COLUMNコラム
「おじいちゃん、おばあちゃんのお菓子」じゃない!脳梗塞を乗り越え、8代目社長が挑む「煎餅のシズル感」 銀座で220年、老舗が手がける煎餅の再構築とは

東京・銀座に来年で創業220年を迎える煎餅屋がある。関東大震災や東京大空襲を乗り越えた老舗を2018年に継いだのは、8代目の松﨑宗平代表取締役社長だ。就任直後に脳梗塞に倒れながらも、コロナ禍真っ最中に本店を移転したり、イートインスペースを設けたりするなど、大胆な仕掛けを続ける。「おじいちゃん、おばあちゃんのお菓子」を脱却し、「煎餅を再定義し、再構築する」と唱える松﨑社長の「商いのDNA」にインタビューで迫った。
目次
創業220周年を間近に見据えて

――2024年に、創業220周年を迎えられます。やはり歴史の重みを感じられますか。
松﨑 日本は老舗が多いですからね。アニバーサリーイヤーではありますが、珍しいとは感じていません。加えて言うと、老舗を武器にはしたくないんです。日本人は価値観を「他人の評価」に左右されがちな人が多いと思っているんです。「これだけ皆に長く愛されているなら、きっと美味しいんだろう」と、老舗であることがひとつのスパイスになってしまう。本質的に選ばれているわけではないと言いますか、その後ろ盾に甘えているのは健全ではないよなと思っています。
――煎餅を「再定義」し、次に「再構築」するというのも、ただ老舗の看板に甘えていてはいけないという想いから生まれたのでしょうか?
松﨑 まずあったのは「煎餅は売るのが難しい。どうしたら買ってもらえるのだろうか」という疑問でした。2007年に家業へ入った当時、圧倒的な主力は米菓で、代名詞である絵付きの瓦煎餅「大江戸松﨑 三味胴」をはじめ小麦の煎餅の売上は、全体の3~4%ほど。商売としては切ってもいいのだけれど、なんとか活かせないかと。そこでサンリオをはじめキャラクターとの積極的なコラボや、BtoBやBtoCのマーケットでの展開を試みたんです。やはりギフト需要は非常に強かったですね。
そこでようやく売れるポイントが掴めたので、煎餅という「おじいちゃん、おばあちゃんが食べるお菓子」を、美しくて手渡したくなる「お土産になるお菓子」へと再定義しようと思いました。実際のところ、こたつの上に煎餅が盛られた器があって……というのは、現代ではすでに失われた風景なんですよね。イメージだけあっても仕方がありませんから、いっそ「お酒を飲みながら煎餅をつまむ」というカルチャーをつくってしまおう、「スナックは煎餅で」という世界にしてしまおうと思い立ちました。2021年、銀座から東銀座に本店を移し「MATSUZAKI SHOTEN」と名も店構えもあらためたのも、その想いを体現するためです。
再構築が生んだ「シズル感」あふれる煎餅

