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『ここまで明かすのか』正直すぎるシャンプーが大ヒット/家業を継いだIT企業取締役が気づいた、町工場を背負った父の背中 ~木村石鹸インタビュー後編

大阪の地で、大正13年から石鹸・洗剤作りを続けている木村石鹸工業株式会社。4代目社長を務める木村祥一郎氏は、同志社大学在学中にIT企業を立ち上げた異色の経歴をもつ。スマートなベンチャー業界から、昔ながらの町工場へ。まったく違うフィールドへ「無知」のまま飛び込んだ木村社長が巻き起こした、社員意識とビジネスモデルの大変革とは。

「正直すぎる姿勢」が消費者の心を揺さぶった

――看板商品である『12/JU-NI』のほか、ハウス&ボディケアシリーズ『SOMALI(ソマリ)』など、自社ブランドの拡充に努められています。幅広い展開を見せていますが、もっとも大切にされている軸は何ですか?

木村 「正直さ」「誠実なもの作り」ですね。生協さんなど採用基準が厳しいところと長く取引してきたこともあり、そのDNAは非常に根付いています。マーケティング主導で売れ筋をリサーチすることも大切ですが、それで商品の性能が犠牲になっては意味がない。

『12/JU-NI』はそのスタンスがうまく噛み合いました。シャンプーのように競争が激しい領域では、マーケティングを重要視するのが定石です。どういった訴求軸を作るかが先にあり、処方はそれに従って決める。ところが『12/JU-NI(ジューニ)』は開発者の多胡が理想を追求して作ったもので、何も語れるポイントがない。じゃあどうすれば良さを伝えられるか、と考えていきました。

――他のメーカーとはプロセスが真逆なわけですね。

木村 それもあって、売れると思っていなかったんです、まったく。最初は名前も違いまして、多胡が作ったシャンプーなので「TGシャンプー」。薬務登録もその名前で済ませていて、市販はせずに紹介制で売ろうと準備していたんです。

ところが一緒にやっていたクリエイターさんが「TGシャンプーじゃもったいないよ。めちゃくちゃいい商品なのに、これだと良さが全然伝わらない」と言ってくれて。でもキャッチ―な訴求軸が何もない、売り方が難しいんだと話をしたら「そこがいいんじゃないか」と。「多胡という一人の開発者が理想を求めて作ったとストレートに伝えた方が、木村石鹸の正直さと合う」と提案してくれたんです。

半信半疑ながら名前を『12/JU-NI(ジューニ)』に変えて、いきなり市販はできないのでクラウドファンディングを始めたんですね。少しでも話題になればいいなと思いまして。それが蓋を開けてみたら、目標額30万円のところ、達成率1600%を超えて500万円以上が集まった。

――予想外の大反響だったと。

木村 驚きました。「正直に伝える」姿勢がこんなにうけるとは思わなかった。自分たちが当たり前にやっていることに対して、感動や共感をしてくれる人がいるのだと初めて実感できたんです。これが「木村石鹸らしさ」なんだと。

その意味でも『12/JU-NI』の存在はすごく大きかったですね。自信をもって正直さや誠実さを発信できるようになりました。僕らにとっては大前提のことですから、わざわざ言うのはどうなんだという思いもありましたが、大仰な広告に嫌悪感を持っている消費者が一定数いて、その層からはすごく支持されています。「木村石鹸、正直すぎるだろう。こんなことまで書くメーカーがいるのか」と(笑)。

――LPでも「万人向けではありません。合う人と、合わない人がいます」と明記していらっしゃいますね。SNSで「これは広告です」と正直に開示したことも話題になりました。

木村 いいものができたのでちょっとでも知ってもらいたい。でも騙すようなことはしたくないという気持ちを素直に出しました。それが逆にすごくうけて、『12/JU-NI』の売上が3倍に跳ねたんです。正直であることがちゃんと評価されて……いやぁ、嬉しかったですね。

“父から受け継いだ「3つのやるな」”

――メイン事業をOEMから自社ブランドに切り替えるなどの変革を行ううえで、お父様と衝突する局面もありましたか?

木村 ほぼないですね。親父は経営にノータッチで「好きにやったらいい」と言われています。事業の方向性について話すこともほとんどありません。

ただ「これはやるな」と言われたことが5つありまして、一つは「税金をちゃんと払え」。商売をさせてもらっているところ、例えば本社がある八尾市に対して税金を納められることを喜べと。過度に節税するなと言われました。

次に「監視をするな」。おそらく暗黒時代に、工場にカメラをつけて仕事をチェックするようなマネジメントがあったからだと思います。あと「嘘をつくな」。残りの2つは忘れてしまいました(笑)。覚えている3つは、自分でも大事にしています。ただし税金については、社員にも還元できるようにバランスを取りつつですね。

