは、くよくよ考えない私の性格のなせるわざです。聞き間違いかもしれないし、どうせ誰にも言えることではありません。何事もなかったように普通にしておこう、何かあったらまた言ってくるだろうと思いました。そこから半年ぐらいは何も言ってきませんでしたが…。
後から聞くと、5年前に宣言した後、人材を探していたようです。5年前から私に決めていたわけではないでしょうが、何人かのうちの1人だったのは確かです。周囲に相談もしながら固めていき、この時にはもうほぼ固めていたから、私に話した、ということです。
プロフィール
アース製薬株式会社 代表取締役社長CEO、グループ各社取締役会長 川端 克宜 氏
1971年、兵庫県生まれ。近畿大学商経学部(現・経営学部)1994年卒、同年アース製薬に入社。国内流通営業を担当。2006年に広島支店長、2009年に大阪支店長。2011年役員待遇、2012年ガーデニング戦略本部本部長、2013年取締役ガーデニング戦略本部長を経て、2014年に代表取締役社長。2021年より現職。
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