――ここから、次のフェーズである「再構築」へと移行されていくわけですね。
松﨑 新型コロナウイルスの影響が大きいですね。売上がかなり厳しくなって、会社ももう数年で倒れるという状況でした。再定義だけではなく、プロダクトそのものを構築し直さないと、もっと面白いことはできない。この苦境を突き抜けられないと考えたんです。
再構築にあたって、もっとも意識したのは“シズル感”(※食欲や購買欲を刺激するみずみずしさの意)。煎餅って、メディアで紹介されても反応が鈍いんですよ。みずみずしさやツヤ感がないので食欲をそそられないんですよね。
そうしたマーケティングの視点から生まれたのが、「MATSUZAKI SHOTEN」のカフェコーナーで提供している「松崎ろうる」です。柔らかく焼き上げた瓦煎餅に小豆餡やカラフルな白玉を挟んだもので、絵として映える。夏場はかき氷も展開しています。
――煎餅屋という枠組みや伝統を大きく揺さぶる試みですね。家業に入られる前は、ITベンチャーでアートディレクターを務められていましたが、その経験も生きているのでしょうか?
松﨑 店舗やパッケージのデザイン監修という、スキルとして役立っています。私はITベンチャーにしろ煎餅屋にしろ、仕事のやり方は全て同じだと思っているんです。販売、営業、社長の私に至るまで、スタッフがやるべきことはごくシンプル。物事をきちんと分析して課題を見つめ、強みを伸ばす……その継続です。見た目や店構えから革新的とよく言われますが、中身は超保守的なんです(笑)。
脳梗塞、コロナ…波乱のなかでの「本店移転」
――ITベンチャーから煎餅屋への転身はギャップもあったのではないですか。
松﨑 パソコンすらありませんでしたし、メールアドレスは父と営業、工場の3つだけ。会社のロゴがほしいと言えば、紙の原本をぺらっと渡されて(笑)。すべてが衝撃的だったので、IT関係の整理から始めました。ホームページも当初は私一人でつくって運営していました。社員との交流の面でも、始めは私もITベンチャーでの言い回しが抜けず、横文字だらけの言葉でダーッと話していて……あれは嫌がられただろうなあ。「松崎商店での共通言語」を徐々に会得していきました。
――社長に就任されたのは2018年ですね。
松﨑 ええ、でも翌年に脳梗塞で倒れて2ヵ月ほど入院したんです。言葉もうまく喋れないし半身も軽く麻痺してしまって、社長業らしいことといえばハンコを押すくらいでした。退院後、いよいよ仕事を頑張らねばというタイミングでコロナが始まり……思えばずっとドタバタしていましたね。
――まさに波乱万丈ですが、コロナ禍で本店を移転するという判断は社内でどう受け止められたのでしょうか?
松﨑 スタッフも「店舗を閉じるのはわかる。でも移転してさらに面積を広げるなんてどういうことなのか」と驚いたでしょうね。ただ、反対の声はなかったですね。要所要所の社員には事前にしっかり話していましたから。いきなり判断をくだしたわけではありません。
やはりファミリービジネスにおいては、こと、コミュニケーションが重要だと思います。社長にはなれても、周囲が納得するかといったらそうではない。下積みも何もなしに、まったく違う畑からやってきた人間がいきなり役員になったらなおさらです。だからこそ、積極的に話すなり喧嘩するなり、社員に自分を知ってもらうことが今後を左右する。
あとは表面的に取り繕わないことですね。つじつまが合わないことを口にすると、一気に信頼を失ってしまう。知識がないならそれを説明して「わかりません」でいいわけです。私も工場のことは一切知ったかぶりしません。自分に正直に、考えをしっかりと積み立てた上で言葉を使う。自分が納得したことしか言わない、やらないというのは血かもしれませんね。父もすごく頑固でしたから。
銀座の「サードプレイス」に

――本店は東銀座に移転後、客数も売上も回復したとのこと。コロナ前よりも業績を伸ばせた「成功のポイント」はどこにあるとお考えですか。
松﨑 コロナ禍になった時、銀座本店の売上はもうボロボロだったんですよ。百貨店も同じで、売上を唯一キープできたのが“地域密着、原点回帰”を掲げた「松陰神社前店」。私が副社長時代、2016年にオープンした店舗です。縁もゆかりもない場所でしたから、街の人に気に入ってもらえなかったら終わり。居心地がいいと感じてもらうために、玄関を1mセットバックしてママさんの自転車を停められるようにしたり、トイレを広くして赤ちゃん用のベッドを置いたり、段差があるところには急ながらスロープを併設したりと工夫をこらしました。
一方の銀座本店は狭く、地域の憩いの場として機能していなかったんです。そこで移転時には「銀座のサードプレイスになる」というコンセプトを掲げました。銀座で飲むと軽く5,000円は飛びますからね。でもうちなら、お酒と煎餅だけでリーズナブルに遊べる。ターンテーブルを置いて、街の人たちに「今夜、ちょっと面白いことをやるからおいでよ」といえる店にしました。
2023年10月6日には「酒と煎餅と#漬物と」というオープンなイベントを計画しました(※インタビュー後に開催済み)。今後もどんどん交流の場として開いていきたいですね。
――東銀座という街そのものを盛り立てていくと。
松﨑 もともと銀座エリアは、商店の人らが手を取り合って、進むべき道を話し合いながら街を守り育ててきました。巨大な資本が入っている日本橋や丸の内とはまた違う、どちらかと言えば下北沢とかに近い土壌なんだと思っています。とくに東銀座は、非常に完成されていて隙がない銀座に比べて、ある意味伸びしろがある。20代、30代の若者にも頑張ってお店を出してもらって、新たな文化を醸成していけたら嬉しいですね。銀座とは異なるブランディングできる、エネルギーと可能性を秘めた街だと思います。
「遊ぶDNA」で全てを変えていく
――創業から220年、さらにその先へと事業を繋ぎ、広げて行かれるわけですが、この歴史のなかで「変わらないもの」はございますか?
松﨑 “遊ぶDNA”でしょうか。明治時代の銀座を紹介した本を読んだのですが、「松﨑煎餅という店あるが、夜な夜な、街の爺婆たちを集めて集会を開いている」というような描写がありました(笑)。今とやっていることがすごく似ているんですよ。みんなを巻き込んでいくのが好きな血筋なんでしょうね。
それとフットワークを軽く、こだわらないこと。5代目である祖父は株式会社にするにあたり、商号を「松﨑煎餅」から「松崎商店」にあらためたのですが、それも「煎餅にこだわる必要はない」という想いからなんです。
祖父は長唄や切り絵を嗜むなど芸達者な人で、中央に急須が入った缶入り煎餅をつくるなど遊び心を持っていました。その頃のデザインをオマージュした缶を現在、私自身でデザインしていまして、今年(2023年)の11月には店頭に並ぶ予定です。
祖母や父にしても「始まったものはいつかは終わる。松崎商店が終わることなんて気にしなくていい」と何度も繰り返していました。私はプレッシャーを感じずにアイディアを形にできているのは、先代らから受け取った“こだわらない力”のおかげだと思います。
――では「変わっていくべきもの」は何だとお考えですか。
松﨑 変わらないものは、遊び心とこだわりのなさ。裏を返せば「全てのものを変えていく」。残すべきものってないと思うんです。「残したい」から現在まで続いているだけ。なので、私はポジティブな意味で「どうでもいい」スタンスを貫きたいですね。
コアをどんどん磨いていくのも商売としてひとつの考えですし、古くから続いている会社ほどそのタイプが多いように感じます。でも私は、お客様を集めるフラスコの淵は大きければ大きい方がいいと思っていて。例えば瓦煎餅のコラボによって、うちのことは知らなくてもそのコンテンツを愛している人が買ってくださいますよね。松陰神社前店でコロナ前はランチを提供していたのも、煎餅に触れてもらうための道筋を増やしたかったからです。そうして間口を広げて、入ってきてくれた人の一部の方をファンにできれば、会社は存続していけます。
縁はどこかで必ず繋がる

