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古民家を支えてきた「古木」に再び命を ソフトバンク営業マンから転進、「1+1=2」ではない木造建築の世界へ

古い民家の解体で出てくる貴重な木材に、再び命を吹き込む会社が長野市にある。山上木工所として1930年に創業した「株式会社山翠舎」だ。ソフトバンクから転進した3代目社長・山上浩明氏(47)は、古材を活かした店舗の設計・施工を請け負う新規事業を開拓した。これまでに計500店以上の店舗を手がけ、古民家再生にも力を発揮している。巨大企業から「木工」という家業を継ぎ、成長させた経緯について聞いた。

◆ソフトバンクで「社長賞」を獲る営業マンから家業へ

——家業の「山翠舎」入社までのキャリアをお聞かせください。

初代の祖父は建具屋でした。2代目の父は工務店を始め、ゼネコンの下請けという立場でした。そして3代目の私が、元請けとして設計・施工を始めました。

幼少期、私の特技は、父の仕事仲間の職人さんたちへのお酌でした。宴席でお酌をして回り、なみなみ注ぐと、みんなから「ひろちゃん、ひろちゃん」と喜ばれ、かわいがってもらいました。

高校時代には、「やはり建築の道に進むべきなのだろうか」と考え、プレッシャーを感じていました。でも、設計は自分には向かないなと直感的に思っていたので、「建築の仕事」は建築学科で学ぶ内容だけではないと考え、東京理科大学にて経営工学を専攻し、環境問題の研究をしました。

当時、Windows 95が出た頃で、インターネット黎明期でした。「これからはパソコンだからITに行こう」と考えました。

——家業を継ぐことについては何も言われていなかったのですか?

まったく言われたことがないです。今思うと不思議です。でも、父に感謝しているのは、大学時代に父の仕事関係の人との飲み会などに誘ってくれて、建築の最先端の話を聞く機会を与えてくれたことです。

例えば、私が大学時代に女性向けショッピングモール「ヴィーナスフォート」(東京都江東区)がオープンしましたが、山翠舎もいくつかの店舗の施工に関わっていたため、レセプションに呼んでもらうなど、学生にはなかなかできない経験をさせてもらいました。

大学時代には、IT起業もしましたが、途中から勉強に専念し、卒業後の2000年にソフトバンクに入社しました。

——ソフトバンクではどのようなお仕事をされましたか?

ちょうどITバブルが弾けた頃に入社し、米シスコシステムズのネットワーク機器を売る専属営業になりました。大学のときにLinux(コンピュータを動かすソフトウェアの1つ)にのめり込んでいたこともあり、ITは強いんです。すぐに製品知識を習得して営業に活かし、社長賞を取りました。

その後、別の事業にも携わったのですが、ソフトバンクはマス(※大衆)向けの企業です。私は、社長賞でもそうだったのですが、取引相手を喜ばせることに生きがいを感じていましたので、山翠舎への入社を考え始めました。かつてお酌をしてかわいがってもらった父の仕事仲間に「何か返したい」と考えたのです。

◆「お前には向いていない」と断られるも、「三顧の礼」で

——スムーズに家業に進むことができましたか?

最初、2代目社長である父からは「お前には向いていない」と断られました。建築、特に解体や不動産は、感情が動く世界で、単純に1+1=2にならないことがある。私はIT業界でスマートにやっていたから、打たれ弱いと思われていました。

だから、三顧の礼のように3回アタックしました。その際、学生時代に一緒に飲みに行っていた父の仕事仲間に相談すると、「事業を継承するべきだ」とアドバイスを受けました。事業を継承すべきだという人もいれば、そうでない人もいました。取引先の方々と学生時代から話ができていたのがとても貴重でした。

「ゼロから始める人と、君とはスタート地点が違う」「ソフトバンクでの経験があるから、違った発想ができるだろう」と。ソフトバンクの営業で結果を出したということも認められ、結局、父も納得し、2004年に山翠舎に入社しました。

——山翠舎の入社後、どのような仕事をしましたか?

