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能登地震に傷ついた子4000人に「かき氷」を無料で届けた金沢の会社 実は、世界で評価される「ブランド氷」の企業 年商3倍にした5代目社長「冷たい氷」にかける「熱い思い」

石川県金沢市で1923年から氷を商ってきたクラモト氷業は、溶けにくく硬い自社ブランド氷「金澤氷室」を確立した。5年前には、業務用飲料向け氷のアメリカ輸出という日本初のチャレンジを見事に成功させ、さらにオーストラリアやシンガポールへも販路を拡大しつつある。氷のブランディングだけでなく、能登半島地震の被災地でかき氷を無料提供するなど、氷で人や文化をつなぐ取り組みにも熱心だ。2024年に5代目社長に就任した蔵本和彦氏(38)に、「冷たい商品」にかける「熱い思い」を聞いた。

ハッシュタグ付けしてもらえる氷屋

−−−−氷のブランディングとは?

10年前から「氷も選ぶ時代になりました」をキャッチコピーとして謳っています。水ならなんでも一緒という時代が変わり、今は何種類もの水が店頭に並ぶようになりました。同じことを氷でもやりたかったのです。

今では地元のイオンで、プライベートブランドとうちの氷が併売されています。うちの氷をどう手に取ってもらうかに重きを置いて、デザインやコンセプト、写真に力を入れています。

−−−−SNSはどのように利用していますか?

会社の気持ちをお客様に伝えるには経営者がやるのが一番だと思うので、今でも国内のSNSは僕が全部担当しています。SNSはお客様の声が直接DMで届くところがいいです。2024年1月の能登半島地震の後、DMでお客様が「私も昔震災に遭って辛い思いをしたので、クラモトさんがどうなったかと心配していました。しっかりといい氷を作り続けてくれてありがとうございます」と言ってくださって、とてもうれしかったです。

仕事もかなりSNSから入ります。「新しくバーをオープンするんですけど…」といったご連絡は週に1、2回いただきます。ハッシュタグ付けしてもらえる氷屋は、うちぐらいではないかと思います。

−−−−かき氷の移動販売はどのようなものですか?

うちの氷をたくさんの人に知ってもらうことが目的で2020年からはじめました。お酒だけだとターゲットが絞られますが、かき氷は小さい子からお年寄りまで幅広い層に知っていただけるのが良い点です。かき氷を始めてから知名度がとても上がりましたし、おかげでリクルートも意外と苦労していません。

2024年は震災があったので、チャリティーに特化して、7月~9月まで能登の保育園や幼稚園などを40か所回り、4000人に無料でかき氷を配りました。氷屋のかき氷は豆腐屋さんが冷奴を提供しているようなものなので、やはり美味しく感じてもらえます。うちにとってはキラーコンテンツだと思っています。

家飲みのクオリティを上げる氷のサブスク

−−−−氷のネット販売について教えてください。

2014年に個人がネットで氷を買う時代が来ると見込んで、楽天市場に出店しました。今はネット通販の専属チームが対応していて、今後拡大していきます。

−−−−ネットで展開している氷のサブスクとは?

個人の家飲みのクオリティを上げたいというのが原点です。はじめは、お客様が家で飲むグラスを3Dでスキャンし、それに合わせた氷を作って毎月届けることを考えていたんですが、ちょっと難しいので、グラスから作ってしまうことにしました。「icecle(アイスクル)」と名付けたサブスクは、目盛り付きのオリジナルグラスが最初に届き、そこにぴったりはまる氷を毎月届けるしくみになっています。

2022年にスタートし、会員数はまだ50人ですが、今後増やしていく予定です。会員専用サイトに投稿機能があるので、ゆくゆくは僕自身がそこでお客様と会話をしながら楽しく飲めるコミュニティにしていきたいと思っています。

コロナ禍と海外進出を経た業績の推移

−−−−会社の業績はどのように変化しましたか?

