驚異の糖度19度トウモロコシ、有名食品CMに使われる広い畑 かつて東京に憧れた農家の12代目が生み出す「農家の新しい経済価値」

農業体験やロケ地利用など、「生産」の枠を超えた体験型ビジネスを展開する「株式会社くるくるやっほー」(千葉県銚子市)。江戸時代から続く農家の12代目として生まれた坂尾英彦代表は、東京に憧れて若くして上京し、DJやアパレル関係の販売事業を行ったが、挫折した。しかし、その経験から野菜のEC販売や体験事業、さらには畑をアパレルブランドの撮影地として活用するなど、従来の農業の概念を覆す経営モデルを確立した。ユニークな名前の「アフロきゃべつ」や「糖度19度のトウモロコシ」などの名物も生産する、斬新な農業改革・坂尾氏にその軌跡を聞いた。
目次
江戸時代から続く農家の家系に生まれて
──農家としての歴史を教えてください。
うちの隣の神社に「坂尾久兵衛7代目」と刻まれた奉納石柱があります。それを見たときに、あらためて歴史の重みを感じました。現在、私で12代目になります。
キャベツの栽培は70~80年前から行っていて、とうもろこしの栽培を始めたのは父の代になってからです。
──銚子ならではの農業の特徴はありますか?
銚子は三方を海に囲まれた土地です。海からの潮風によって、土地も野菜もミネラル成分を多く含んでいます。7、8年前に検体検査をすると、通常の食品データベースに比べ約2.5倍のミネラルが含まれていることが分かりました。
うちのキャベツは、芯まで甘い「アフロきゃべつ」として販売しています。とうもろこしは、生で食べることができます。日中と朝晩の寒暖のおかげで、糖度が19度(※完熟マンゴー並み)くらいまで高まります。
農業への反発と東京への憧れ

──子どもの頃から農業に関わってきたのですか?
小学3年生から畑を手伝わされ、「お前は長男だから農業やるんだ」と言われて育ちました。最初はお小遣いがもらえるからやる程度の感覚でしたが、中学生、高校生になるにつれて、嫌になっていきました。
──進路についてはどのように考えていましたか?
インテリアコーディネーターになりたいと思い、「専門学校に行きたい」と親に提案しました。でも父は「そんなもので食っていけるのは、ほんの一部。この家で農業をやっていれば食いっぱぐれることもない」と猛反対されました。
母からも「私もやりたいことがあっても農家に入ったんだから我慢しなさい」と言われ、専門学校には行けませんでした。でも、東京にいる友達と遊ぶうちにDJをやってみたりして、東京への憧れが抑えきれなくなり、お金をためて半ば強引に上京しました。
憧れだった音楽の世界で見た現実

──東京での生活はどのようなものでしたか?
世田谷区でワンルームの家賃が7万円。そして、月にレコードを10万円くらい買っていました。
でも、クラブDJはギャラをもらうどころか、逆にお金を払ってやるような世界。ノルマもあって、「お客さんを20人呼んできなさい」と言われる。だんだん「自分の思っていた東京の音楽シーンと違うな」って感じるようになりました。
──銚子に戻ろうと考えたきっかけは?
付き合いのあったレコード屋や服屋が、商品をアメリカから仕入れていました。考えてみれば、東京で売られている服も音楽もアメリカから来るものが多い。だったら「千葉でアメリカから直接仕入れて商売すれば、同じような環境が作れるんじゃないか」と思ったのです。
音楽ってすごくローカル意識が強いので、「地元から発信して何かをやるっていうのはおもしろいな」と思いました。そこで、東京から完全に引き払うことを決めました。
キャベツをきっかけに人を銚子に呼ぶ仕組みづくり

──地元に戻って、農業を始めたのでしょうか。
自分で仕入れたレコードや服を売っていました。大手モールに出店して、管理ソフトなども導入していました。このまま小売業で生計を立てたいと当時は考えていました。
しかし、大手小売業者と比較すると、数量も価格も勝てません。他と比較されない独自のものを売ろうと考えた時、農業と野菜に着目したのです。
──農業に戻られてからの取り組みについて教えてください。
最初は生鮮野菜のEC販売もやってみたのですが、本当に大変でした。物流の問題もありますし、年間何十万個も出荷している農作物を、全部小売りに切り替えるのは現実的ではない。
以前テレビで取り上げてもらったとき、1年分の注文が入ったことがあったのですが、本当に大変でした。そこで発想を変えて、キャベツをきっかけに、銚子に人が来てくれるような仕組みに変えていったのです。
──具体的にはどのような取り組みを?
キャベツを1個売っても300円にしかなりませんが、収穫体験とランチを組み合わせれば5000円、6000円になります。
畑をロケ地として貸し出すこともやっています。カロリーメイトのCMや、アパレルブランドの撮影に使われています。野菜を売るだけが農家ではないのです。広大な畑という空間を持っているのは生産者だけ。畑の価値も売れるのです。
坂尾英彦氏プロフィール
株式会社 くるくるやっほー 代表取締役 坂尾 英彦 氏
1982年、千葉県銚子市生まれ。高校卒業後、2000年に上京しDJとして活動、2002年に銚子に戻り、輸入品販売事業を展開。2012年に30歳で本格的に農業に転身し、現在はHennery Farmの代表として、キャベツやとうもろこしの栽培を手がける。独自の農業改革を提唱し、”アフロ農家”の異名を持つ革新的農業経営者として注目を集める。伝統農法と現代的経営手法を組み合わせた新しい農業の形を追求している。
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