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「任せる覚悟」と「任せられる覚悟」—玲企画の事業承継/齋藤学インタビュー#1

百貨店を中心とした小売業界の広告代理店として1980年に創立し、43期目を迎える玲企画。業界構造が変化する中で、広告もさまざまな変化を求められるこの時代、期待を背負って社長に就任したのは創業者の義理の息子、齋藤学氏でした。玲企画の事業承継ストーリーを紹介します。

百貨店業界の広告代理店として

株式会社玲企画は、小売リテール業界、特に百貨店を主な顧客とする広告代理店です。1980年の設立当初から、新聞折り込みのチラシをはじめカタログ、ダイレクトメールなどの紙媒体、看板などのデザイン・制作の事業を行ってきました。

百貨店業界は1996年ごろに売り上げのピークを迎えましたが、その後2000年以降には大幅な業界構造の変化があり、地方や郊外を中心に閉店も相次ぎました。同時に広告もアナログからデジタルへと変化しつつある時代でした。それまでは、毎週のプロモーションを、穴を開けずにしっかりミスなく納品していく、という物量中心だったものが、「量」より「質」へと競争力のポイントが移っていきます。

玲企画の創業者であり当時の経営者は、齋藤氏の奥様の父上、つまり義理の父にあたる人物でした。この人から齋藤氏に、会社を手伝ってくれないかという打診があったのは、まさにそんな時期、結婚10年目の2008年夏のことでした。

「自分しかいない」との思いから承継を決断

その時の玲企画は、取引先から来た人物にいったん社長を譲っており、義父自身は会長職にありました。百貨店の構造不況が顕著になってきた時期でもあり、その体制での業績が芳しくなかったこと、義父が年齢的に引退を意識していたことなどから、自分に声がかかったのだろうと齋藤氏は言います。

齋藤氏は1998年、結婚と同時期に友人数人と共に会社を設立。当時、そこのナンバー2という立場にありました。義理の父は、その会社まで足を運んで、齋藤氏のパートナーであるトップに面談し、「息子にうちの会社を継がせたいので、よろしくお願いします」と、頭を深々と下げたといいます。パートナーはちょっと驚きつつも承諾しました。ただし、いきなり齋藤氏が抜けると弊害もあるので、2〜3年は役員として籍を置いたままにするということで話がつきました。

「妻は三姉妹の長女で、男子はいない。そういう意味では、私が息子として、やらなければいけないのかな、という思いはありました」と齋藤氏。自らの会社でセールスマネージャーとして仕事に脂が乗っていた時期でもあったため、迷いはありましたが、結局齋藤氏は責任感もあって義父の依頼に応じることに決めました。

スタッフと対話を重ねつつ方向性を決める

齋藤氏は、玲企画に新社長として初めて出社した日のことを覚えています。

「スタッフが揃ってオフィスにいるところで、新社長としてスピーチをしたんです。いい会社にしていきたいと思っております、ふつつかな部分はありますが、よろしくお願いします、というような。とにかくそこにいるスタッフに安心感を与えなければいけない、という思いを持ちながらのスピーチでしたね」。

就任した以上、経営者として何か新しい方向に舵を切らなければいけないという思いがあった齋藤氏は、まず会社の状況を把握することにしました。財務面はもちろん、事業分野での業績を見て、クライアントとも少しずつコミュニケーションを重ねます。そういう中で、どこにどういう問題があって、どう改革していけばいいのか、半年〜8か月ぐらいで現状把握。その上で、会社のあるべき姿、ありたい姿のビジョンを打ち立てて、社員とも少しずつ対話をして方向を示していったというプロセスでした。

「スタッフの幹部の方は当然、皆さん年上でしたから、そういう人生の先輩方の意見を伺うつもりで。またクリエイター、デザイナーの方々のマインドといったものも勉強していかなければいけない、という思いで、1人1人と話したのを覚えています」。

リーマンショックという試練

齋藤氏が一番苦労したのは、やはり「人との間の問題だ」といいます。
社長就任早々の数か月後に、齋藤氏はリーマンショックという試練に向き合うことになります。
百貨店の構造不況を受けて、それ以外の大手代理店との仕事も増やしてきた玲企画ですが、リーマンショックによって、その仕事が半年も1年も全くないような状態になってしまいます。百貨店の閉店も相次ぎ、一部チームを解散しなければならない状況に追い込まれます。全体的に人が余る中で、人の肩を叩くという厳しい決断も、せざるを得ませんでした。

「チームをゼロから作った幹部の人に解散の話をしたり、人員整理の話をしたりする中で、いろいろなぶつかり合いも当然ありました。しかし『これをやらなければ会社がもたない』というのも事実でしたので、すべきことはやはり断行せざるを得ないんですね」。

社長という立場の厳しさを早くも実感させられた齋藤氏でした。

まとめ

義父からの強い希望で、広告代理店を引き継いだ齋藤氏。業界の構造不況とリーマンショックによって会社もさまざまな改革を迫られます。

次回記事では、齋藤氏が社長としての覚悟を決めたきっかけとなるエピソードを紹介し、今後の会社のビジョンや広告業界のこれからなどについて、お話を伺います。

後編|「玲企画の事業承継」はこちら

記事本編とは異なる特別インタビュー動画をご覧いただけます

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賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

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