――社員への還元と言えば、昇給するか否かについてお父様と意見の対立があったとnoteに綴られていましたね。
※(「ほなら、もっと給与上げたらなあかんな」

木村 僕が戻ってきた時の給与の仕組みは、暗黒時代のマイクロマネジメントに則った能力評価でした。それを廃止して、僕が全部決めることにしたんですね。とはいえわからない部分も多いので、親父にこれでいいか確認をとろうと。

すると親父は「なんで給与上がってないんや、もっと上げたれや」と言うんです。僕としては業績に連動させて、よければ還元する、悪ければ下げるといったメリハリが必要だろうと。とくにマネージャークラスはそうして反省を促さなければとITベンチャーにいた頃から考えていました。ところが親父は「なんで下がんねん。みんな年取ってるやん、生活費大変やろ。上げたれ」と言う。どう考えても原資的に無理だと返しても頑として聞かない。最終的にしぶしぶ給与を上げたのですが、本当になんとかなったんですよ。

――スタンスの違いが面白いですね。木村社長はビジネスの視点から、お父様は社員の生活の視点で見ておられる。

木村 親父は商売とか経営とかはあまり関係ない。「いいものを作る」と「社員が幸せかどうか」しか興味がないので、労働分配率がこうで原資がこれだけしかないとか、そんな説明は意味を持たず「全員の給与を上げろ」の一点張りです。そのお金はいったいどこから持ってくるんだと(笑)。ただ結果的に、給与が上がったことで社員も頑張ってくれました。

もうひとつ親父にかなわなかったエピソードがありまして、OEMがメイン事業だった頃、売上の35%を依存していた大口の顧客がいたんです。そこが不義理を働きまして、親父は「そんな会社と付き合ったらあかん。うちまで不道徳になるからもうやめろ」と主張する。

他の社員からすると、その顧客を切ったら会社がつぶれるのではないかと考える。ところが親父は「付き合っている方が危ない。35%の売上を失って赤字になっても、3年間は大丈夫や。その間に同じ売り上げをとれる新しいお客さんを見つけたらええやん」と言う。「わしはやり方知らんけどな。でもあんたらやったら、できるわ」と。

なんちゅうやり方やと思ったんですけど、実際3年のうちに以前の取引先を超える素晴らしい顧客が見つかったんです。今ではOEMで一番のお得意様ですね。

「ロジックの外」でこそ社員は動く

――木村社長は、お父様の大胆な判断をどう捉えたのですか?

木村 ITでやってきた考えとはもう全然違う。僕だったらあんなリスクのある極端な決定は絶対にしないです。軟着陸というか、両者がうまくいくようにやる。

でもそれは、社員に「うまくバランスを取れ」と負担をかけるやり方だったんだなと。親父は「わしはやり方知らんけどな」と言っていますが、「三年間あれば大丈夫。どうにかなるだろう」という妙な根拠があるんですよ。社員に任せて、完全に信頼している。だからキャッシュを用意して、「面倒な顧客に向き合わなくて済むように、新規顧客を獲得しよう」と営業のモチベーションまで上げている。無意識かもしれませんが、すごいなと感じました。

――そのスタンスを見習っていかれる?

木村 正直、結果オーライではありますよね。ある種の賭けというか。ただ、これまでの事例を顧みるに、親父と同じく「社員を信じて任せる」ことで成功しているケースが多いんです。『12/JU-NI(ジューニ)』もまさにそうです。多胡が自ら作った商品で、彼が入社してから完成まで5年かかっている。OEMの案件では価格がまったく見合わないものを作ってくるので、「多胡は開発には向いていないんじゃないか」と言われていたんです。

ところが好き勝手に最高のシャンプーを作って、それが今や会社のメインブランドに育った。彼が研究に打ち込むのを止めていたら、おそらく完成していませんでした。多胡も「木村石鹸の環境だから、任せてもらえて自由に開発ができました」とずっと言ってくれています。なので、結果オーライでいいやと。

――ITベンチャー時代にはなかった視点を、お父様から得られたわけですね。

木村 親父の感覚は、やはり経営者を長く続けてきたからこそのものですよね。僕は正直、とても小さい地方の会社だし、経営において参考になるものはまったくないと思っていました。自分のやり方をきちんとインストールすれば、会社は良くなるだろうと思って帰ってきたんです。親父の経営は「給与をとにかく上げろ」とか、ちっともロジカルじゃない。でもロジックではないところで人が動くんだなと実感しました。親父を喜ばせよう、恩を返そうと社員が真剣に仕事に取り組む。その視点はIT企業にいた時は一切ありませんでした。すごく勉強になりましたし、衝撃でしたね。

「ジュニア経営メンバー」に社の未来を託す

――次の代への事業承継はどのようにお考えですか?

