「家の後継ぎ」にあったネガティブイメージ、父の一言が変える 世界最大のコンサル企業から、家業の「つや出し」企業へ

大きな石の上で、織物を木槌で打ち、柔らかくして艶を出す―。この「つや出し」の仕事が、株式会社艶金(つやきん、岐阜県大垣市)の出発点だ。5代目社長後継予定者の墨俊希氏は、2025年に家業を承継する予定で、現在は早稲田大学ビジネススクールで学びながら「アトツギ」としての準備を進めている。墨氏に、長い歴史を持つ企業を継ぐ覚悟について話を聞いた。
目次
「衣類分野の加工」を越えた先の事業

――艶金の創業について教えてください。
艶金は、祖父の金兵衛が創業した会社です。もともと、祖父は家の庭でつや出しの仕事をしていました。つや出しとは、大きな石の上に畳んだ織物を乗せ、樫製の木槌で打ち、織物を柔らかくして艶を出す技術のことです。これが評判となり、少しずつ事業が拡大していきました。
創業当初は、衣類のつや出し加工をメインに行っていましたが、ファストファッションの台頭と海外生産の増加に伴い、業績は厳しい状況が続いていました。
そのため、つや出しだけでなく、抗菌、撥水、消臭などの機能的な加工や、毛羽立てて冬物の生地にするなどの加工にも事業を広げていきました。また、現在は染色加工が主力事業となっています。
――社名の由来も、この「つや出し」にあるのですか?
「艶金」という名前は、祖父の名前「金兵衛」と、つや出しの技術を掛け合わせたものです。祖父はつや出しの名人として知られており、この技術を軸に会社は成長していきました。当時、全国から職人がつや出し技術を求めて集まり、艶金の技術を全国に広めていきました。
――会社の成長過程で、何か大きな転機はありましたか?
大きな転機の1つは、もともとグループ全体で複数あった工場を、グループ会社の廃業と共に閉じたことです。その頃は父が時代の流れに危機感を持っていたため、衣類のつや出しだけでなく、自動車業界などに進出しました。
――現在、どのような事業展開をしていますか?
衣類の加工だけではなく、幅広い分野に進出しています。例えば、産業用のロボットスーツなどの製品も手掛けています。
社会人経験で学んだ「家業承継」のヒント
――家業についてどのような思いを抱いていましたか?
私が小学生の頃、自宅前の自社工場がなくなりました。その時から、会社の経営状況が厳しいことを意識するようになりました。
中学生の頃には事業の縮小が進み、従業員も減っていきました。その光景を見て、将来、家業をどうするのかという漠然とした不安を抱えていました。
――大学進学の際、地元を離れた理由は?
地元を離れて、京都の大学に進学しました。当時は、実家から距離を置きたかったという思いが強くあったからです。家業から少し離れ、自分自身の道を模索したいとも思っていました。大学時代には友人とともに起業にも挑戦し、やりたいことを形にしてお金に変えることのおもしろさを知りました。
――卒業後は、世界最大のコンサル企業「アクセンチュア」に入社したそうですね。
家業を継ぐ前に、社会人としての経験を積みたかったのです。アクセンチュアでは、ソング事業部に所属し、企業のブランディングやデザイン、顧客体験の向上を支援する仕事をしていました。この経験を通じ、企業の価値を高める重要性を体感し、経営者としての視点を磨くことができました。
――その経験は、家業承継にどのように役立ったのでしょうか?
案件を通して、多くの経営者と接する機会がありました。その中で、経営の意思決定がいかに重要かつ、会社全体の方向性を左右することを学びました。また、顧客に価値を届けるための「体験設計」の大切さも知りました。これらの経験は、家業を継いだ後にも大いに役立っています。
節目の年と、大学院への進学
――アクセンチュアでの経験が、後継ぎへの意識に影響を与えたのでしょうか?
はい。経営者と接する機会が多く、経営の難しさや重要性を実感しました。また、帰省時に父から「令和9年(2027年)は節目の年になる」と言われたことが、家業を継ぐきっかけになりました。
おそらく父は、私が後を継がなければ、2027年を目処に社長の引退と、家業の廃業を検討していたと思います。それまで家業を継ぐことに対して消極的だった私にとって、父の言葉は大きな転機でした。
――その後、家業を継ぐ決意を固めたのでしょうか。
最初はまだ漠然としたものでした。ただ、アクセンチュアでの経験を通じて「家業をどう変革するか」という視点が芽生え始めました。そして、経営を体系的に学ぶため、早稲田大学のビジネススクールに通うことを決めました。
――大学院ではどのようなことを学びましたか?
経営戦略やマーケティング、財務分析など幅広い分野を学びました。また、入試の際に、家業の長期戦略について語り、面接官に「地域密着型の企業はどのように持続可能な成長を遂げるべきか」を提案しました。
「後継ぎ」から「アトツギ」へ
――中小企業・小規模事業者の後継者が新規事業アイデアを発表するイベント「アトツギ甲子園」の経験が、墨代表の考え方に大きな影響を与えたそうですね。
アトツギ甲子園では、地域発スタートアップの勝ち筋として「アトツギベンチャー」という概念が挙げられていました。それまでは「家業の後継ぎ」という立場に対して、ネガティブなイメージを持っていましたが、その言葉を聞いて「後継ぎは新しい価値を生む存在になれる」と気づかされました。
――その後、どのように後継ぎに対する考え方が変化しましたか?
以前は、家業をただ引き継ぐだけの存在と思っていました。しかしこの経験を通じて考え方が変わりました。後継ぎという立場は、新しい事業を生み出したり、地域に新たな価値を提供できたりする可能性を秘めています。
後継ぎの役割をポジティブに捉えるようになったことで、私自身も「何を変えられるのか」「どのように価値を生むのか」という視点を持つようになりました。
――社団法人で活動していると聞きました。
社団法人としての活動は、「一般社団法人ベンチャー型事業承継」という後継ぎ同士が集まるコミュニティの事務局メンバーとして、情報交換などを行っています。
1年間の活動を通じて、後継ぎのポジティブな側面に気づきました。他の後継者の話を聞くことで、自分の状況を客観的に見つめ直すきっかけにもなりました。
これまでは後継ぎとしてのプレッシャーや孤独感を感じていましたが、同じ立場の人たちと話すことで共感し、勇気づけられました。さらに、社団法人での活動を通じて「跡継ぎが持つ可能性」にも気づき、私自身もその可能性を広げていきたいと思っています。
プロフィール
株式会社艶金 墨 俊希氏
1995年、愛知県生まれ。同志社大学卒業後、2019年にアクセンチュア株式会社に入社、2023年に早稲田大学大学院に入学し、家業の株式会社艶金で新規事業などを担当する。5代目として、東京大学との共同開発プロジェクトをはじめ、新たな染料の開発やオープンイノベーションの推進など、革新的な事業を展開している。
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