COLUMNコラム
「私もお世話になったから…」元バックパッカー社長、「地球の歩き方」をV字回復/大切にした「旅人目線」への敬意~新井邦弘社長インタビュー【後編】
新型コロナウイルス禍で消滅の危機に陥った海外旅行ガイドブック『地球の歩き方』を、出版元のダイヤモンド・ビッグ社から受け継いだ学研グループ。人材や制作体制を丸ごと受け入れ、新会社「地球の歩き方」として再出発した。かつてバックパッカーだった新会社の新井邦弘社長が心がけたのは、「地球の歩き方」のスタッフたちが長年大切にしてきた「旅人目線」の編集文化とブランドだった。そして、地球の歩き方の売上げはV字回復を果たした。
目次
摩擦を生まない学研スタイル
――学研グループが持つ既存の編集事業体に組み込むのではなく、独立事業として再スタートさせるやり方にも驚きました。
新井 たしかに実用書籍部門の一角に、ビッグ社の従業員を引き受けたとしても十分機能したとは思います。しかし、私の想像ですが、学研グループのスタイルを踏襲したということでしょう。
学研グループは主に教育事業で、数多くの塾のM&Aをしてきました。全国の塾に、私たちのグループに入っていただく時、いきなりブランド名を学研に切り替えるとか、学研の事業体に吸収するといった形は取りません。これには明確な理由があります。
私たちがお声がけする塾の多くが、地方のナンバーワンブランドです。東京の人は知らなくても、例えば熊本では知らない人はいない、といった塾です。地元では、学研のブランドより元々の看板のほうが強い。このため、ほぼすべて買収前のブランド名を引き継いできました。また、経営者層もほぼ100%引き継いできました。間違っても、植民地みたいなことはしません。
『地球の歩き方』でも、同じ考え方だったのだろうと私は思っています。学研グループとしての知見であり経営判断だと思います。
もう、下を向かないで行こう
――既存の『地球の歩き方』の体制やルールを変更しなかったのでしょうか。
新井 上場企業グループですので、ガバナンス面での縛りはあります。たとえば四半期決算だったり、書類手続きだったり、何事でもプライム企業としてのルールに従うことについては必ずやってもらうしかない。そこは苦労をかけましたが、それ以外は従来通りのやり方を引き継いでいます。
むしろ40年間、海外ガイドブックのトップブランドを作り上げてきた組織に学研が学ばせてもらい、どのようなシナジー(※相乗効果)が生まれるかという期待のほうが上回っていました。
――株式会社地球の歩き方としてのスタート初日に、どのようなメッセージを社員に伝えたのでしょうか。
新井 まず、私自身が学生時代から『地球の歩き方』にお世話になってきた人間だと伝えました。そして、もう下を向かないで3年後、5年後に向けて、力を合わせてやっていきましょうと、わりと楽観的に語りかけました。
――売り上げが9割減となった事業を引き受けることに、不安はなかったのでしょうか。
新井 経営不振と言っても、新型コロナという外部環境の変化だけで起きたことで、ブランドとかコンテンツの価値は、何も毀損されていません。コロナ前の数年は右肩上がりで推移していました。ですから「外部環境の回復」=「業績の回復」、とシンプルに考えていました。
ただ再びコロナや他の外部要因で、同じ目に遭ってしまったら、経営としてダメだとは思っていて、事業としてのレジリエンス(※弾性)を高めるために、海外ガイドブックの「一本足打法」はやめて、複数の柱を立てることを始めました。
10年後の姿を全員で描く、落下傘社長の手腕
――ご自身が育ててきた人材でもなく、それまで関わりのなかった組織体を、どうコントロールして経営しようと考えていたのでしょうか。
新井 確かに私だけ、落下傘で降りてきたのですから、不安に思う人もいたかもしれません。そこで私が呼びかけたのは、10年後の姿を34人の社員全員で描くということ。そこから逆算し、今するべきことを考えようと訴えました。
いわゆるバックキャストという手法ですが、10年後の未来を共有することは、ビッグ社から移ってきてくれた人たちに大きな意味を持つと思っていました。10年後も事業として存続させていきたい。だからこそみなさんに来てもらった、という学研グループのスタンスを明確に伝えたかったのです。
10年後となれば「本屋さんは少なくなるよね」「だったら電子書籍をどうする」といった、具体的な事業課題も共有できます。スタートして3か月くらいは、10年後を考える機会を頻繁に作りました。
――スタート直後から「aruco」「旅の図鑑」「国内版」などのシリーズをハイペースで発行し、ヒットを連発。一方で「一本足打法」から脱却すべく食品事業などの展開を進め、業績もV字回復しました。
新井 おかげさまで、当社は9月決算ですが、今期は増収増益の見込みです。2022年7月には、「地球の歩き方」シリーズ全体でコロナ前の売り上げを回復しました。
地球の歩き方には、まだまだ潜在価値がある
――学研スタイルの事業承継のスタイルと、ブランドに敬意を持って移ってきた社員に安心して働ける環境を整えたことの成果ですね。
新井 実は学研のやり方は欧米ではよく見られます。私は海外戦略を担当していたので、欧米の出版界の動きも見てきましたが、アシェット、ペンギンといった巨大グループの傘下で、数多くの有名ブランドが守られています。あの有名な出版社もこのグループなのか、と驚くこともよくあります。
ブランドが企業グループ傘下で守られていくのは世界的な潮流であり、日本も今後は同様のスタイルになっていくのかもしれません。
ただ、『地球の歩き方』にはもっと幅広い価値があると私は考えています。たとえば人を旅に誘ったり、あるいはリアルに集ったり、異業種とのコラボで化学反応を生み出すといった、出版物やメディアの枠を越えた可能性を感じています。世界でも例のない出版ブランド発の事業展開を目指していきたいと考えています。
まとめ
『地球の歩き方』の事業譲渡の舞台裏には、受け入れ企業側のブランドへのリスペクト、「守っていかなければ」という使命感が感じられました。事業譲渡という難しい課題も、お互いを尊重する姿勢が根底にあってこそ、次への道が開かれていくのでしょう。
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