木村 子供がいないので、親族承継は僕が最後です。外部の人間がトップに立っても会社として継続していける仕組みを作る。それがこの10年の課題ですね。ただ、すごく難しい。

効率や経営の視点だけで考えると、やめた方がいいことは山ほどあります。それこそ石鹸の製造方法にしても、うちは職人が鍋に張り付いてぐつぐつ煮る「釜焚き」ですが、正直儲からないし非効率な製法です。しかし非合理的な部分を全てそぎ落としてシステム化すると、木村石鹸の面白さや魅力はなくなってしまう。大手企業ではないがゆえの葛藤ですね。そこを理解した上での事業承継のスキームについて、非常に頭を悩ませています。大手の資本に入った方がいいのかも含め、どういうやり方があるだろうかと。できれば社内から、トップに立つ人間が育ってくれたらと思っています。

――そのための育成プログラムもあるのでしょうか?

木村 今年から「ジュニア経営メンバー」という、次世代を担う若手から中堅だけのジュニアボードを作りました。今の経営メンバーとはまた別で、新しい木村石鹸をやっていくメンバーです。まだまだこれからの取り組みで、まずは経営会議をやろうと思っています。例えば10年後の姿を考えて中長期の事業計画を作ってみるなどですね。

――現在は20代の社員が一番多いそうですね。

木村 僕が家業に戻った時、社員の平均年齢は45歳前後でした。今は10歳若返って36歳です。役員を除くと10代~20代が一番多くて、30代まで入れると全体の40%近い。自社ブランドの盛り上がりとSNSの活用によって、木村石鹸の門を叩いてくれる若人が劇的に増えました。

とにかく若手にチャンスを与えて、バッターボックスに立てる環境を作り続けたい。ベテラン陣はそれを支えてサポートする。僕自身、社会経験もない無知な大学生だったのに起業してどうにかやれたのは、周りの支えがあったからです。今の若い人たちはもっと頭がいいし、インターネットを通じて情報も大量に手に入る。僕らよりもずっとすごいことができるだろうと期待しています。

視点の転換で「お荷物」を「資産」に変える

――土壌を整えて、そこで自由にやってみなさいというのはお父様の「信頼して任せる」スタンスとも通じるように感じます。

木村 ベテラン陣からも「親父さんに似ている」と言われました。親父が4000万円の現金を一人の社員にいきなり渡して「株で増やせ」と命じたことがあったのですが、逡巡していることに「なんで動かへんのや」と怒っていた。結果的に買った株が大暴落して塩漬けになってしまったんですけど、それについては何も言いませんでした。

僕は親父とは性格も全然違うし、経営も真逆の方法でやっているつもりです。でも、やらないことに怒り、やったことには怒らない点は結果的に似ているのかもしれませんね。

――幼少期は泥臭く映っていたお父様ですが、事業承継によって見方は変わりましたか?

木村 変わりましたね。親父は工場すら作ってしまえるほど玄人はだしの知識を幅広く持っていて、何でも自分の手で作ってしまうし、思い切った決断をする。度胸が違いますね。子どもの時はダサいと思っていましたが、実はものすごくカッコいいなと。本人に伝えるのは照れくさいですけどね。

――最後に、事業承継にのぞまれる方々へのメッセージをお願いします。

木村 事業承継について、僕も含めてネガティブに捉える人が多いと思うんです。八尾にある企業130社ほどで「みせるばやお」という団体をやっていまして、僕と同じように事業承継をした2~4代目が集まって運営しているのですが、みんな高度経済成長で事業がガッと伸びて成熟して、衰退に入ったタイミングで受け継いでいる。

新しいことをしないと生き残れないけれど、社内の人間はずっと同じことをやり続けていて、なかなか新風を起こせない。やはり後継者がやらざるを得ないわけです。はじめは大体、社内の反発を食らうし、協力姿勢がない。売上もない段階でどうやって社内のオーソライズを取っていくのか、あるいは会社を分けて外部でやるのか。直面している課題はみんな同じですね。

ただ、やはり10年20年と続いてきた事業には、将来伸びる種が眠っていると思います。ネガティブなところばかり見ないで、面白い領域を探る視点で事業を捉えてもいいのではないでしょうか。

うちの釜焚きも、コストメリットがないため僕が戻ってきた当初はあまり表に出していませんでした。それが今では大きな売りで、覚えてもらうためのキーワードになっている。社内のお荷物が別の見方ではすごく重要な資産に化けるわけです。何かしら光るものをうまくピックアップして、磨いていってほしいですね。

前編|「木村石鹸の事業承継」はこちら

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木村石鹸工業株式会社 代表取締役社長 木村 祥一郎

1972年、大阪府八尾市生まれ。1995年に大学時代の仲間数名と有限会社ジャパンサーチエンジン(現 イー・エージェンシー)を立ち上げる。以来18年間、商品開発やマーケティングなどを担当。2013年6月にイー・エージェンシーの取締役を退任し、家業である木村石鹸工業株式会社へ。2016年9月、4代目社長に就任。現在に至る。

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