1年間にスーパー100店舗出店!父の事業、かなり面白いのでは 大手製薬会社社員から、「業務スーパー」を継いだ2代目の決断

2000年にフランチャイズ1号店を兵庫県三木市に開店して以来、ユニークな商品展開と圧倒的な価格の安さで快進撃を続ける「業務スーパー」。株式会社神戸物産2代目の代表取締役社長 沼田博和氏は、父の創業した会社を継ぐため、大手製薬会社から食品業界へと全くの異業種に飛び込んだ。沼田氏に、まったく異なる事業を承継した理由や、食品ビジネスのノウハウを身につけた経緯を聞いた。
目次
継ぐことは意識せずに育つ

−−−−沼田代表に対して、将来の後継者としての教育はありましたか?
80年代前半、私が幼稚園くらいまでは、父は後を継がせようと思って厳しくしていたそうです。手を上げたりはしませんでしたが、例えば畳の部屋で目の前に正座させて何かをしつけるなど、結構厳しかったと聞いています。
ただ、母はそのやり方を嫌って、そういう風に育てるのはやめてくれと言っていたようです。
その後、スーパーの事業自体、将来性があまり見込めない、勝ち筋がないということになり、私は継ぐことを考えなくて良いという環境で育っています。なので、私は「継ごう」という意識は全くないまま20代まで過ごしてきました。
−−−−当時のお父様の働く様子で、覚えていることはありますか?
私がまだ言葉を喋り出して間もない頃、父はスーパーを始めたばかりなので、仕入れから仕込みまで全部自分でしなければならず、早朝から深夜までずっと働き詰めの生活をしていたそうです。
私が起きている時間に家にいることが少なく、私も小さかったので、自分の父親の顔が分からなくなったようです。たまたま父が早く帰った時、玄関のドアを開けたら、私が出て行き、お客さんだと思ったのか「いらっしゃい」と言ったらしいです。それがとてもショックだったようで、そこから働き方をちょっと変えなければと、いろいろ工夫して変えていったと聞いています。
製薬会社で薬品と健康食品の研究職に

−−−−薬科大学に進学したのはどういった理由ですか?
資格を取ることは安定的な職を得る意味では大事だと考え、薬学部に入っていた姉の影響を強く受けて私も薬学部に進学しました。はじめは薬剤師として薬局や病院で働くつもりで、当時は薬学部4年制学科を卒業した時点で薬剤師の資格が取れたので、資格を取りました。
ですが、研究が楽しくなってしまって、大学院に進学しました。大学院を終える時は薬剤師ではなくどこかの企業に勤めたいと考えていて、大手製薬会社に勤めることになりました。
−−−−製薬会社ではどんな仕事をしましたか。
勤めていた製薬会社は一般用医薬品のトップメーカーで、初めは固形剤開発という錠剤や散剤を開発する部署へ所属になり、錠剤や散剤の試作や分析をしたりしていました。
翌年は健康食品も併せて担当することになりました。その後は本社と研究所の共同プロジェクトや難度の高い試験にも関わらせてもらうなど、幸いにもいろいろな経験をさせていただきました。
仕事はとても楽しく、自分に向いていると思いました。職場の雰囲気も非常に良く、上司や先輩社員との関係も良好だったので、多分、神戸物産という存在がなければ、ずっと勤めていただろうと思います。
家業を客観的に見て感じた面白さ
−−−−充実していた製薬会社での仕事を辞めて、家業に入ったきっかけはなんですか?
当時は職場のある埼玉に住んでいました。結婚することになったのですが、妻は京都府出身、私は兵庫県出身なので、最終的にはやっぱり関西に住むのがいいだろうという決断になりました。
同時に、2000年に1号店を出した業務スーパーは、ユーザーとして非常に面白いと思っていました。特に2004年、2005年頃は3日に1店舗ぐらいのペースで出店をして勢いがあった時期なので、家であまり仕事の話をしない父が、珍しく興奮して「今年1年で100店舗以上出店できそうだ」と話をしていた記憶が鮮明にありました。
その後も出店がどんなペースで進んでいるかと、ホームページを見たりして、面白いなと改めて感じていました。それで2009年の元旦に実家に帰った時に、両親に話をしたのが入社のきっかけです。
−−−−どんな点に面白さを感じましたか?
仕事目線で見ても、普通のスーパーとは明らかに違っていました。商品自体がユニークで、かつ明らかに安価であり、それが実現できる仕組みへの興味が1つ。
もう1つは、やはりうちの父を見ていて、仕事をするのが楽しいのだろうなというのが客観的にも分かりましたので、そういう職場、そういう仕事に魅力を感じたのです。
神戸物産に入社し食品ビジネスの経験を積む
−−−−家業に入ることについて、お父様はどのような反応でしたか?
「結婚して関西に帰ってきたい、帰ってくるにあたり神戸物産に入社したい」と父に話しましたが、あまりそこで議論もなく、「ああ、ええよ」というだけの返事でした。
実は姉が1年ほど先に入社をしていたので、細かいことは姉に聞いてほしいとのことでした。後を継ぎたいとは言いませんでしたが、私としてはその覚悟を持って4月の入社を迎えました。
−−−−まったくの異業種に入ることに戸惑いはなかったのでしょうか。
戸惑いはもちろんありましたが、基本的にはゼロから新しく学ぼうという気持ちで入りました。実際は社長になるまで非常に早かったのですが、入社当時は10年か20年はかかるだろうと思って、きっちりと食品業界のことを学んでいこうと考えていました。
−−−−入社後はどんな仕事をしましたか?
1年目は、業務スーパーのビジネスの概要が分かるようにと、いくつかの部署を2、3か月ごとに転々とし、約1年後にSTB生産部門という部署に配属になりました。グループの工場の商品開発や、工場全体のデザインと設計をするような機能を持った部署です。
創業者に一番近いところで仕事ができる部署の一つでしたので、配属は大きな転機だったと思います。その頃から、自分の視野が広がっていった感覚はあります。
STB生産部門は、商品の企画開発から販売まで一気通貫で全部やらなければなりません。販売してからも、その商品の販売量をいかに増やすか、工場の効率をどうやって上げて利益を捻出するかなどを考えるので、本当にあれもこれもしなければならない部署でした。
ただ、その分、製造小売というビジネスモデルの一番大事なポイントを理解するためには、一番いい部署でした。
−−−−そこに配属されたのは、お父様が承継のことを意識していたということでしょうか。
そうだと思います。あまり、こういう理由があるからここに行けなどと話すタイプではなかったのですが、本人の頭の中では、こういう風に成長していってほしい、というのはあったと思います。
STB生産部門に配属後、そのまま取締役になって、社長になるまでずっとその部署にいるのですが、今振り返っても経験を積むには最適な部署だったと思っています。
沼田博和氏プロフィール
株式会社神戸物産 代表取締役社長 沼田 博和 氏
1980年、兵庫県生まれ。京都薬科大学大学院薬学研究科修士課程修了。2005年に大手製薬会社に入社。2009年に現在勤める株式会社神戸物産に入社。取締役を経て2012年に代表取締役社長に就任。
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