COLUMNコラム
29歳で突然の社長就任、売上げが前年比6割に急落/「3人の父」のサポートで立て直した「必死のパッチ」の事業承継~日本広告企業【後編】
電車や駅構内、ビル、道路サイドの広告「ロケーションメディア」の老舗企業・日本広告企業(本社・大阪市)の日根野谷裕一社長は、前社長の祖父の急逝により、29歳で会社を引き継ぎ、地元・大阪から東京への進出を進めた。若き社長ゆえの苦労や周囲のサポート、「アナログ」なロケーションメディアの将来像について聞いた。
目次
急落した売上げ、それでも10年かけて
――幹部社員が退社するとお客様も減ったのではないですか。
日根野谷 私が社長就任直後の決算では売上高は前年の6割ほどまで減りました。一方で私や残った社員が一丸となってスポンサー様を訪問することで、一旦は離れられたスポンサー様の中には戻ってくださったところも多数あります。
社長就任3年後には東京支店を開設し、新たなマーケットを創造し、売り上げを何とか確保していきました。社長になって19年目ですが、売上高が就任前のレベルに戻すまでに10年近くかかってしまいました。
苦難を助けてくれた「3人の父親」
――その苦しい間、どのような方のサポートがありましたか。
日根野谷 人に恵まれたと思っています。特に「3人の父親」にはお世話になりました。
一人目は、「お前がやってみろ」と私の背中を押した実父です。父は一人の経営者として広告産業にいます。起業家として会社を興し、今も経営者を続けています。自分の経験も踏まえ、とても多くのアドバイスをしてくれました。
二人目の「父親」は、私が社長になった時、スポンサーや仕入れ先、同業者に挨拶回りをしました。その中の一人です。ある同業の広告会社社長から「困ったことがあったら相談に来なさいよ」とおっしゃっていただきました。
その社長は祖父であった前社長と昵懇だった方で、「前の社長から俺が教えてもらったことは全部、お前にちゃんと引き継ぐ」と、何かにつけて私をサポートしてくださりました。同じ業界ですから似た課題を抱えており、有意義なアドバイスをいただきました。とてもありがたい大先輩です。
もう一人は妻の父、義理の父です。お祖父さんから会社を引き継ぎ、今は会長として経営されています。全く違う業界の会社なので「広告業界はここがおかしいよね」と客観的な問題点を指摘していただき、非常にありがたく思っています。
退路を断って「必死のパッチ」
――3人とも経営者ですからとても素晴らしいアドバイザーですね。ところで事業承継では何が大事だと思われますか。
日根野谷 最初に会社を引き継げと背中を突き飛ばしてくれたのは父親ですが、その時に、自分自身の意思で、決意しないと何も進まないことに気がつきました。本当に遮二無二に難問を解決し、自分自身がこの会社の最終責任者としてやっていくのだと覚悟しました。
当時を知る社員が「あのときは、社長は『必死のパッチ』やった」という話をしてくれるのですが、ありがたいと思います。私はとても稚拙だったと思いますが、自分自身が退路を断ち、ここで生きていくのだという必死の思いでした。今になって振り返ると、その覚悟が一番肝要だったと思います。
「アナログの最たるもの」ロケーションメディアの活路
――交通広告や野外広告というロケーションメディアは広告業界の中ではでアナログの最たるものだと思います。デジタル化が進展する中で活路はありますか。
日根野谷 私もECサイトはよく使っており、便利なことはわかっております、しかし靴のような商品は店舗でサイズを確かめたり、お店の方と話しながら靴がフィットしているか確かめることが必要です。デジタル化が進んでも実店舗というアナログな部分がなくてはならないのではないでしょうか。
交通広告などのロケーションメディアはアナログなものですが、消費商材のスポンサーの方々には、最終的にお金を使われるポイントの近くで広告を出したいというニーズがあります。例えば居酒屋さんに飲料メーカーのポスターが貼ってあれば、お客さまがポスターをご覧になって「あのビールをもらえますか」となります。
つまり消費ポイントの近くで広告を出すというロケーションメディアのニーズは今と同じ形ではないかもしれませんが、今後も拡大すると思います。少なくともコロナ禍が終息すれば、人手が増え、ローケーションメディアは回復すると見ています。
大阪万博にも期待
日根野谷 ロケーションメディアには課題もありますが、新しいストーリーを描くことで課題を解決できると考えています。例えば2025年には大阪万博が開かれます。それを一つの起爆剤として、大阪の町は大きく変貌を遂げてようとしています。
国内ばかりか海外からもいらっしゃるお客様に対して、インターネットとも連携しながら、大阪で新しいロケーションメディアを生み出し、こんな場所でこんな面白いことができる、というストーリーをつくっていきます。これは大阪だけではありません。全国の地方都市が人口を減らさないために都市の魅力を増そうとしています。そうした動きに関わっていきたいと思います。
東京でも大阪でも、日本中で、その場所にいる人たちが“ワクワクするような面白いこと“をたくさんつくって行きたいですね。ロケーションメディアが、まだまだ掘り下げていない分野を、ステークホルダーと協業しながら、深めていきたいと考えています。
(文・構成/安井孝之)
後編|「お前がやれ」会社で最年少29歳、突然の社長就任/東京進出を進めたら、地元・大阪のベテラン社員が離反~日本広告企業
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