――次の9代目への承継について展望はございますか?
松﨑 人口が減っているので、菓子業界は絶対に尻すぼみになっていく。胃の数が減っているわけですから競争が激化しますよね。果たして松崎商店として続いていくのがベストな選択なのか、いろいろな方と会って情報収集に務めています。決断するのはまだまだ先ですかね(笑)。
――最後に、事業承継に臨まれる方へのメッセージをいただけますか。
松﨑 若いときって一箇所ばかりを見てしまいがちなんですよね、どうしても。「うちの商品はかっこよくないから新しくしよう」と、丸ごとひっくり返す決断をしてしまったり。それで先代とぶつかって家業を出てしまった人もいます。でも例えばパッケージを変えるだけでも伝え方は変わりますし、それすらしなくたって革命は起こせる。方法論はいくつもあるんですよ。
大切にすべきものはきちんと守りつつ、表面的な言葉で片づけないで一個一個をちゃんと見つめること。答えは絶対に一つじゃないし、方程式もない。誰かに何かを乞うのではなく自分で考え続ければ、自ずと進むべき道が浮かび上がってくると思います。多分「あなた」が一番答えに近いところにいるはずなので。
それと、次の3つをぜひ大切にしてほしいですね。まずは『時間』。そして『健康』。最後に『縁』です。不思議なもので、人との縁はどんなところで出会っても繋がるんですよ。
私はバンド活動をしているのですが、フェスに出た時、前夜の席でデベロッパーの社員の方と知り合ったんです。ちょうど店舗の建て替えを考えていた時期だったので軽く相談してみたんです。結果、担当部署の方を紹介していただき、とても良い案を提案してくださいました。
今年の夏も、私のロングインタビューがヤフーニュースに載ったのを見て知人のラジオディレクターが10年ぶりに連絡をくれました。その流れで私、今月3本ラジオに出たんですよ(笑)。ずっと繋がっていなくても、ふとした時に人と人とは交差するし、人生が豊かになっていく。肩ひじ張らずに楽しみながら、ゆるりと縁を結んでいってほしいですね。
まとめ
創業200年を越える老舗の看板を背負いながらも、その重さをも感じさせず、遊び心をもって軽やかに変えていく姿勢は、見習いたいところ。現状に縛られて一歩を踏み出せずにいる人にこそ、ぜひ参考にして頂きたいです。
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