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「来年は会社がないかもしれない」背水の父に頼まれ、IT企業の息子は福井に戻った 大ヒット老眼鏡でV字回復した「眼鏡の聖地」の企業

 眼鏡の聖地「福井県鯖江市」ならではの大ヒット商品がある。一見すると普通の眼鏡だが、たたむと厚さわずか2ミリという老眼鏡。2012年の発売以来、累計10万本を売り上げるベストセラー「ペーパーグラス」を開発したのは、西村プレシジョン社長・西村昭宏氏だ。会社のルーツは、昭宏氏の父が経営していた眼鏡の部品工場。しかし、海外の安価な製品に押され、一時は廃業寸前に追い込まれていた。危機を救うため家業に戻った昭宏氏を待っていたのは、激しい親子の対立だった−−−−

薄さ2ミリを実現した「魔法の老眼鏡」

──大ヒット商品のペーパーグラスは、たたんでも厚さ2ミリということですが、どうやって作っているのですか。

通常の眼鏡は、レンズとフレームと、テンプルと言われるツルが繋がっている部分が水平についています。一方、ペーパーグラスは下に傾いています。この構造にすることで、たたむと平らなのに開くと立体になります。特許も取得しており、機能性とかけ心地の両方を実現しています。

──なぜ薄い眼鏡を開発したのですか。

老眼鏡は、常に携帯しているものです。必要不可欠な機能的要素は、「読む、見る、書く」の必要なときにさっと取り出せて、終わったら片付けられるという点です。

──ペーパーグラスは1万6500円という価格で、発売以来10万本を売り上げていますが、どのように評価していますか。

老眼鏡にブランドがなかったことだと思います。例えば、サングラスと言えばレイバンがあります。でも、老眼鏡には確固たるブランドがなかったのです。

一方で、老眼鏡ユーザーは既存商品に決して満足している状況ではなかった。ならばユーザー満足度が高い商品を投入できれば、きっと評価してもらえるだろう、という発想が始まりです。

アトツギが会社を成長させる「第2創業」

──成功する事業承継について、「第2創業」という言葉で表現することがあります。先代が創業し、その会社の「強み」や「技術」に、後継者の新しい感覚や視点が掛け合わされ、大ブレークを起こすというものです。西村プレシジョンも「第2創業」にあたるのではないですか。

まさしく「第2創業」だと思います。家業を継ぐときに、既存の有形無形の資産を生かして新しい事業を興してきました。ただ、このペーパーグラスは、実は「第3創業」になるわけです。

「福井に帰ってくれ」父の願い、いよいよ来たか…

ペーパーグラスの販売元・西村プレシジョンの母体は、同じく鯖江市にある西村金属だ。創業1968年。昭宏氏の父で会長の忠憲氏が、卓越したチタン加工の技術を生かし、眼鏡の部品製造企業として発展させてきた。しかし2000年代、鯖江の眼鏡産業は中国の安価な部品流入に押されて衰退。西村金属も厳しい状況に追い込まれた。

その頃、昭宏氏はいずれ家業を継ぐつもりでいたものの、東京のIT企業に身を置いていた。

──西村金属は、2000〜2003年ぐらいまでが売り上げの底で、2~3億円ぐらいでした。西村さんはいつ会社に戻られたんですか?

2003年です。2年ぐらいで売り上げが半減していくような時期でした。当時は、IT企業に在籍していましたが、実家が厳しい状況になっていることは、あまり意識していませんでした。

地元にいないと、業界の状況はなかなか感じ取ることできません。ただ、何となく会社の景気が良くないんだろうなっていう空気感は伝わってきていましたね。

──どのような経緯で西村金属に戻ったのでしょうか。

2002年末、父から珍しく電話がかかって。「展示会で東京に来たんだ。ちょっと時間あるなら飯でもどうや?」と。普段、電話なんかかかってきたことがないのに、行ってみると、「今、会社が大変だ。この大変なときは家族だけが頼りだ。家業を手伝ってくれんか? 福井に戻ってきてくれるか?」と初めて父から言われました。

──それを聞いたときはどのように感じましたか。

いよいよきたかと思いました。私はその場で即答して「わかった、帰るよ」と。

あとで聞いた話ですが、父は東京に来る前、従業員に「来年は会社がないかもしれない」と告げていったらしいです。あのとき、私が帰ると決めなければ、会社は存続していなかったかもしれません。

業界依存からの脱却へ

──2003年に西村さんが戻り、2003年の売上げ2億円を2009年に5億円と、倍以上に回復させました。いったいどんな仕掛けをしたのでしょうか。

鯖江に戻ってきたとき、眼鏡業界は厳しい状況でした。どんどん市場が縮小しているのに、新たな仕事を取っていくことは不可能に近いことでした。それなら、眼鏡以外の仕事にチャレンジしようじゃないかって思いました。

──多角化を図ったということですか。

当時の西村金属は眼鏡業界の売り上げが100%を占め、常に眼鏡業界の浮き沈みに左右されるような経営状態でした。メガネフレームの部品を作る設備は、汎用性が高く、眼鏡以外の部品もつくれるんじゃないか、眼鏡以外の業界のお仕事のお手伝いができるんじゃないかという思いもありましたので、業界依存からの脱却にチャレンジし始めました。

情報発信で、親子が激しい対立へ

眼鏡の部品づくりで培ったチタン加工の技術を生かし、他の分野へ進出することを考えた昭宏氏。そこで使ったのは東京で培ったITの力でした。当時まだ珍しかったホームページで新しい仕事をつかむためのアピールを始めます。

しかし、それに待ったをかけたのは、昭宏氏を呼び戻した張本人の父でした。

昭宏氏の兄で、現在西村金属社長の憲治氏は当時の様子について「父は頑固一徹物づくり職人で、18歳の高卒からずっと会社で働いてこの会社の基盤をつくり上げた人です」とした上で、ネットへの情報発信について「小さな街で競争しているので、どんな機種を選択しているか、どういう機械を置いているかという情報を外に出したら一気に追い付かれる恐怖があったと思うんです」と振り返る。

そして、思いもよらない激しい親子の対立が生まれてしまったのです。

【株式会社 西村プレシジョン 会社案内

1993年に株式会社西村金属の貿易部門として設立。眼鏡や眼鏡部品の企画製造、仕入れおよび販売、精密機械部品の仕入れおよび販売などを行う。2000年代に地場産業の眼鏡関連が縮小するなか、インターネットでいち早く眼鏡以外の分野に活路を開き、業績を回復。2013年から薄さ2mmの携帯老眼鏡「ペーパーグラス」の販売を開始し、累計売上げ10万本を突破する大ヒット商品を生み出す。現在、西村昭宏氏が代表取締役を務める。

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賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

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