最初は現場監督を任されました。理不尽な叱責を受けることも多く、なかなか辛かったです。しばらく後、出張で東京を訪れた際、親友から経営者を紹介され、店舗の設計デザインの機会をいただき、施工の会社から設計施工の会社になるきっかけを得ることになりました。

従来の山翠舎は下請けの施工会社でしたが、初めて元請けとして設計・施工の機会を得るました。1つは、コンペの中ですぐ受注につながりました。もう1つは半年後くらいに受注になりました。ご縁とはおもしろいものだと思います。

もちろん、人脈に頼る営業には限界があります。切れ目なく受注を受けるため内装会社のマッチングサービスサイトに登録しました。2009年には、18社のコンペに勝って初めての受注を獲得。東京にオフィスを借り、ショールーム的な要素のある打ち合わせスペース

事務所を作り、必死の思いで一件一件の受注をこなしました。

長野は、東京と比べるとマーケットが格段に小さい。東京は、店舗設計の仕事のチャンスが多くあるので、東京にシフトするようになりました。当初は住宅設計をすこし請け負っていたくらいで、設計だけはやっていませんでしたが、東京では今まで人脈で受注はしていたものの、何もない中で設計から受注するのは至難の業です。絞らないといけないと考え、飲食店の設計・施工に絞りました。

◆古民家から出る古木を、再び資材に

——古材の事業を始めたきっかけは?

建築業界に入り、古い民家がどんどん壊され、古木が廃棄されているのを目の当たりにして、もったいないと思っていました。「使い道がない家なら壊して駐車場にしてしまえ」と古民家が壊されていくのを見て、また、「立て替えたほうが安い」と壊してしまうことを促す業界には疑問を持っていました。どうにかしたいと考えたんです。

もともと環境問題に関心があり、廃棄される古材を活用するため、2006年に古木の買い取り販売という新規事業を始めました。業界では、古民家から出る良質な木材を「古材」と言っていましたが、山翠舎では思い入れのある木材のことを「古木(こぼく)」と名付けて、愛着をもたせるようにしました。

山翠舎の定義する古木は、戦前に建てられた築80年以上の古民家の解体から発生した柱、梁、桁、板の木材のことです。

加えて、社内の古木スペシャリストが、虫食いや水漏れのない状態を確認し、保管状態が良いもの。さらに、古民家の建てられた年代や場所、木材など入手ルーツが明確でトレーサビリティが確保されているものを定義しています。こうした「古木」を使った設計・施行という独自性により、コンペで勝ち抜ける可能性も高まりました。

そして、サステナブルを訴求できる古木は、デベロッパーに支持されるようになってきました。スクラップアンドビルドの時代ではなくなっているので。最近では、パタゴニア軽井沢店の施工や、業務提携の丹青社も大阪のお店で受注しています。

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【プロフィール】株式会社 山翠舎 山上浩明 氏
1977年長野県長野市生まれ。東京理科大学卒業後、2000年にソフトバンクに営業として入社。ネットワーク機器の販売で社長賞を受賞。2006年に(株)山翠舎に入社し、従来の「工務店」としての枠を飛び越え、空き家古民家の社会問題解消を目指し、「古民家を活用した事業」に特化したビジネスモデルへシフト。2012年に代表取締役社長に就任。2018年「スタートアップアントレプレナー表彰プログラム”EOY JapanStartup Award 2018″(主催:EY Japan)」の甲信越代表に選出。2019年「FSC認証」において、古木で世界初の認証を取得。2020年「古民家・古木サーキュラー・エコノミー」でグッドデザイン賞(審査委員 井上裕太氏の選んだ一品)・ウッドデザイン賞(奨励賞【審査委員長賞】)受賞。2021年 長野県の「信州SDGsアワード2021」 受賞。2021年 事業構想大学院大学にて事業構想修士を取得。2023-2024年 欧州最大級のインテリア・デザイン見本市「メゾン・エ・オブジェ」2年連続出展。

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