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「借金を返すため借金」「街金からも金策」どん底だった実家の豆腐店 データ重視、3年で売り上げを倍増させた元エリート官僚の「地道な戦略」

佐賀県・嬉野温泉のローカル名物「温泉湯豆腐」を全国区の人気商品へと育て上げた「株式会社佐嘉平川屋」(佐賀県武雄市)。3代目の平川大計代表取締役(53)が、運輸省(現国土交通省)官僚から転身した2000年、実家の豆腐店は借金だらけで経営危機に陥っていた。高利での借入れや機械の老朽化など、山積みだった問題を解決し、わずか3年で売上を倍増させた平川氏の取り組みについて聞いた。

取引先の倒産で、「借金を借金で返す」という自転車操業

温泉湯豆腐イメージ(写真提供:株式会社佐嘉平川屋)

──入社時の状況はいかがでしたか。

金融機関は一切融資してくれず、街金や個人の金貸しからお金を借りるような状況でした。母は毎日、金策に追われていました。

運輸省から実家に戻り、当初は1年程度の腰掛けのつもりでした。別の会社を起業するにしても、人を雇用した経験もないので、まずは経験を積もうと思いました。ところが、入社後2、3ヶ月で保証人になることになり、もう後には引けなくなっていました。

──実家に戻られてご両親はホッとされたのでは?

父は入社してほしそうな雰囲気でしたが、母は私の入社に猛反対しました。「帰ってきて苦労させたくない」という思いだったのでしょう。

──なぜそこまで経営が悪化していたのですか。

1990年代前半から、既に儲からない時代が続いていましたが、決定的だったのは1997年にメイン取引先のスーパーが倒産したことでした。売掛金が回収できなくなり、売り場も失いました。

そこから、借金を返すために借金をする、自転車操業が始まりました。父は経営者という立場から、第三者に入ってほしいと考えていたようです。そこで私が帰ってきました。私を入社させたのは、親としてではなく経営者として「正しい判断だった」と今は思います。

データ分析を取り入れたことで見えた一筋の光

武雄温泉本店外観(写真提供:株式会社佐嘉平川屋)

──どのように立て直しを図ったのですか。

2000年に入社し、徹底的な現状把握をはじめました。運輸省時代に企画調査を担当していた経験を活かし、紙ベースしかなかった、過去のデータを全てExcelに入力し、「どの商品がどれくらい売れているのか」「原価はどうなのか」などを1ヶ月かけて分析しました。

──分析の結果はいかがでしたか。

その中で見えてきたのが「温泉湯豆腐」という商品の可能性です。これは嬉野温泉の名物で、温泉水で豆腐を溶かし、トロトロにする独特の食べ方をする商品です。

当時、周りで手がけていたのは弊社だけで、数字を見ると着実に販路が広がっていました。

──通販で「温泉湯豆腐」を売り出したのはなぜですか。

キャッシュがないことが最大の課題でした。スーパーや問屋だと入金まで1~2ヶ月かかりますが、通販なら早ければ2週間ということで、現金商売に近いのが理由の1つでした。

また、卸よりも利益率が圧倒的に高い。これも通販に注力した理由の1つです。1年やってみると、通販の売上が驚くほど伸びて、「これは可能性がある」と確信しました。

人間、希望が見えないと続けられません。その可能性を感じられたことが、大きな転機になりました。

父を胃痛から解放したV字回復

──通販に取り組むうえでの工夫は?

まず、社名が「有限会社平川食品工業」だったのですが、贈答用の商品に「工業」という言葉はそぐわないと思いました。そこで「佐嘉平川屋」という屋号を作りました。

──当時の通販はインターネットではないですよね。

主にDMをお客様に直接送って注文を取る方法でした。それまでは商品チラシを1枚送るだけでしたが、自分たちの思いを込めた文章を添えるようにしました。

当時、Windows 95が出て数年しか経っていない頃でしたが、自分で自社のホームページも作りました。運輸省時代に、ホームページ作成の知識を得ていたのが活きました。

──他にも工夫したことはありますか

梱包など外注の内製化、送料の交渉など、コストカットも行いました。ローカル企業にありがちな「当たり前のことができていない」状態を一つずつ整えていったのです。

──成果はいかがでしたか?

3年ほどで売上が倍近くまで伸び、金融機関の方が「何が起こったんだ」と驚くほどでした。父からは「長年胃痛に苦しんでいたが、それも解消した」と言われました。

同業者でも「潰れる」と思っていた会社が復活したので、驚かれました。利益幅も改善され、全ての償却を適切に行って黒字化を実現できました。

運を味方にするために必要なこととは?

──順調に見えましたが、課題もあったのでは?

最大の問題は製造能力でした。売上が2倍になれば、当然製造量も2倍。工場が保つのかという不安がありました。

機械のメンテナンスもままならず、水漏れが起きた水槽も修理できませんでした。「これ以上穴が大きくなったら、明日から豆腐が作れない」という綱渡りの状態が続きました。

また従業員が定着しないことが多くあったので、人材確保にも課題がありました。

──そんな中で大豆高騰も起きたそうですね。

本当に厳しかったです。国産の大豆価格が突然2倍になり、さらに翌年にも倍。2年で4倍になったのです。1年目は「相場だから」と耐えましたが、2年目も「高騰確実」と言われ、思い切って一部を輸入大豆に切り替えました。

当時は国産大豆だから売れているのか、商品力で売れているのか判断が難しく、かなりリスキーな決断でした。

商品の値上げ交渉には何ヶ月もかかる時代。その余裕がない中での苦渋の選択でした。四六時中、仕事のことばかり考えていたので、怖い顔だったと思います。

──それでも乗り越えられた理由は?

ちょうどその頃、「温泉湯豆腐」が、ある雑誌の「日本一美味しいお取り寄せ」企画に選ばれたのです。それをきっかけに通販の取引先が増え、最も利益率の高い通販が伸びました。

「やるべきことをやっていれば、運も味方してくれる、そう実感した出来事でした。よく「運が良かった」と言われますが、それまでの地道な取り組みがあったからこそ、チャンスを活かせたのだと思います。

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平川大計氏プロフィール

株式会社佐嘉平川屋 代表取締役社長 平川 大計 氏

1971年佐賀県生まれ。九州大学大学院修了。1994年運輸省(現国土交通省)入省。新潟国道工事事務所、運輸省港湾局、航空局を経て、2000年に現在勤める有限会社平川食品工業(現・株式会社佐嘉平川屋)に入社。2006年に代表取締役社長に就任。嬉野温泉の名物「温泉湯豆腐」を主力商品に、通販事業の強化や店舗展開を進め、3年で売上を倍増。2023年に社名を株式会社佐嘉平川屋に変更し、伝統を守りながら豆腐文化の世界発信に挑戦している。

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