入社したころは年商8000万円〜1億円程度、その後2014年に製氷工場を作って1億5000万円まで伸ばし、2019年は1億7000万円まで上がっていました。ところが2020年はコロナ禍で1億円に落ち、2021年も1億1000万円。本当に低空飛行でした。2021年、2022年は、10年前の工場の設備投資が大きかったため債務超過になっていました。

そもそも2019年までは、売り上げの5000万円ぐらいはドラッグストアでした。ドラッグストアはずっと、1円を争う価格交渉を繰り返していたのですが、2019年にうちはそこから降りました。ドラッグストアの売り上げがなくなったことでリソースを割く部分が絞られたので、結果的にはいい方向に向いたと思います。

−−−−2019年から始まった海外との取引の影響は?

海外輸出が着々と伸びていったので、2022年には1億5000万円まで戻し、昨年2023年は2億4000万円になりました。コロナ禍も明けて、ネット販売も戦略通りに行きましたので、2024年は3億円を超える見込みで進んでいます。来年も120〜130%に伸ばせると見込んで、今設備投資をして増設工事をしています。数年後には新工場を建設するつもりで進めています。

−−−−業績が上がったポイントはどこだと思いますか?

やはり付加価値の部分だと思います。氷は全国的には価格で選ぶ人が多い中で、地元でうちの氷が少し高くても買ってもらえるのは、安心できるとか、いい取り組みをしていたなとか、そういう動機があると思うので、かき氷など地元での活動にはこれからもいろいろ取り組んでいこうと思っています。

父は「つくる」、僕は「届ける」「つなぐ」

−−−−承継の経緯は?

言うタイミングはいろいろ考えていました。2023年が創立100年で、社員と家族に向けて100周年パーティーを計画していました。その打ち合わせで行ったお寿司屋で、僕から「101年目から僕にやらせてほしい」と切り出しました。父は「お前がそう言うならその時が来たんだろうから、よろしく」と、その場ですぐ話が決まりました。

100周年がいい区切りだったのもありますし、債務超過で悪い時に辞めてもらうのは嫌だったので、業績が上に向いている時がいいと思っていました。それが完璧に整ったのが、2023年でした。

−−−−社長としての今後のビジョンは?

「氷の価値を拡張し続ける」というのがうちの理念としてあり、その先にあるのは世界への発信です。今はアメリカ、オーストラリア、シンガポールの3カ国ですが、今後もっと広めていきたいと考えていました。

そこで2025年、輸出に特化したクラモトアイスグローバルという会社を立ち上げます。氷を届けることで、僕らも人や経験をつないでもらっている部分があるので、逆に僕らは交流を通じて日本文化や石川・金沢の文化を発信して、つないでいける存在になれれば…というのが、遠い目標としてあります。

ちなみに、金沢には江戸時代、冬の雪を氷室に保管して旧暦6月1日に江戸へ献上する風習がありました。そういう一種のエンターテインメント性を大事にする文化が金沢には今も残っていて、その文化をつないでいく意味を込めて氷のブランドに「金澤氷室」と名付けています。

−−−−先代から引き継いだもの、また蔵本さん自身が創っていくものは何ですか?

父は「つくる」がキーワードでした。僕がそれを世界に「届ける」というところでバトンタッチになるのかなと思っています。また世界という舞台で次に何を創造していくか。それが、おそらく遠い未来に僕が見ている「つなぐ」という部分かなと思っています。

僕がそこまでできるかは分かりません。ただ、変わり続けることも必要だとは思うので、新しくしていくべきところはしていくつもりです。

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プロフィール

株式会社クラモト氷業 代表取締役社長 蔵本和彦氏

1985年、石川県金沢市生まれ。金沢星稜大学を2007年に卒業後、配電盤メーカーに勤務し営業を担当。2010年、父が経営する大正12年(1923年)創業のクラモト氷業に入社。営業、加工、配送のほか、ブログやSNSでの情報発信と自社製造氷のブランディングに取り組む。2019年、日本で初めて業務用飲料向け氷の米国輸出を開始。専務取締役を経て2024年に同社代表取締役社長に就任。創業者から数えて5代目となる。

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