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「売り物にならん」から始まった、漆塗りの高級トイレ 借金3億円、血みどろのレッドオーシャンからの脱出

トイレといえば白が定番だが、鮮やかな漆塗りを施した洋式トイレ「BIDOCORO(ビドコロ)」が注目を集めている。高級旅館やホテルのスイートルームに設置され、インバウンドから大人気だ。このトイレを作る会社「さかもと」は、3億円の借金を抱え、社員の8割以上をリストラした「どん底」から復活した経緯がある。3代目として事業承継した坂本英典・代表取締役は、なぜ漆塗りの色鮮やかなトイレに着目したのか。開発秘話を聞いた。

「1個5円の儲け」では社員を幸せにできない…

――坂本さんの祖父が創業した「さかもと」はどのような会社でしょうか。

坂本 水回り設備の商社で、私は1990年代後半に25歳で入社しました。当時、従業員が20人くらいで、年商が14~15億円ありました。ところが、業績は厳しくなる一方で、社員の8割以上をリストラしたこともありました。

――なぜ業績が苦しかったのですか?

坂本 大手との価格競争です。当時、パイプやバルブなど配管資材をメインに取り扱っていましたが、1個運んで5円しか儲からないような商売でした。絶対に大手には勝てないし、社員を幸せにできないと考えていました。

だから、大手で扱ってないものを事業としてやらなければならない、レッドオーシャンの血みどろの真っ赤な海で戦うのではなくて、誰もまだやったことがないブルーオーシャンを絶対に見つけ出してやるという思いが30代半ばからありました。

陶器のまち・常滑と日光東照宮からひらめき

――それで漆加工を施した洋式トイレ「BIDOCORO」を開発したのでしょうか。

坂本 ターニングポイントは、愛知県常滑市のINAXライブミュージアムに行ったことでした。江戸時代末期から明治初期に染付という技法で作られた装飾豊かな小便器が展示されていました。これを見たとき、「めちゃめちゃクールで格好いいな」と思ったのです。

以来、「そういえば、トイレって今、白しかないよね。バブルのころには20色ぐらいあったのに」という疑問がずっと頭に残っていました。

――常滑は焼き物のまちで、漆工芸ではないですよね。

坂本 そうです。その後、地元・栃木の日光東照宮で漆の塗り替え作業をやっているのをテレビで見て、実際に日光に足を運んでみました。そのとき、「漆ってきれいだな。これトイレにできないかな」とひらめきました。

そんなとき、地元の経営者仲間との酒席で、たまたま漆芸家の宮原隆岳さんとお会いしたのです。「実は東照宮を見て、漆をトイレに塗れたら格好いいと思ったんですよね」と飲切り出すと、宮原さんが「坂本さん、じゃあ塗っちゃうかい?」と言ってきたのです。

「こんなもん、売り物にならんわ!」

――それでBIDOCOROが誕生したわけですか

坂本 ところが、開発が大変でした。漆を塗るのは蓋の部分ですが、それは技術的に難しくない。プラスチックと漆は相性がいいからです。難しかったのは、本体の陶器部分の塗装でした。これが難しかったのです。

―何が難点だったのでしょうか。

坂本 地元・宇都宮の塗装屋さんと「ああでもない」「こうでもない」と試作を繰り返しました。カッターで削ったらベリベリと漆がはがれて「こんなもん売り物にならんわ」ということが何度もありました。最終的に下処理の工夫ではがれやすい問題を解決しました。

――経営者仲間のつながりが役立っていますよね。

坂本 支えられています。1人じゃ何もできないですよ。日ごろはただ酒を飲んでいるだけですが、こういうときに力を貸してくれます。塗装屋さんなんか、仕事で絡むなんて思ってもみませんでした。

思い描いていた有名ホテルのスイートルームに

――BIDOCOROの導入実績はどうでしょうか?

坂本 2016年にリリースしましたが、実はまだ事業として成り立つレベルではありません。ただ、箱根の旅館や東京のある有名ホテルのスイートルームに入れてもらっています。

実は、BIDOCOROを開発するのに、どういう所をターゲットにするかブランドイメージを描いたのですが、そのホテルをイメージしていました。スイートルームに2台入れることができたのはうれしかったです。

――一般的にトイレは実用性重視の商品かと思いますが、BIDOCOROの狙いはどういったところでしょう?

坂本 レッドオーシャンからブルーオーシャンに脱却したいという強い思いから生まれた商品です。漆という日本の伝統工芸技術の魅力を世界に向けて発信したい思いもあります。また、異業種の経営者仲間が支えてくれたので、やめたら顔向けできなくなってしまいます。

人生を賭けた夢がある

――今後の展望をお聞かせください

坂本 BIDOCOROは、年間50台くらいは出荷できる事業規模にしたいと思っています。ターゲットはホテルや旅館、飲食店です。幸い、非常にインバウンドが活況で、ホテルや観光施設への設備投資が盛んです。多くの外国の方の目に触れてもらえたらうれしいですね。

一方で、会社の規模を拡大したいとは思っていません。受け売りの言葉ですが、「記録よりも記憶に残るような事業」をしていきたいと思っています。売り上げの規模や営業利益率といった数字的な記録よりも、「さかもとって、こういうことやってたんだ」と記憶に刻まれる会社にしていきたいです。実は、さらにもう1つやりたい新規事業があります。

――どのようなアイデアでしょうか。

坂本 人生を賭けた1つの夢として、それはオリジナルのシステムキッチンを作ることです。まだ自分の頭の中に描いているだけで、みなさんに大風呂敷を広げているところですが。

「しなければならない」の呪縛を解き放て

――2019年に事業を承継したとき、3億円の借金があったそうですが、どうなりましたか。

坂本 実は、2024年7月で完済します。これでやっと事業承継が完了し、先代社長の父と母を本当の意味で楽にさせてあげられると思っています。

――さかもとは創業80年以上です。会社を潰せないというプレッシャーはありますか?

坂本 あまりプレッシャーはないですね。4代目をどうしようかというのは確かにありますが、まあ、どうにかなるでしょう。

事業承継について1つだけ言うならば、後継者は「しなければならない」という発想から始まります。「会社を守らなければいけない」「社員を守らなければいけない」、そのために「売り上げを伸ばさなければならない」といったように。

だけど、自分で創業した人は「あれをしたい、これをしたい」からすべての発想が始まっています。私自身、この転換が自分の中でできたのが大きなポイントでした。

世の中の後継者の方々は、そんなに過去や会社の歴史という呪縛に縛られなくていいと思います。自分のやりたいことをやればいいのではないでしょうか。

坂本英典氏プロフィール

株式会社さかもと代表取締役 坂本英典氏 

1971年栃木県生まれ。東海大学経営学部卒。大手機械商社・山善を経て、25歳で家業の水回り設備商社「さかもと」(1936年創業)入社。業績悪化から脱却すべく、メイン事業からの撤退や本社売却、在庫全売却、社員のリストラを断行して、2019年に46歳で3代目として事業を承継。研究開発の末、2016年、漆加工の洋式トイレ「BIDOCORO」をリリースし、注目を集めている。

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賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

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