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「お坊ちゃん営業」じゃない!社長の息子、徹底した準備・情報収集で営業成功 生きたのは、ガソリンスタンドのアルバイト経験だった

「家業を継ぐ」という決断は、決して簡単なものではない。個性あふれる高品質な「フライパン」や「タンブラー」などを作る、藤田金属株式会社(大阪府八尾市)の藤田盛一郎代表取締役社長(43)は、幼少期から家業に携わり、跡継ぎとしての道を自然と歩んできた。営業として飛び込んだ家業では、「お坊ちゃん」的な視線を向けられることもあったが、学生時代の経験などを生かして壁を乗りこえていった。家業を継いだ経緯を、藤田氏に聞いた。

「いずれ家業を継ぐ」と言われ続けて

――家業を継ぐことについて、どのような考えをお持ちでしたか?

子どもの頃から親に「いずれ家業を継ぐものだ」と言われ続けてきました。会うたびにその話をされるので、自然と洗脳されたような感覚です。なので、跡継ぎになるのは当たり前のことだと思っていました。

ただ、若い頃はそれがどれだけ重要なことなのかは、深く考えていませんでした。家業の跡を継ぐというのは「単に仕事を受け継ぐ」ことではなく、「歴史や想いを背負う」ことだと、今は実感しています。

――会社については、どのような認識を持っていましたか?

正直、深く理解していませんでした。週末、父親について会社のイベントを手伝いに行く程度で、「商品を作っている会社なんだな」と漠然と思っていたくらいです。実際の事業内容や業界の構造までは全く知らずにいました。

家業というのは、ただ製品を作るだけでなく、顧客との信頼関係の構築や、会社の方向性を考える重要な役割があることを知ったのは、入社してからです。

ガソリンスタンドで掴んだ「インセンティブ」

――進学については、どのように考えていたのですか?

大学進学は「とりあえず卒業しておこう」という考えでした。特に勉強に興味があったわけでもなく、何かを学ぶために進学したというよりは、形式的なものだったと思います。就職活動もせず、そのまま家業に入りました。

家業に対する理解が浅かった分、大学時代は自由に過ごしていましたが、今考えると、もっと多くの知識を吸収しておくべきだったと感じます。

――学生時代は、学業よりもアルバイトに励んだそうですね。

ガソリンスタンドでアルバイトをしていました。そこでは、オイル交換などのオプションを取れると自分の時給にインセンティブとして反映される仕組みでした。

アルバイトでありながら売上ランキングで順位がつくという、数字に対して厳しい環境におかれていて、「結果を出さないと評価されない」という現実を実感しました。

結局7年間働き、この経験は、後に営業をする際にも大きく役立ちました。結果を重視し、どれだけの成果を出せるかが評価につながることを学びました。

目指したのは「長期的に売れる商品」

藤田金属
会社外観(写真提供/藤田金属株式会社)

――家業に入って最初の仕事は?

営業を担当しました。藤田金属ではフライパンなどを製造していますが、私が入社した当時は売上が下火でした。

特に、量販店やホームセンターに製品を並べてもらうための営業は厳しく、価格交渉が中心でした。安価な製品が市場を席巻していたため、価格競争に巻き込まれることも多く、売上を維持するのが難しい状況でした。

――営業活動で感じたことと、家業の課題は何だったのでしょうか?

価格競争が激しく、商品の価値よりも値段を重視されることが多かったです。さらに、せっかく売れる商品を作っても、すぐに模倣されることがありました。そのため、長期的な視点での商品開発が難しいと感じていました。

また、お客様が本当に求めているものを理解し、提案する力が必要だと感じました。価格以外の付加価値をどう提供するかを考えながら営業を進めました。

――商社への営業もしていたそうですね。

そうですね。ガソリンスタンドでのアルバイト経験が役立ち、商社への営業は比較的スムーズに進みました。ただ、藤田金属の「藤田」が営業に出ることで、「お坊っちゃん営業」というイメージを持たれがちでした。

それを覆すため、徹底的に準備をして信頼を得ることを意識しました。商談前には相手の情報を徹底的に調べ、顧客のニーズを的確に把握した上で提案を行うように努めました。

――お祖父様とのエピソードも教えてください。

祖父はとても厳しい人でした。営業に行く際も「とにかく外に出ろ」と指示されました。また、朝のラジオ体操で少しでも動きが違うと「正しくやれ」と注意されるほど細かい人でした。厳しさの中に、仕事に対する真剣さを感じました。その姿勢は今でも私の中に根付いています。

赤字経営から脱却するため、祖父の決断

――承継の経緯を教えてください。

2008年のリーマンショックの影響で、会社も大きな打撃を受けました。ただ、すぐに影響が出たわけではなく、2009年から2010年にかけて、毎月赤字が続くようになりました。

そのタイミングで、祖父の進言もあり、叔父から父へ経営が引き継がれました。会社の厳しい状況を立て直すための大きな決断だったと思います。

――その変化は、藤田代表にとってどのような影響がありましたか?

父が社長に就任してからは、より仕事がしやすくなりました。父は製造を担当し、私は営業を担当するという役割分担ができたので、両輪で会社を回していく感覚がありました。それぞれが得意分野を活かしながら協力することで、会社全体の効率が向上しました。

――現在の経営において、重視していることは?

社員の意見を積極的に取り入れることです。これまでのようなトップダウン型ではなく、現場の声を大切にしながら、柔軟な経営を目指しています。また、製品の品質向上と新しい市場の開拓にも注力しています。これにより、持続可能な成長を実現したいと考えています。

――今後の展望について教えてください。

祖父や父が築いてきた基盤を守りつつ、新しい価値を創造していきたいです。特に、これからの時代に合った製品開発やデジタル化の推進を進め、藤田金属を次のステージへ引き上げたいと考えています。地域社会への貢献も行い、顧客に信頼される企業であり続けることが目標です。

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プロフィール

藤田金属株式会社 代表取締役社長 藤田 盛一郎氏

1981年、大阪府生まれ。大学卒業後、2003年に現在勤める藤田金属株式会社に入社、2020年に代表取締役社長に就任。「ひえーるタンブラー」「フライパン物語」を開発し自社商品をヒットさせる。「フライパンジュウ」は海外からも注目され、東京のショップも人気。現在もキッチン用品をはじめ、アウトドア用品、園芸用品、インテリア雑貨などを手掛ける。藤田金属株式会社の年間売上高は約4億2500万円、従業員数19人。

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